希望をみつめて

希望を見つめて生きるのが大切なのかなと思います。

この世界は絶望でできています。

理想を描いても、そうならないことがほとんどです。

しかし、希望が光だと思います。

絶望の中に光を見ながら生きるのが心地よいかなあと思います。

理想を追ってもいいけど、その先には失望もあります。

理想は偶像です。

現実をみるか、盲目的に生きるか、自由です。

ただ、希望を見るのは気持ちが暖かくなります。

それだけでも、現実を生きる価値はあります。

絶望を受け入れるのは少し抵抗があります。

だから、好きなようにしたらいいと思います。

あたたかさの中にいきるのは心地が良いです。

温泉気分です。

今日もこんなあたたかいことがあったなっておもえます。

知っていますか?

もののけ姫をエキサイティングしながら見る人がいることを。

ジブリ はずっとおとなしく見るものかと思っていました。

日本の伝説や、環境問題をベースとしたストーリーは、つい考えさせられてしまいます。

ただ、日本の外から見るとフィクションになるためなのか、クレイジーなことがらにうつるようです。

鉄砲で撃たれ、致命傷を負ったはずのアシタカが、自分の足で歩き、大人10人で開ける重い門を、片手で開けるシーンは、興奮ものです。

しかし、日本のアニメにおいて、死にかけの登場人物が力を発揮するのはセオリーです。

少し話がそれましたが、同じく日本に生きる人たちは、ボロボロになるまで頑張ります。

それは、理想を追う姿なのか、希望の光の中にいるからなのか、見分けはつきにくいです。

自分自身もわかってないかもしれません。

ただ、死にそうになる程たたかうのは、物語の中だけでいいと思います。

理想の世界を描くのが物語だから。

現実を生きる人たちは、生きるために生きて、絶望の中の光を見て生きてほしいです。

生きることを最優先にしてほしいです。

先日、ある本を読みました。

生きづらさはどこから来るか―進化心理学で考える (ちくまプリマー新書) https://www.amazon.co.jp/dp/4480688862/ref=cm_sw_r_cp_api_i_4pOkEbM6CPHPZ

進化心理学とは?と思いながら読み進めましたが、

人は唯一環境に適応する動物だから、生きづらさを抱えるとのことでした。

絶滅しないかわりに、常に考えていかなければいけない運命を持ったそうです。

集団で生きたり、その中で役割を見つけたり、人の世話をしたり、、、

狩猟時代は、役割を見つけなければ、死んでしまうので、常に働くことを考えていたそうです。

今はそうではなくなりました。

したいことをする時代になりました。

働かないことが直接死になることはなくなりました。

その代わりに、ニートなどの問題も出てきたそうですが、なんのために生きるのか、自分探しなど、自分自身でどのように生きるかを模索する時代になりました。

それも、生きにくさになっているそうです。

だから、人は宗教など、外に救いを求めるのかもしれません。

日本は、多宗教文化、無宗教文化、万物に神が宿る、いろいろな認識ができますが、決まった神様を持つ人は少ない国です。

自然が神様なのかもしれません、先祖が神様かもしれません。

学校では教えてくれない神様を一人一人が無意識に信仰しているかもしれません。

共通するのは、希望を何処かに求めていることです。

よりどころがなくなった人が、孤独になり、搾取され、消えてしまうのかもしれません。

月をみても慰められない夜があるかもしれません。

その時は希望を見てみてください。

太陽は直接みるには光が強すぎます。

水たまりにうつった空を見るように、

太陽が作り出した世界を見てみてください。

どのように見えますか?

世界がひっくり返ったように見えませんか。

見方によって、この世界はどうにでも変わります。

天が地になり、地が天になります。

手に届かない青い空が、

目の前の水溜りに落っこちているのです。

違う見方があるということを知ります。

水のおかげで身近に空を見ることとができると気付きます。

太陽を手に入れようとするよりも、

その光で健気に咲いている草花を大切にしませんか。

栄光を手に入れようとするよりも、

その成果をたたえませんか。

手に届かないものを攻撃して、

傷つけて撃ち落とそうとするよりも、

ひとりひとりが今できることを考えませんか。

オーストラリアの火災が未だなお続いていることを知っていますか。

芸能人の離婚よりも、当事者たちを批判することよりも、世界に目を向け、絶望に目を向け、

一緒に希望の光を見つけませんか。

なにもできなくてもいいです。

そんな自分を責めなくても大丈夫です。

なにができるかを考えることからはじまるので、なにもできなくて当たり前です。

自分にできないこと、自分がやりたかったことをしている人がいるかもしれません。

それはその人ができることなので、真似しなくても大丈夫です。

明日も生きれるかわからない人が募金をしたり、しなくていいです。

募金をしましょう、その言葉に責められた気持ちになるかもしれませんが、しなくてもいいです。

それより、目を向けてくれてありがとうございます。

絶望に、希望の光に。

希望は一人一人の行動です。

絶望もまた一人一人の行動です。

希望の光になりませんか。

絶望の中の。

地球温暖化が、火災を引き起こします。

地球全体の温度が上昇し、火災が発生しやすくなっているところに、乾燥によって激しい火災が引き起こされたそうです。

その地球温暖化の原因は、オーストラリアだけにあるわけではありません。

電気の使いすぎや、排気ガスによる、大量のエネルギー消費、直接的な温度上昇など、人間が生きているだけで、日々地球温暖化は進んでいきます。

電気をこまめに消したり、車ではなく公共機関を使うことを心がけるだけでも、めぐりめぐって、世界で起きている問題の改善になります。

一人一人の小さな力が、大きな力になります。それが悪いことでもいいことでも。

今もなお、置かれた環境で生きるしかない動物たちは消えていきます。

そこで、適応できる動物がなにをできるかという、同等のラインで考えることが求められます。

人間も動物です。

永遠の種族繁栄を約束された唯一の動物です。

そうではない弱い生き物のために小さなことからはじめたいです。

守られようとするから、そうではないときにつらいし、愛されようとするから、そうではないときにつらいし、偉くなりたいと思うから、そうではないときにつらいし、思い通りにしたいと思うから、そうではないときにつらいです。

守られるより守って、愛されるより愛して、偉くなるより謙虚になって、思い通りにするより願うことで、少しはいきにくさもなくなると思います。

それが、絶望の中で光を見る方法です。

なかなか難しいので、できたらすごいです。

深刻に生きても、ボロボロになるまで戦っても、自分を消耗するだけです。

それはフィクションの中のアメージングなことで十分です。

それより、その物語をエキサイティングに楽しめるよう、目に希望の光を取り戻しましょう。

以上です。