
「私」の所在を問う。
「私」とはなんだろう。
「あなた」とはなんだろう。
私の正体は神経細胞の連結。
ヒトの本質は意思決定であると思っている。
そして、意思決定の基盤は学習(=脳の神経細胞の連結)だと思う。
何故なら、人が何か判断するとき、必ず今までの学習に裏打ちされた価値観のフィルターを通すためだ。
学習は、とてもオリジナルなものだ。
学習は
私の生得的特性×私の歴史
によって形作られている。
だから、学習によって作られる意思決定装置たる私は、物凄く唯一無二の存在に違いない。
林檎の例えをひとつ。
私とあなたが同じ林檎を見たとする。
先ず視点が違う。
私とあなたでは身長も立っている点も異なる。
席を代わってもらえるかもしれないが、同時観察は不可能だ。
さらに、知覚が違う。
同じ赤を見ても、違う赤を見ている可能性が高い。個々人の遺伝的特性から同じ赤に異なる情報処理結果が導かれる。
その上、歴史が違う。
私とあなたではどんな「林檎」を身近に感じてきたのか異なる。
だから同じ林檎が別のものと結びつくかもしれない。
ex)iPhonのメーカー、椎名林檎、庭の木、青森、ニュートン、アダムとイブ…。
この積み重ねが、発想になって、意思決定になる。
この積み重ねが、私の、あなたの基盤だ。
私は、あなたは、誰がなんと言おう、オリジナリティの塊なのだ。
素晴らしい。
「ありのまま」
ところで、私は「ありのまま」みたいな、生温いベタつく優しい言葉が嫌いだ。
ありのままでいるだけで自分らしい、
という言説は半分本当で半分嘘だと思う。
確かに、ありのままでいるだけで、
私のオリジナリティは蓄積され続ける。
意思決定基盤のオリジナリティが私の私性ならば、それだけで私は私という個として唯一無二だろう。
しかし、唯一無二であれば何でもいいのか。
我々はみな唯一無二だ。
しかし、現実問題、それだけで何かの問題解決になっているとは思えない。
誰が、そんな甘言に救われるのだろうか。
救われてはいけない。
だから、オリジナリティは磨かれ続けなければならない。
「磨く」って何だよ、って方、ご安心下さい。
多分続きます。
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