『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』から見えてくるモノ ~出版社がリンクしない作品
「抱かせろ」
昨今であれば、このワードだけで何の作品か分かってしまうほどの言葉である。日常では使う機会というのはイレギュラーな場面ではあるが、エロい作品では割とありふれた言葉である。それなのに、今この言葉を聞いて思い付くのは、確実にあのコマ割りである。
ただ、それは来年といわず、数ヶ月後には薄れていくのも必然であろう。だからこそ、未来のためにもソースは残す必要があるかもしれない。
(TwitterでのPRが無くなったので、画像を引用)
インターネットミーム化しているこの作品だが、そういったネタ性以外からも見ていくと、出版業界にとって笑い事でないことが分かる。それは作中にも描かれる女性、ヒロインが今の出版社と置き換えることが出来る。では、それに対する男性、主人公は何に当たるのか。
そして、何に対して「抱かせろ」といっているのか?更に出版社側が犠牲すべきモノとは…
そもそも、インターネットミーム化以前にはネットの広告で結構な人が無加工の画像を目にしていたであろう。
今回は作品の物語ではなく、この作品の販売や宣伝などを見ていき、それらを語っていきたい。
作品の特殊性とは
先も語ったが今では、ほぼ「抱かせろ」だけで通じる作品であるが、その作品名を知っている人はどれぐらいいるだろうか。宣伝で上げられているオリジナルの画像の下には、きちんとタイトル、作者名、会社名等が書かれている。もっとも、よく見かけるのがコラ画像の方だけに作品名が削られている。
このタイトルは『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』である。
では、次にこの作品の背景はどうなっているのか。背景とは漫画オリジナル作品なのか、原作があるのか、そんな部分である。
ここに関しては、宣伝画像だけでは判断が出来ないので、自主的に調べてく必要がある。
さて、この作品の原作は18禁版「小説家になろう」こと「ノクターンノベルス」発の作品である。ここに関しては今となっては珍しくないが、ただ書籍化よりも先に18禁でのビジュアルノベルゲーム化された意外な作品。それも以前からされており、有名となったコミカライズは最近の事である。
そして、ゲーム版から後に書籍化された紙の書籍は現在(2021年9月26日 )、プレミア価格となっている。(2022年4月3日時点では再販がされ価格は安定しています)
これほど漫画でも広く知れ渡っている、このタイミングで紙の本をなぜ再版しないのだろうか?プレミア価格ともなっていれば、一定数は紙での本を待っている人はいるだろう。更に、今の人気である。紙で出すリスクはあるにせよ、商機には変わらない気がする。確かにKindle版での電子書籍で出ているから、これで十分という見方もできるにせよ。
一方でゲーム版のパッケージには関してはプレミア価格となってないようだ。こちらは成年向けのタイトルだけにパッケージよりは配信でのデジタルデータが込まれる傾向はあるのかもしれない。
実際、エッチなタイトルは紙の書籍よりも配信での方が売り上げは良いと聞く。
さて、これらの情報を提示したこと、冒頭でも触れた出版社にとって笑えないことで薄々と感じている方もいるかもしれない。そもそも、広く「抱かせろ」で認知されるようになった漫画媒体にしても紙ではなく、配信サービスである。
そして、オリジナルが掲載されたノクターンノベルスでは、この人気によって大きくPVを伸ばしている。
ノクターンノベルスは無料で読める媒体とはいえ、この作品の商機が損なわれることならないだろうか。しかし、ノクターンノベルスにしても、このPV数ではかなりの広告収入は期待できるだろう。
そう冒頭、語った様にこの作品のヒロインを今の出版社だと例えるのなら、主人公は電子媒体、配信サイトとなってくる。ここまで、この作品は従来の出版社から介入していない。
それでも、このムーブメントである。更にそれは話題性だけでなく、商業的な数字となって現れている。
配信サイトでは青年コミック部門2ヶ月連続月間1位という成果を出しているだけでなく、注目すべきはコミックシーモアが先行配信中という点。今後は他の配信サービスにも提供されていくのだろう。当然、それは無料でという事にはならない。そして、人気タイトル独占することで配信サービスとしてのシェアも獲得できる。
その人気タイトルというのは、大手漫画雑誌で連載している漫画作品では無いのだ。
この点に関しては、私は詳しいデータを持っているわけでもないが、普通に考えてもそうだとは判断できる話でもある。また、この点に関しては、岡田斗司夫が語っていることの受け売りの部分が多々あるのですが。
実際、この作品を提供するコミックシーモアはNTTソルマーレ株式会社が運営する電子書籍配信サイトである。この会社は出版社ではなく、通信事業の会社。
ここは電気自動車でも語られるように、自動車メーカーよりも家電メーカーの方が電気自動車には有利と語られる部分と似ている。だからこそ、配信サービスに関しては出版社よりも通信事業の方が勝っている。
読者側からすれば、ただ「抱かせろ」のネタ化に笑っていられるが、出版社からすれば、これだけの話題が出版社不在の中でムーブメントとなっている。それはインターネットの中の話ではなく、原作は小説、そして、話題は漫画である作品に対してである。
今の出版社は抱かせろちゃんこと、藤野深月のように助けて貰う代わりとして、配信サイトに自社の作品を掲載して貰う代わりに、権利というか利権だけを「抱かせろ」と言われ続けるのかもしれない。
それは出版社にしても理解できていることだけに、各社でも配信サービスに力を入れているのは目に見えている。
なろう系からゾンビモノへの変移
次に作品の中身に関して少し触れよう。この作品はノクターンノベルスで掲載されているだけに、なろう系といえる。その証拠というか、作品の根底がタイトル通りゾンビモノでありながら、自分だけは襲われないというゾンビモノのお約束を無視したチート能力である。
しかし、ここまでネタ化されている中でも、この作品がなろう系と読者は認識できるのだろうか。
そもそも、昨今ではゾンビモノ自体が多種多様でお約束を破った作品も珍しくもない。『ゾンビランドサガ』にしても、今まではあり得ないゾンビ×アイドルである。また、襲われないとも行かないまでも、ゾンビから感染しないという要素もゲーム等の設定で有効活用されている。
これは私の勝手な推測だが、広告でも有名な本作のゾンビ娘の黒瀬時子だが、ゲーム版また小説版では人間と変わりない肌の色となっている。だが、漫画版ではその肌の色が紫となり、よりゾンビに近い肌色となっている。
エロも描かれる作品において、相手に人外感を出すのは一部では抵抗感があるはず。それをより一層周知されるはず漫画版でその判断を下したのは、『ゾンビランドサガ』におけるゾンビの肌色と関連がある気がする。
恐らく、この作品の人気が無ければ、『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』の漫画版も肌色のままではなかったのだろうか。
さて、余談となってしまったが、それだけにゾンビモノは展開だけでなく、ジャンルも多様になっている。そして、それを一つ物語るのが最近、日本の地上波ゴールデンタイム初で放送されたゾンビアクションドラマ『君と世界が終わる日に』ともなるだろう。これは海外の『ウォーキング・デッド』のドラマブームだったり、日本に置いては『カメラを止めるな!』などの後追いといった部分はあるだろう。
それだけに違った意味で昨今のドラマを始めとしたコンテンツも「ゾンビのあふれた世界」となっている。
そのゾンビモノの流行、追い風もあったのが、この『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』なのだろう。インターネットミームは世に出てからの後発での要素だけに、単なるおまけである。
ただ、それだけにこの作品を知って読んでいる多くの人にとって、求めているのは無敵のチート能力でハーレムなり、女性と関係を持つようななろう系ではなく、バイオレンスあり、エロティカありのゾンビモノなのである。
そのことは書籍化よりも先にアダルトゲームで出ていることが示している。
成年向けコンテンツを先に世に出しただけに、従来のなろう系の層とはまったく別の層をターゲットにしている。
このメディア展開によって作品は広く認知される機会を生んだ反面、作者にとっては大きな苦難となっていた気がする。そう、作品はなろう系からゾンビモノとしてシフトするしかなくなったからだ。
ここに関しては、ノクターンノベルスでの更新頻度からも見て取れる部分ではあるが、より謙虚な点が新刊が未だ発売されてない点だ。
今、書籍では3巻、ゲームも3作にプラスして番外編が出ているが、その最終となる4作目が執筆中と作者の口から明言されている。しかし、その期間は数年というには厳しいほど過ぎている。
(その期間を何処を基準にするかにもよるが、書籍3巻の発売日は2017/3/11とある。ここから見てもすでに4年は過ぎている)
確かに忙しい等の理由で執筆できないのは理解できることだが、数年以上もかかっているのは、ただ忙しいだけでは片付ける難しいモノがある。それがプロではない、小説投稿サイト発の作家であろうとも。しかも、こうもメディア展開している中では企業とてバックアップするだろう。
この理由というのは、作者にとってもなろう系ではなく、ゾンビモノを書かねばというプレッシャーからエタった、更新停止となっているのではないかと私は推測している。
ここに関しては『ベルセルク』、『HUNTER×HUNTER』で例えると分かりやすいかもしれない。両作品は休載が多い。
その真意は分からないにせよ、それでも作者が描きたいモノを描いた作品からスタートしたのに、読者、周囲からの過大評価で自分が望む形で描くには妥協できなくなったからではないだろうか。だからこそ、作者が望む以上に読者が望む展開を模索するのに悩み、迷って、執筆が出来なかったのではないだろうか。
こと『ベルセルク』に関しては残念な結果とはなったが、それでも今後は粛々完結に向かうとの話もあり、絶筆となった回を読むとそれを感じさせる展開となっていた。ただ、それ以上にこの誰もが納得する物語の過程に至るには多くの悩みが感じられる事でもあった。
それだけに作者が描きたかったモノが、違った意味で作者から手を離れた作品は完結に至ることは少ない。先とは逆に『男坂』のような、作者の熱量が読者に届かないのもある種、同様だろう。
一応、『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』の現時点のラストでは決着は付いているようだ。
それでも4巻で完結させる意思が、作者含めて関係者にもあるのならいっそ、他の脚本家に投げてしまってもいいのかもしれない。別にこれは皮肉とか、そういう意図はない。
ただ映画の場合では、シリーズで監督、脚本が変わるのは別に珍しくもない話である。あの大作宇宙戦争の新シリーズにしても、原作ファンが脚本を書いている。その経緯は一言では語られないが。ただ、この作品がメディア展開したゾンビモノでもあるのだから、映画同様に考えても変な話ではない。
また、問題となってくるのはここまでメディア展開して、上手くいけばエロい作品とはいえ僧侶枠でのアニメ化を狙っていける作品であるということ。
僧侶枠の由来となった作品『僧侶と交わる色欲の夜に…』にしても、元々は電子コミック配信サイトの作品であり、そのアニメ制作に至ってもその電子コミック出版と同じ会社でやっている。
それだけに同様な経緯を持つ『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』もアニメ化の可能性は高い。それに先から述べているようにゾンビモノを放送するリスクも、今では薄い。そして、エロの点も僧侶枠などからも許容されている。
だが、このタイミングを逃して作品完結、4巻を出したところで、それこそ多くの商機を逃してしまうだろう。
ただ、これは私でも思い付くことだけに、作者、企業側からしても、コミカライズを開始する前から色んな流れを想定しているのは当然だろう。ゆえにそういった流れがあるのではないかと、逆に私は予測している。
ネットミーム化は配信サイトではプラスか?
しかし、「抱かせろ」のコラは多発しているのだが、その場というのがPR広告でのTwitterのスレッドも大喜利の場になっている。更にはそのための素材までユーザによって提供されている。
ただ、これらのコラは法律的にはかなりアウトだろう。かくいう、私にしても「抱かせろ」コラを作って、とある所で拡散された経緯もあるだけに、攻められると痛いところがある。とはいっても、コラをやる以上はそのリスクは分かっているつもりである。
過去にはキン肉マンの作者が作品のスクショによる感想は止めて欲しい、更には悪質だと法的手段も講じるといわれ、スクショが一掃されてしまった経緯がある。ただ、ここに関しては編集部としても迷走していたり、良い悪いに関しては多少の議論があった。そして、現状はスクショが一掃された反面、感想すら違法となることを恐れ、黙り込んでいる節もあるから一長一短の話でもあった。
それだけに「抱かせろ」コラにしても、ここまで拡散されては法律以前に悪質と言われても仕方がない面もある。ただ、今ではコラを越えて、コマ割りのみでのパロディもある為、この場合はどうなってくるのだろうか。まあ、大概は何かしらは二次創作ではあるのだが。
しかし、そんな中でも「抱かせろ」コラは多く作られている。それも公式の場でも展開しているのに特別注意の声は聞こえてこない。当然ながら、この点は従来の出版社なら許容できないだろう。
やはり、それはネット上で展開する配信サイトにとっては、ネタであっても作品が拡散されることで、広告を出す以上に効果があると思っているのではないだろうか。それは当然、良し悪しであるのは理解できていても、大手に勝る武器として頼らざる面もあるということ。
ただ、ここまでコラが伸びることは間違いなく予想外だっただろうが。
まとめとして
今後において、従来の出版社を介さずに作品を提供していく事はますます多くなってくるだろう。現にこの作品だけに限った話でもない。
それだけに、なろう系コミカライズは特に出版社主導から配信サイトに変わっていくのではないか。何も電子書籍配信サイトは1社だけの話ではない。それだけにビジネスモデルとしてもある程度、成功している以上、他も同様な展開をしていくだろう。
動画配信サイトではオリジナルのドラマ、アニメーションなど、珍しくはない。それだけにそういった原作を色んな所から配信サイトが求めている話もある。
また、電子書籍配信サイトを主体とするだけに、紙の書籍が希薄というか、足かせとなるため斬り捨てている部分もあるだろう。本にしろ、ゲームにしろ電子媒体のみにすることで現物を作るコスト、在庫管理等の費用をゼロとする、限界費用ゼロを達成できるからだ。
これは従来の出版社では選択できない考えだろう。
ただ、結果として『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』に関しては、紙の本がプレミアム価格での中古市場でしかない現象が起きてしまった。ここも良しとしないと考えていても、コストを考える再版は難しいのでは無いだろうか。
また、漫画に関してもフルカラーである性質上、紙で出るのは難しいのではないか。出たとしても、モノクロとなるのは必定。それだけに電子データとしてのアドバンテージを、フルカラーで見据えているのかもしれない。
「抱かせろ」のコラでインターネットミームとなった本作品だが、詳しく見ていく一部にとっては笑い事ではない事態に発生している。そして、これに対してどう対応するか、また活かしていくのかは出版社だけの話では無い。
『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』は小説投稿サイト発の作品である。作り手にとっても、今までに無いチャンスの場が開けていることにもなる。そして、コミカライズを担当する漫画家においても同様なことが言える。
だから、ネタとして「抱かせろ」を笑っていると、知らないうちに取り残されることになってしまうかもしれない。
※2022/4/3 リンク切れなど対応を行いました。