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『魔王様、リトライ!』から見える昭和テイスト【+追記】

【この記事は2019年10月8日に投稿された動画を元にしたモノになります】

今回は2019年夏アニメ『魔王様、リトライ!』のアニメ版のレビューとなります。この作品は自分を始めとして多くの人がハマった、珍しいなろう系作品と思います。しかし、全てが全ての人にハマれたかは別ではあるですが。

それで今回はその魅力、なぜハマれたのかという点を3つのテーマに分けて語りたいと思います。

1.昭和臭が漂う作品
2.スローテンポと再構築
3.なろう系ながら、非なろう系

1.昭和臭が漂う作品

まず、『魔王様、リトライ!』は全編に昭和臭がします。
ドラゴンボールハラスメントといわれる、この時代でも「きたねぇ花火だ」と堂々と言ったり、『クレヨンしんちゃん』でも今の時代、教育上できないであろうお尻ペンペンを、性的な嗜好を臭わせることで回避させる力業……それでも駄目でしょうが。

時々出る小ネタに関しても昭和世代、ホイホイです。
これらは原作時点でのネタです。
(作中で出てくる元ネタは昭和生まれが多い。アニメでもそこを理解してか、昭和テイストに似せている)

また、キャラの一人である霧雨零は暴走族風と完全に昭和な中二病感である。その一方で、現在の中二病気味な女の子が一緒に出てくるのは極端な対比で面白かった。
完全に時代遅れなテイストで構成されているわけでもない。

アニメ全体としても、チープな作画にBGM、昭和なギャグ演出、そして、昨今にはないスローテンポな展開はどれも昭和のアニメを彷彿とさせる。

これらの演出は大半が昭和生まれのアニメ制作陣にとって、得意とするところだろう。
だから、原作の持つ昭和臭はアニメ作りには分かりやすかったはずだ。
(現時点、32才以上は昭和生まれ。若手はいるにしても、メインを張る人はやはり30代もしくは40代となるだろう。なら、その演出論も昭和からのモノになる)

どうであれ、平成生まれのなろう系を理解することに比べれば。
(でも、アク役の高尾奏音さんは現在17才。他の中の人と比べて、干支が一巡、二巡するほどの差がある…)

後、この原作では西暦がはっきりしている。
物語の始まりはこの作品が始めて世に出た、web小説への投稿開始と同じ、
『西暦2016年 日本――――』
西暦と作中の描写から考えると、この主人公自身も会社に働く社会人であるので昭和生まれとなる。

それと現実パートは結構生々しい部分もあり、作者の実体験なのでしょうか。
(作者自体も主人公同様、昭和生まれで、主人公同様の結構な年齢ではないかと感じさせる)

2.スローテンポと再構築

先も語った通り、昭和という価値観はアニメ制作陣にも分かりやすかったはず。
その上で、原作2巻までのアニメ化は労力的に楽であったと思う。

長い原作では何処まで描くか自体、選択が難しく、その後の話数構成も同様である。
原作を必要以上に読み取り、限られた時間と尺でアニメ用にストーリーを再構築する必要があるからだ。

その点、この『魔王様、リトライ!』は原作2巻までとすることで再構築の情報量も少なく、スローテンポで、話をきちんと描けていた。

仮に、全12話を半分の6話で描くことは可能だろう。
ただし、この12話でも原作の内容を結構削り落としている。極力不要な点は切り捨て、映像で見せたり、予告の合間でも補足しているほどであった。

(アニメでは作中で異世界転生特有のゲームシステムの根幹となる「GAME」設定説明が省かれていた。これに基づいて、戦闘を行っているのだが、アニメでは特に説明がなく、分かりづらいかった。ただし、この要素はなろう系特有のゲーム的であるため、好き嫌いの分かれる点であり、このアニメ版では大胆にカットしたのは正しかったとも思える)

なら、足早で6話だったら、話の内容はかなり抜け落ちて、あらすじレベルになっていただろう。
それではキャラクターの心情をいれ込む余地などない。
話がきちんとしているから、足早で原作補完を読み込んでの必要となる。

その点でも他のなろう系アニメとは違って一般視聴者にも気楽に見られる作品となっていたのだろう。

また、同じweb小説発である『この素晴らしい世界に祝福を!』のアニメでも、1クールで原作2巻しかやっていない。前例はあるので、この展開スピードでも問題がないことは証明されている。
(こちらのアニメ単体では中途半端な終わり。原作自体が次巻へ続くとしているから仕方がない。それでも2期が決定したため、アニメのみの視聴者も満足したはず)

後、『この素晴らしい世界に祝福を!』こちらも『小説家になろう』で投稿されていたのだが、なろう系と揶揄されることは少ない。
それでも他のラノベにはないトンデモキャラばかりだが。
これは出版の際、かなり設定を直して別物にしているためだろう。つまりは編集も入れて、より売れる作品に作り替えている。だから、なろう系とは別物といえる。

3.なろう系ながら、非なろう系

『賢者の孫』と『魔王様、リトライ!』の主人公を比べた場合、賢者の孫は転生以前から女性と付き合ったことがないと明確に感じる、そんな主人公だ。ただ、『魔王様、リトライ!』の場合は交友以上に、女性経験すら感じさせる大人である。
別に変な意味ではないが、こう感じた差がほかのなろう系とは明らかに違う点である。

そこは最終回の話とはなるが、男風呂に入ってきた女性とのラッキースケベで始まるかと思ったら、舌先三寸で会談へ変えてしまう。いつの間にか温泉での秘密会談である。
その上、女性の裸に関しても、相手のプライドを傷つけることなく、フォローしている。
これは裸に抵抗がある少年なら、できない話である。

最も、この話の根底には主人公がえん罪を恐れての面もある。それにしても、大人だから恐れる要素ともいえる。
この場面で少年が主人公なら、ただ女の子から頬を叩かれるレベルでまだ済む。

そして、『なろう界の裏切り者』とまで言われるゆえん、ヒロインの位置づけだろう。

これも最終回の話とはなるが、主人公が拠点を留守にする間、部下に対しヒロイン(幼女)を含めて、自分達に害をなす者があれば、『消せ』と、命令して部下が震えたシーンで、例えると分かるだろう。

これがよくあるチーレムの女性陣を守れていっても、受け手にも説得力ないし、物語の仲間にも恐怖を与えることはない。
第一、チーレムでは他者に守られる必要はない。
(元から強かったり、チートの譲渡があるから)

この作品のヒロインは物語おける足かせである。言い換えれば、囚われのお姫様である。
それに対して主人公のチート能力も完全無欠ではなく、自身を守るだけならまだしも、ヒロインまで守るとなると足りない。だから、強くなる明確な目標となる。

でも、この主人公にはヒロインをそこまで守る理由はない。
なら、なぜ見捨てないのか?
それに関してはこの作品を見ていれば、理由がいることだろうか。

本編でもヒロインのアクに生存スキル《ヒロイン》が習得するシーンがある。
アニメではテロップで一文を流れるだけで説明はないが、原作では低確率で主人公が攻撃を無効化するスキルと説明されている。
ただ、スキルの習得の前で、起きたことは命の危機を助けたとか、愛の告白をしたわけではない。それでも、ヒロインが抱えていた障害を無条件で解消させただけ。

確かに盛り上がる場面ではあるが、他の作品と比べると地味な場面である。
だが、ここにいたる積み重ねで他の作品以上の盛り上がりを見せ、なおかつ、スキル取得という結果にも反映している。

これが他のなろう系なら、無意味に強力なスキルを授けたり、明確なセックスアピールをしてきただろう。

そもそも、ヒロインを守るために容赦なくなることは、作中でシスコン属性をもつ部下にも共感できる部分があるはず。
ただ、この主人公はそれらを超越していた。そこに住む者はもちろん、そこに関わった関係者もヒロインとほぼ同様に見ているからだ。それらすべてを守ることは作中での異名、魔王を主人公が素直に受け入れ、その力を超えようとしている。
結果、部下すら震えさせた理由となった。当然、受け手側も素直に納得させられる。
(公式サイトでも最終話の紹介に村人であるモブキャラだけのカットが載せてある。このカットは作中を見ていれば意味は分かるのだが、それだけ細かいシーンでもアニメ際作陣が意味を持たせているのが分かる)

それはこれまできちんとキャラ内面を描いているから、行動に対する理由となり、言葉にしなくとも破綻していないのだ。

それでも、言葉にすれば明確な決意を見せたシーンであった。

この圧倒的な主人公感が困難な場面でも安心をもたらし、時折見せるギャグとあいまって、ストレスフリーな作品とさせた。
例えて言えば、日本人が慣れしんだ「水戸黄門」のような近い勧善懲悪である。これも昭和、むしろ、王道である。

結果としてなろう系のチート、ハーレムは『魔王様、リトライ!』の前では全否定される。

4.まとめ

昭和、スローテンポ、非なろう系、これらの要素はなろう系を理解していない者にとって十分楽しめる作品であった。

なら、これほど面白い作品が今まで埋もれていたのはなぜか。

文章である本時点ではそれが見えないからだ。単になろう系作品では、多くの人に手に取られることが少ない。評価しても、マイノリティーの意見となってしまう。アニメ化で多くの人に触れられたからこそ、ブレイクしたのだ。
また、なろう系を理解していない者にとっても、このアニメから入る事で原作を手に取って貰う機会も増えただろう。

メディア展開としては成功している。その結果、原作本の売り上げが貢献できれば、2期もあり得る。だからこそ、原作を買って、アニメの続きを読もう。

最後に、『魔王様、リトライ!』の感想は至る所で見かけるけれど(Amazonレビューなどでも)、目立った所や動画では少なかった。
それと自分が感じた点はあまりなかったので今回、このように動画、そして文章にした次第です。

ただ、『魔王様、リトライ!』はアニメ化でブレイクしたが、原作時点でその魅力は初めから備わっていた。それだけにこの結果がある。

そして、他のなろう系アニメの中で異質に映ることになったのは幸か、不幸か。ただ、なろう系を知らない人には、この対比が大きく浮かび上がらせることになったのは、確かだと思う。

その結果、なろう系と非なろう系を明確に線引きできるような作品として、今後、重要になっていくかも知れない。

追記 監督の経歴から見ての側面

【この部分の記事は、2019年10月23日 カクヨムに掲載したものを一部編集したモノとなります】

>これらの演出は大半が昭和生まれのアニメ制作陣にとって、得意とするところだろう。
>だから、原作の持つ昭和臭はアニメ作りには分かりやすかったはずだ。

先に述べたこの点に関して『魔王様、リトライ!』で監督を務めた木村寛氏の経歴を見ると多少、間違いであったと思ったため、監督の経歴から改めて『魔王様、リトライ!』を少し見直したい。

木村寛氏の経歴や参加作品に関しては株式会社ぶりおアニメーションのホームページにも載っています。また、『Wikipedia』の方にも同様な内容が掲載されています。

経歴を見ると、現場で叩き上げられた、流れのアニメ監督といった印象がある。参加作品の方を見て、少し考えが改めないといけないと感じたのは、『ソードアート・オンライン』シリーズにも携わっていること。また、エロゲー関連のアニメ、アダルトな作品までやられている。

この2点を軸に語りたい。

追記 1.『ソードアート・オンライン』との接点

『ソードアート・オンライン』はある種、なろう系の始祖とする作品。このヒットがなければ、なろう系が世に出ることはなかったと、いっても過言ではない。

つまり、この作品に何度と携わっていることで木村寛氏は『魔王様、リトライ!』以前より、なろう系を理解できるだけの経験値があったことになる。
その他の作品を見てもその年代を代表するような作品に携わっているので、マンガ、ラノベの流行はかなり熟知されているだろう。

だからこそ、『魔王様、リトライ!』のアニメへの落とし込みは経験から見ても昭和テイストだけでない事が分かる。

追記 2.アダルト作品での実績

次にエロゲー関連のアニメに関して、こちらも流行が色濃く反映される作品である(平たくいえば、パクリといわなくとも時事ネタの固まり)。
つまり、元になったモノを正しく理解していないと、描き方も分からないことになる。これに関しても氏にとっては経験値がある。

そして、エロゲー関連だけに低予算である。ちなみにアニメで伝説となったキャベツもエロゲー原作である。

その上、一般作でないアダルト作品では余計に条件が限られてくる。ただ、このアダルトというのは、低予算の割には実力のある人間でなければ描ききれない肉体的動きの固まり。低予算、高度な技術を要する相反する作品である。
つまり、監督の仕事としては予算と技術などのペース配分が大事となる。
木村寛氏はアダルト作品を何本か制作に携わっているため、その業界からのそれらの実力は評価されていることを示している。

そもそも、アダルト作品でも実名で監督をしている上、実績で挙げているのはデメリットも決してないわけではない。もはや、いさぎよいというしかない。恐らく、名前を売るためにも実名である必要があったのだろう。
その点でも御自身のプロデュースができる監督であるのが分かる。

追記 まとめ

これらの経験は『魔王様、リトライ!』を作り上げるのに大いに役に立ったはずだ。
なろう系の理解、時事ネタの固まり、低予算管理。
これらは『魔王様、リトライ!』を語る要素としてあげられている。

だからといって、前回語った点も全てが全て間違いではないと思う。監督自身がわかっていても、他の人に伝えるには昭和というのは分かりやすい部分だった。
ただ、木村寛監督の経歴を見ると、その経験が生きた作品が『魔王様、リトライ!』だったと見ることができる。

(そもそも、動画に関しては木村寛氏も御覧になったようで、ある種正解のお墨付きを頂いたと思っている。それでも一から十、合っていた保証ではないのですが)

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ツカモト シュン
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