アニメ『このヒーラー、めんどくさい』を見るのがめんどくさい ~視聴側での再調理が必要な作品
今期のアニメで『このヒーラー、めんどくさい』があるのだが、この評価がなかなかしづらい。世間的には、否定的な意見は多いのだが。では、原作にも駄目かと言われると、その逆で評価されている部分が多い。それでも多くの人から評価されているわけでもないが。
そして、映像コンテンツに対して倍速視聴が駄目と言われる昨今で、この作品だけは倍速視聴推奨という視聴者間での言われたりする。
しかし、このアニメの何処が駄目なのかは説明するのが難しい。
倍速視聴推奨と言われる点からも5分アニメで成立する内容を30分アニメにしているのが一番の問題ではあるのだろうが。
ただ、そういった中で昨今のお笑い番組でも似た傾向があり、このアニメを比較していくことで、面白くない理由が見えてきた。
今回はそれに関して少し語って見たい
■お笑い番組との比較
問題点を語る前に、この作品の原作というか原点まで知っておく必要がある。
『このヒーラー、めんどくさい』(丹念に発酵)はネット投稿された漫画をリメイクされた作品である。
それだけに漫画作品であれば従来、存在すべき編集という制約がない。
また、原点である作品は4ページで主に構成されているだけにTwitterでの投稿を意識した構成になっているのだろう。ここは原点投稿時での動向を調べてないので、推測は入っている。
それでも、4ページを主としたネット投稿を意識して、話が作られていることは各投稿エピソードから見てとることができる。
また、この作品のギャグに関しても、独特というかファンタジー世界でのあるあるネタをしながらも、シュールなギャグで落としている。そして、コントを意識しているのか、喜怒哀楽は見せていても感情の起伏はない。
ここはお笑いトリオである、四千頭身の脱力系漫才に似ている気がする。
最近のお笑い番組は「お笑い第七世代」とか言われたりするが、実際の所は、お笑い第一世代から第七世代までが一同にネタを披露している。それだけに世代差というモノは、あってないようなモノである。確かに見ている側の世代差で反応する温度差はあるが。
家電やパソコンのように世代差が明確ではないのは確かである。
そして、「お笑い第七世代」だけで構成されたお笑い番組はそう見かけることはない。基本は各世代のお笑い芸人が集まって、番組が作られているケースがほとんどである。
『このヒーラー、めんどくさい』において、この点が問題となってくる。
この作品の笑いはシュールがメインで構成され、パロディネタであっても、シュールとなっている。この芸風だけで約30分、続けられる。好きな人でなければ、これでは視聴は拷問にすらなってしまう。
普通、お笑い番組は多様性のある笑いで構成されている。先に語った様に各世代のお笑い芸人による、笑いの多様性によって。また、お笑い芸人の冠番組であっても別々のコントで多様性を確保している。
それだけにテレビアニメでやる以上は、大多数向けに多様性を意識して作るべきではないだろうか。これでは単独で開催されるお笑いライブに事前情報無しで行くようなモノである。
また、漫画雑誌の連載であれば他作品で多様性を得ることが出来る。その上で、この作品の芸風が好きになれば単行本で連続して読めばいい話である。
このテレビアニメの問題点とは、笑いの多様性もなく、シュール一本で約30分間を詰め込んでしまったのだろう。
あの伝説的なクソアニメ、『ポプテピピック』でも多様な笑いで構成で作られたバラエティ番組であることは誰でも分かる様になっている。
この原作にしても好きな人には分かる笑いではあるだけに、一般受けする内容ではない。
それをテレビアニメに対して、多くのクリエイターによって作り上げている。それだけに各世代によって作られたアニメ作品となっていた。これによって、原作の偏った笑いに多様性を生み出している。
また、ファンタジー世界でのお笑い、コントという点でも「勇者ヨシヒコ」シリーズ、その原点である「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」でも多様な笑い、コントで構成されている。それで物語を作り出している。
それだけに『このヒーラー、めんどくさい』のアニメは先駆者から何も学んでいない気がする。
■理解無きアニメ化
では、なぜこのようにアニメ制作が失敗したのか?
先も語った「お笑い第七世代」だけで構成されたお笑い番組は確かに存在するが、それがメインで流されていることはない。
そもそも、『このヒーラー、めんどくさい』はネット投稿された漫画である。この点も「お笑い第七世代」とリンクする部分がある。
それだけにこの作品は老若男女が楽しめる構造ではなく、ターゲット層が限定的なのだ。だが、原点の作品がネットで話題になったことで世代差がない万人受けしている作品として勘違いしたのではないか。
実際、2巻発売のTVCM内で、TVアニメ化企画進行中と書かれている。
2巻発売でのTVアニメ化企画とは1巻時点の反応だけ企画が進んでいたことになる。ただ、連載最初期という、まだ作品が知られてないでアニメ化企画を進める材料としてはリスクが大きい気がする。
しかし、これに似た経緯でメディア展開した作品がある。
それが実写版の『進撃の巨人』である。原作は2009年9月の連載であるが、実写映画化の発表は2011年である。ただ公開されたのはアニメ放送が終わった、2015年ではあるが。
今でこそ、『進撃の巨人』の凄さは知られているが、連載3年にも満たない新人作家の実写化企画が決まるとは、かなり気合いの入りようである。特に巨人と戦うという設定では、映像コストがかかることは明確な作品に対して。
その後の『進撃の巨人』が人気コンテンツとなっていくことを考えれば、初期での映画化企画は、青田買いとしては成功だっただろう。
しかし、当時の4巻ぐらいまで内容で、映画として完成させるのは難題であった。それに作者も当時は描きたいモノがまだ分かっていなかっただろう。ここは連載とともに画力とともに、テーマの描き方も見つけていった印象がある。
それだけに実写版で出来上がったモノは散々で叩かれ、その前に放送されていた完成度の高いアニメと比較されるまで。
それでも興行収入は前後編合わせて50億円以上、黒字ではあったらしいが。
どうであれ、実写版の問題は初期段階での作品理解があまり出来て無かった点が要因の1つではあろう。
『このヒーラー、めんどくさい』でも、この印象が感じられる。映像化に対して理解できないままアニメを作ったと考えると納得できる。
また、最近のアニメは声の収録でも放送の1年前からでもされていると聞く。そして、制作に至っても、全話完成された状態で放送されているとも聞く。
昔は制作が間に合わず、リアルタイムで放送されていたと聞くが、その結果、視聴者の反応を作品にフィードバックすることもできた。そう問題点であっても、修正する機会があったのだ。
『このヒーラー、めんどくさい』は制作側も面白さ、魅力も分からず、その反応を見る機会もなく出来上がったのが問題だったのではないだろうか。
ここも『ポプテピピック』のアニメ化と比較すると面白い。クソアニメと自称する割りにはアニメ化に対して、事前準備がされていることは色んな所で語られていることである。
また、その結果でアニメ化は成功はしないと判断されても強行して、多くの話題性を得ることになっていた。
つまり、『ポプテピピック』はどうであれ原作の難解な笑い、面白さを理解されて作られた作品でもあった。
■アニメが原作をなぞっているだけ
先も語ったが、『このヒーラー、めんどくさい』の原作ではコントでやっているからか、喜怒哀楽は見せていても感情の起伏はない。しかし、アニメというドラマ、物語で描かれる中では感情がないのは恐怖でしかない。
また、原作由来のカメラアングルがアニメでは違和感となっている部分もある。
そこだけでも原作を理解せずに作っているだけという印象がある。
今期のアニメで意外な大穴だったのが『骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中』ではある。この作品はよくある異世界転生モノと思っていたが、異様に面白い。
この面白さの理由は、スタッフロールですぐに分かった。
シリーズ構成の菊池 たけし氏はテーブルトークRPGに長く関わっている人である。ゲーム設定が下地にされることが多い異世界転生モノに置いて、テーブルトークRPGに長く関わっている人には理解が早い題材であろう。
それだけに原作の面白さをアニメで活かすことが出来ていたのだろう。
ついでに言うと今期の別アニメ、『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』は炎上系YouTuberが語る様なクソゲー感で主人公が作中世界を認識いるだけに、私にとって今期一番で不快感が強い。ここは原作由来だろう。
今語っている原作の理解度とは違っているが、それでもアニメ化に対して少し変更することで、改善できた内容でもないかと思っている。そうすれば、もう少しこの作品を愛せそうな気がした。
それだけに理解うんうん抜きにして、今のアニメの多くはただ原作をなぞっているだけという印象が強い。その中でも原作の面白さを引き出すにアニメもあるのだが。
ともあれ、『このヒーラー、めんどくさい』はアニメ制作者が原作の絵をそのままでアニメにしているのだろうと、素人目で感じてしまう。後、なんか『大怪獣のあとしまつ』での制作側での後始末として語った、予想以上に伝わらなかったと思っている感も見えてくる。