おじぎをする
わたしがまだ子どものころ
母はデパートで働いていた
あ、いや、わりと最近まで
勤続40年はゆうに越えてたから
なかなかのベテランパートだったかと思う
父とお迎えにいくと
てけてけ走り回るわたしをみつけた
他の店員さんが母を呼んで来てくれる
「従業員のみ」とかかれた
グワングワンまわる扉の向こうから
出て来て母は深くおじぎをする
誰に、とかじゃなくてフロアに
へんなの。とおもっていた
娘のわたしがここで待ってるのに
誰におじぎしてんの?そんなゆっくり。
そして娘にかけ寄り小さな声で聞く
「大きくてまずいソフトクリームと
小さくて美味しいソフトクリームとどっちがいい?」
まずいのが大きかったら苦痛でしかないはず
なのに「大きい」「ソフトクリーム」という
好物なワードに悩まされる。しかもそこには
◯色◯号みたいなきれいな色のついたソフトクリームがある。ピンクも白もミックスも出来る。
今思うとおもしろいけど、真剣に悩んだ記憶。
そしてゆっくり、娘より10メートルくらい
うしろにいる父に「◯◯で」とつたえると
3分くらい売り場を整理して、そして
また深く深くゆっくりおじぎをして
グワングワン扉のむこうに戻っていく。
食べたいソフトクリームの場所は
待ち合わせの場所。
父はコーヒーを飲みわたしはソフトクリームを選ぶ。
店員さんの母が、私服のお母さんになって
その店に現れる、そしてソフトクリームを頼む。
もうおじぎなんてしない。お母さんもお客さん。
35年前の記憶。
ここ数日、わたしは都内の某有名デパートで
仕事をさせてもらった。ほんの数日。
朝から嵐のように店内を走り回り
バックヤードというグワングワンする扉を駆け抜ける
汗だくのオープン時間。
それでも忙しいデパートは常に品出しのために
グワングワンする扉を行き来する。
走って通るひともいる。振り向きざまに
体は扉を、頭だけ店内をむいて
ペコっと頭を下げるひともいる。
考え事をしているのか振り向きもせず
足早に通り過ぎていく人もいる。
これだ!
とわたしは思った、35年前の母が見えた。
どんなに急いでいても、180°向き直り
深く深くおじぎをしてみた。かっこいい!
誰に?でもなくフロアに。
そして振り返って、グワングワン扉を抜けると
猛ダッシュ。そしてまたフロアに戻るときに
深くおじぎをした。かっこいい。
そんな事をしているひとは誰もいなかった。
世間はみんな忙しいのだ、追われている。
どんどんヒトが、おじぎをしているわたしを
抜いていった。かっこ悪い。
たとえ納品が2秒遅くなっても
それは母の教えだ、とおもえた。
お客さまが待っている、とはいえ
2秒だもん。3分待つなら3分2秒もかわらない。
自己満のおじぎをすると
とてもいい気分でフロアに戻れた。
笑顔に戻れた母の教え。
いいこと教えてもらったなー。
むかしハテナだったことが
35年経ってようやく理解出来た。
おじぎは尊い。
人に床にあたまを下げて心が洗われるなんて。
デパートの教えとしてはお客さまへの敬意
かもしれないけれど
その2秒はゴッタゴタのバックヤードから
ピッカピカの店内への気持ちの切り替えに必要な
アタマをリセットする時間だとおもう。
いや、おもった。
そんなバタバタな催事はもう終わったけれど
おじぎは一生わたしを支えてくれるだろうな
母の背中を追いかける。
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