やっと仏壇を処分できた宗教3世
30代・女性・創価学会3世ですが今は全く非活動です。タイトルどおり、仏壇を粗大ゴミとして処分してきました。仏壇の中に入っていたご本尊(創価学会員が大切にしている巻物)は母親宛に郵送しました。
母に会わなければいけない予定があり、二人きりになれたタイミングで「ご本尊はもういらない。もう手放したい。」という話をしました。
話をする前から、激怒するか、悲しむか、呆れるかどれかだろうなと思っていました。それを想像するだけでも、母親を重く感じて、辛くて悲しい気持ちになりました。母親と創価学会の話で向き合うことが本当に苦痛でたまらないので、ご本尊は自分の部屋の押し入れにしまい込んでいました。母が生きているかぎりご本尊を持っていなければならないと思っていましたが、毎日報道される宗教2世のニュースを見ていて、所有していることがばかばかしくなりました。
信じてもいないものを一生背負わされること、たまたま生まれた家が宗教に熱心だっただけであること、そんなことに翻弄されて心が疲弊していることが、本当にばからしいと思えたからです。
母に話そうと決めてからは、緊張したり気が沈んだりしていましたが、いざ話してみると、なぜ嫌なのかをはっきり言語化して話すことができました。
notoに気持ちを吐露していたので、かなり頭の中も整理されていた気がします。母親の反応は思っていたとおりだったので意外と冷静に話ことができたと思います。
母「なんてひどいことを言うの?」→私「自分の信じたいものを自分で選んで生きることの、なにがひどいことなの?」
母「ご本尊様はあなたの命より大切なものなのよ?」→私「自分の命は自分のものだし自分で守るから。創価学会でしか通じない考え方を押し付けないでほしい。」
母「そんなことしたら福運がつめなくなるのよ?」→私「創価学会員じゃない人で幸せに暮らしている人はたくさんいるよ。私は今まで自分で自分の道を選んできた。自分の心に素直に生きるほうがよっぽど幸せだよ。お母さんと私は親子だけど、考え方は全く違う人間。私はお母さんの所有物じゃないよ。」
30分くらいこんな感じで反論していたら、母も黙りました。「じゃあ預かっておくわ」と渋々言ってくれたので、心から安堵しました。創価学会や宗教を否定したり非難している訳ではないということも話ました。
思っていたより緊張していたのか、家に帰ってベットの中で、ぼろぼろ泣きました。思っていたことをやっと言えて肩の力が抜けたのと、結局母親と理解し合えることは一生ないんだと思うと苦しくなりました。母のことはやっぱりとても好きで大切な存在だと思っているのに、宗教のことについては一生理解しあえないままなんだと思うととても苦しいです。
母と話をするまでもなく、もっと早く巻物なんて捨てればいいのでは?と無宗教の人は考えると思います。でも生まれたときから宗教が当たり前にあって、母親から大切なものとして刷り込まれてくると、母や家族を裏切るような気持ちになるので、切り捨てるのはとっても難しいです。
ご本尊を手放せると思ったら、翌日さっそく仏壇をゴミ処理場に持って行きました。ご本尊はすぐ実家に郵送しました。仏壇はたったの200円で処分ができて、クローゼットの中も心もスッキリして、なんで今まで捨てられなかったのか、不思議に思えたくらいでした。
20歳ごろには白蓮をやり、地方議会選挙では遊説隊と呼ばれるウグイス嬢も経験し、公明党にも何度も票をいれてきた。お題目も私なりにたくさんあげた。それで十分創価学会には尽くしたと思う。創価学会側からすれば『反逆者。裏切り者。罰があたる。』そういう側の人間になるんだと思う。でもこのまま自分の気持ちを押し殺すくらいなら、私は反逆者でいいです。母親とはいえ人間なので理解しあえないことはあるとわかっています。私は私で生きていきたいです。自分が何を信じるかくらい自分で決めたいです。