1113豊洲にて
豊洲の映画館、土曜の夕方。
ボロボロボロボロ号泣していた。一度観たライブなのに。
涙で塩味が強くなってしまったポップコーンは、大量に余ってしまった。
田所あずさオンラインライブWaver試写会が終わり、ブルーレイのブックレットを読み直した。すぐ手紙を書き始めた、何度もnoteに下書きをした。でもずっとうまくいかなくて、時間だけが経っていく。いつもそう。
9年近く追っかけてると、俯瞰でなんて見れる訳がない。良くも悪くもそこには、酷く主観的な歴史ができてしまう。
きっとnoteなんて最も向いていない。それでも俺は、インターネットに怪文書を垂れ流す。
アホみたいにライブ中に騒いでた、あの日の自分を思いだす、懐かしい。知らんオタクと向かいあって「わーーーっ!」とか叫びあったり、「ありがとう!」と吠えながら抱き合ったり。感情の発露。
少し大人になってしまった俺は、ここが新たなアプローチ。インターネットに怪文書を垂れ流す。感情の発露。
上手く言語化したい気持ちと、言葉になんて表せてたまるかという気持ちがせめぎ合う。人には向き不向きがあるので、幸か不幸かいつも後者が勝利する。だからこそ書こうと思える。
彼女は昔から「変わりたい」とよく言う。
そんな姿に俺はいい意味で、変わらなさを感じる。
勿論、彼女はどんどん成長している。歌唱力、表現力、演技、舞台上での立ち振舞い…
そして今回、何より分かり易く大きく変わったのは、制作に対してのアプローチ。
それでも俺は彼女に「変わらないね」って言いたい。
いじわるだから。
人間としての根っこ、本質的な変わらなさ。小さなステージで出会ったあの日から、今この瞬間までずっと。
彼女はいつも、自分のことが嫌いだ、あーだこーだ言ってた、でもそんな彼女のことがずっと大好きだ。
例えば、詩が「コトバ」を媒介にして、本質に手を伸ばす試みなら、彼女は今回「Waver」という作品を媒介に、いったい何に手を伸ばしたのだろうか。そして俺はそんな「田所あずさ」を通して、何を視ようとしているのだろう。
何度も、何年も、捉えられるはずのない彼女の本質を掴もうとして、本人に伝えようとしてきた。でも今回のライブを大画面で観ながら、なんだか解釈や想像は、もはや野暮なのかなぁと思った。
たしかに彼女の内に在る、それだけで充分すぎる。
最後のMCで語ったこと。
結局のところ私は自分の人生しか分からないし、みんなの願いを全て叶えることはできないけど、でもだからといってみんなと私を完全に切り離して考えることもできなくて、でもその複雑さがすごくいいなって思って、他人だけど他人じゃないみたいな。〜
俺はかつてないほどに愛を感じた。どんな甘い言葉よりも、どんな立派な言葉よりも、オタクへ対しての誠実な愛の言葉だ、そう受け止める。
俺はどんなに近くに居ても、何度軀を重ねても、極論人と人とは分かり合えないと思ってる人間だ。でもこれだけ色んな壁があって、距離があっても強烈に分かり合えたと思える瞬間が一瞬でもあるなら、きっとこれがオタク冥利なんだろう。
壊れるほど愛して、1/3も伝わると思うなんて傲慢でしかない。少しでも”本当のこと”が伝われば、それは奇跡である。
だから、俺は今日も怪文書を垂れ流す。
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