ナーロッパの議論はSNSの数字? ~育てるべきは作者か、読者か
ここ最近、なろう系ヨーロッパ感、ナーロッパに対しての議論がまたTwitter上のTLで見受けられるようになった。これに対して自分もまとめて、何か語ろうかと思っていた。
しかし、その考えをまとめていく中でこの議論の根底は、中身よりも結局はSNSの数字に惑わされた口論ではないかと思えてきた。
そう考えていくと、なろう系に関係する議論というか話題は結局の所、数字でしかない。そして、それは作者側だけでなく、受け手である読者もそこに惑わされている。
だから、今回の議論にしても、数が多い方が勝つといった形に収まる節がある。
それらのTwitterでのやり取りは、Togetterの方でもまとめられている。
■天下一ファンタジー中世警察大会
さて、そんな中で私はナーロッパに対しての議論をする人、そして、その場としての作品を提供して行われる「天下一ファンタジー中世警察大会」という企画を思い付いた。
我こそはファンタジー中世警察に絶対に負けない作品を、そして、対するは論破するファンタジー中世警察達が一堂に集まり戦う企画だ。
実際、ファンタジー小説を書いているだけで人が集まるのだから、企画としたら面白いだろう。
だが、実際はこの双方に募集したところで人は集まってくることはないだろう。先も語った通り、この手の議論は議論の場を求めているのでは無い。結局はSNSの数字に惑わされている。
必要なのは、そこそこ有名な作品を論破して注目されたいという承認欲求である。
なぜ、そう言い切れるのか。私は『小説家になろう』でファンタジー小説を書いていたが、ファンタジー中世警察は寄ってはこなかった。
それは私がなろうでは底辺という立場だっただけに、ファンタジー中世警察の感想を眺めてくれる人がいない以上、彼らの存在もそこでは無価値となる。
ファンタジー小説だから、ファンタジー中世警察の感想が必ず貰えるということはない。これは私だけではなく、他のポイントが少ない作品を見ていても同様である。
また、彼らにとって、互いに見ず知らずの存在だから成立するのに、多少の素性を晒して、企画等に出てくることなどそうないだろう。承認欲求を求めながらも、自身を晒したくないというのはSNS等では珍しくもない話だ。
だからこそ、「天下一ファンタジー中世警察大会」などハナから企画倒れである。
いや、それは違うというファンタジー中世警察の人がいるのなら、私が感想の場を提供するから、遠慮無く来て欲しい。
確かに先も触れたが、私は『小説家になろう』では底辺であっても、Amazonのランキングでは限定的であっても上位に入り込んだことはある。また、このnoteの場でも多少は数を出せている。私を論破するが出来れば、多少の承認欲求は満たせるはずだろう。
(まあ、なろう系のファンタジー小説ではないので、ファンタジー中世警察の皆様が論破しやすい作品かはまた別問題ではありますが)
小説家になろう 『最弱最強の反比例剣士と3つのしっぽの女悪魔 ~口づけからの始まるレベル1』
改めてではあるが、『小説家になろう』という場は、ただ数の優劣で競っている感はある。これは動画サイトでも、SNSでも同じだから、小説投稿サイトだけが特別もなく、ネットの延長にあるコンテンツなんだろうと思う。
それだけに、小説投稿サイトでは小説家とは似て非なるモノになりがちである。
だからこそ、ファンタジー中世警察も一部のフェミニストの活動と似ていて、数字、実績が取れてないコンテンツに口出しすることはそうないのだろう。それゆえ、活動よりも承認欲求の方がウエイトが大きい気がしてしまう。
■ナーロッパ議論もそうだが、現在の倫理感は
少しナーロッパに関して私の意見を語れば、その設定の重厚さよりも、その世界への没入感を欲している。これはコンピュータRPGでは特にそうだが、この没入感が無いと一気にしらけてしまう。
この没入感を阻害しないのなら、どんな展開も設定も許されるはず。
実際、『ジョジョの奇妙な冒険』に置いて、ウィル・A・ツェペリというキャラクターがいるのだが、この人物には妻子がいないことが語っていた。
しかし、次のエピソード、第二部では直系の孫であるキャラクターが登場する。
完全に設定の破綻である。
そんな大失敗をおかした後の『ジョジョの奇妙な冒険』において設定等のミスがないかと言われればそうではない。それでも作品の質を落としているかといえば、そうとはいい切れない。当然、週刊で長期連載ということだけに、ミスは出てくるのも当然という認識も読者の中にはあるだろう。
だからこそ、大事なのはそういったアラにも気づかせない、没入感だと自分は思っている。没入感を阻害されられる設定、展開には受け手は腹を立てるのであって、阻害させられないのなら、何が出てこようと構わない。
これも例えるなら、ドラえもんの大長編ではトンデモな存在と騒動を繰り広げても許されている。特に近年では『狂気の山脈にて』を元にしたであろう、『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』なんてやりきっている。
私にとってこういう議論が度々出るのは、クリエイター側にとっては自信のなさの表れだと思うところがある。読者側にとっては、その自信のなさを感じ取っているから口を出してくる。
自信があれば、作品のアラなど気にせずにねじ曲げて、熱量で誤魔化してくる。だからこそ、まちがいもするのだが。
この手の議論には、下手に結論も出さず語る人間よりも言いきった方が発言に対しては信用は出来ると思っている。
先の話に戻るわけでも無いが、私自身は自信があるからどうでアレ、なろうも越え、Kindleという有料の舞台で自身の作品を出している。
自信がなければ、有料で、多種多様な人が見に来る場では作品など出せるものではない。そして、ファンタジー中世警察にだって場も提供する。
ただ、今回改めて思ってのはファンタジーのリアリティも大事だが、そこにおける倫理感はあまり議論されていない点は疑問に思った。
確かに、ゲームにおける敵を倒すことと暴力性の関連性はよく議論される。それはこの手のファンタジー中世警察においても同様ではないのか?
『無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜』ではハーレム要素なのか、一夫多妻に関する話が出てくる。これは他のなろう作品でも見受けられることだが。
異世界転生であっても、現在の自分達が現地の一夫多妻制を受け入れることは出来るのだろうか。特に「無職転生」では必ずしも一夫多妻がスタンダートの考えてもない様だ。
この問題に関しては、自分は別にファンタジー中世警察ではないが、大いに議論すべきだとは思っている。特に『ドラゴンクエスト5』における「ビアンカ・フローラ論争」をリアルタイムで感じているだけに。
また「無職転生」の話とはなるが、中国での配信ではフェミニストの参加もあって配信が中止となっている。確かに変態的な意味でのパンツ描写が序盤からあるだけに、フェミニスト云々に関しては言い逃れは難しい部分がある。
この一夫多妻制、変態描写などの倫理観はファンタジー中世警察以上に議論が必要だとは思った話ではある。
確かにファンタジー小説だからと片付けることも出来ようが、海外にも配信をされた作品だけに、それだけでは済まされないのもまた事実だと思う。
■育てるべきは作者か、読者か
今回はこう色々と語ってきた中で、5chのまとめで興味深いモノがあったので、こちらを紹介、考えながらまとめていきたい。
13: 名無しの読者さん 2021/09/16(木) 06:50:16.218 ID:Giu6ECfI0
>>8
お前のいうことは大変ごもっともなのだがハーレムものはそもそもお前のような層をターゲットにしてないのでお前のやってる行為は自分に需要のないものは必要無いと他人の需要を潰そうとしてる迷惑行為だ
大人しく棲み分けろ
ラノベやなろうというモノが主軸に語られている5chの場において、この発言はまずいとしかいいようがない。『小説家になろう』のような小説投稿サイトだけに限った話なら、まだいい。
しかし、ここではラノベやなろうといった商業作品も含まれて、多くの人に読んで貰いたいはずの作品に対して、嫌な人は読むなといっているのは読者サイドの考えでもまずい。
これは自身のファン活動を押しつける行動ともいえるし、コミュニティの一生といった概念からも末期に近い状況である。
確かに、嫌なら見るなというのは簡単な話だが、先の「無職転生」にしても海外配信がスタンダートとなっている時代。多方面での「嫌なら見るな」でも済まされない。
実際、「無職転生」はそういったことから配信停止に至っている。
これらを踏まえて、改めてファンタジー中世警察を見ていくと、違った風に感じることになるだろう。
ここに置いて育てるべきは良質な作品を生み出す作者か、どんな作品も等しく見てくれて、許してくれる読者か。そこにも改めて考える必要があるのではないだろうか。
ただ、数だけを競って結論を出していては先がない話である。