T(私)のフリーター時代③ 高永という女性について

真実の愛を知る時があるのならば、真実の恋を知る時もあって然るべきだ。

真実の愛に比べて真実の恋とは、そう探すことに難儀するものではないのではないかと私は考える。
たとえその想いが自分本位のものであっても、どんなところに惹かれていたとしても、心惹かれるのがその人しかいないという想いがあるのならば、それは真実の恋なのではないかと私は思っているからだ。
恥ずかしながら、高校生どころか中学生ですら既に知っていてもおかしくない真実の恋を私が知ることになったのは、フリーターとなってからであった。

小学校時代の話を読んでくれた方にはわかるだろうが、私は昔から惚れっぽい性格だった。
好きな相手や交際相手がいる時でも。他の女性が気になってしまうのは日常茶飯事だった。
私は、ある程度自分の好みで私のことを好きでいてくれる女性ならば誰でもよかったし、いくらいてもよかったのだろう。
そんないつ浮気してもおかしくない、失礼極まりない恋愛観の持ち主である私だったが浮気だけはしたことはなかった。どんな相手でも私から振ったこともなかった。
それはご立派な理由からでもなんでもなく、それこそまさに私の恋が偽物であった何よりの証拠である。
浮気をしなかったのは、浮気がバレて交際相手に離れていかれることが怖かったから。
振らなかったのは、交際相手がいないという孤独が怖かったから。
詰まるところ。私の恋は、ただの依存でしかなかった。
フリーター時代、一人の女性に出会うまでは。

書店の同僚に、高永さんという女性がいた。
歳は私と同じだった。一浪こそしていたが、池山さんと同じく私大の中では最上位と言える大学に通う学生だった。
彼女の印象を一言でいうなら、芯の強い女性だった。
常に自然体で、誰かの顔色を窺い過ぎることもせず、必要以上に愛想も不愛想も振りまくことをしなかった。
我慢や物怖じや依存とは無縁そうな、私とは真逆の存在に見えた。
こういったタイプの女性を間近で見るのは、私の人生においてははじめてのことだった。
格好良い、と。女性に対してそういった憧れの気持ちを抱いたのもまた、はじめてのことだった。
高永さんの人となりを話して知る内に、私は彼女に夢中になっていった。
外見だけでなく中身も好きになっていく感覚を味わっていくのも、当然初めてだった。
私は彼女の虜になった。彼女でなければ駄目だと、その時は間違いなく感じていた。

だが、彼女は彼女だからこそ私に恋してくれるはずがないこともまた分かっていた。
芯ある人物だからこそ、彼女にとって私という人間の本質は丸見えだったのだと思う。
大した覚悟も努力もないくせに現実から目を逸らして夢を追い続けている、滑稽な人。
良くて、その程度の評価だったと思う。
唯一幸いだったのは、退屈な人とは思われてはいなかったということ。
職場では馬鹿を隠すこともなく道化を気取っていた私は、退屈潰し程度の価値は誰からも認められていた。
私は見栄や虚言や誇張を用いて、個性的で面白い人、と錯覚させる能力にだけは長けていたから。
そんな私を見て、高永さんは一瞬ではあっても私に一かけらの可能性を見たのだろう。

「Tさん、大学に行く気はないんですか? 私の大学。受けてみてくださいよ」

それはいつの日だったか、高永さんはそんな思わせぶりなことを微笑みながら私に向けて言った。
勿論これは、私と一緒に大学に通いたい、という私に都合のいい意味での発言ではない。
どう贔屓目に見積もっても、半分以上は冗談の気持ちで、僅かながらは私に大学進学への可能性を見てくれただけのことだろう。
だがそれは、池山さんとの話で大学進学への気持ちが芽生えつつあった私の背中を押すには充分な一言だった。
もし。もし、高永さんと同じ大学に行けたら。少しくらいは、彼女と付き合える可能性も芽生えるのではないか?
そうして私は、大学受験に向かって進み始めることとなったのだ。
高永さんへの真実の恋が最後の一押しとなって、私の道を変えたのだ。

……最も、高永さんへの恋はここから始まることもなく終わってしまったのだが。
受験勉強を進めると決めて少し経ったある日のバイト帰り。
私は高永さんと一緒に駅のホームで電車を待っていた。
高永さんと私は帰りの電車が一緒ではあったが、基本的にシフトが合うことは少ない。
加えて、高永さんに帰りの時間が合うたびに一緒に帰ろうと誘う度胸はなかった。
私は職場の中では高永さんとよく話す方だったが、いや、だからこそ彼女がそんな私にも一線を引いているのはわかっていたから。
なので、私が高永さんと二人きりで一緒に帰れたことは片手で足りる程しかなかった。
だからその日、シフトの時間が一緒だからと言って、高永さんが私と一緒に帰ってくれたのは私を舞い上がらせるには十分な出来事だった。
でも、思い返せばその日は少しだけ高永さんの様子はいつもと違った。
彼女は無口ではないが、必要以上に喋る人でもない。それは仕事中であろうがなかろうが変わらない。
その日、職場から駅までの十分にも満たない時間の中での高永さんの口数はいつもより多かった。当時の私はそんな高永さんを見て、少しは心を開いてくれているのだろうか、等と思ったものだが、今思えば勘違いも甚だしい。
誰にでもいいから話したい。それくらいの悩みを抱えていた時に、たまたま近くにいた話しやすそうな人間が私だったというだけの話だ。
ひとしきりの雑談をした後、高永さんは私にとっては無情な悩みを告げた。

「彼氏が構ってくれないんです。親にも私という彼女がいることを言ってくれていなくて。私はこんなにも大好きなのに」

致命傷だった。
彼氏がいるということには勿論ショックを受けたが、高永さんの口から次々と出てくる彼氏への不満や悩みには、強い愛が根本にあるからこそのものだとわかるくらい、話している彼女の表情は乙女そのものだった。それが、最も私の心を抉ってきた。
私に乗り換えるだとか、そんな邪な思いは微塵も感じなかった。
ただ、溢れんばかりの恋の悩みをぶちまけてしまうくらいに彼女は恋していただけだ。
その時私がどう返して、何を話しながら帰ったのかは全く覚えていない。
ただ一つ、私の恋が死んだということは認めざるを得なかった。
それでも、私にとっては初めての真実の恋だった。
だから、振られても、どんな惨めさを味わってもいいから気持ちだけは伝えたかった。
死には葬式が付き物である。弔ってやらねば、前に進めないのだ。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、告白する為に高永さんと一緒に帰ろうと誘ったのhではあるが敢え無く断られてしまった。聡明な彼女ならば、私の心の動きなどお見通しだったのかもしれない。
そこからはシフトがしばらく合わない日々が続き、やっと会えたかと思えば高永さんはまたも私に痛恨の一言を放った。

「私、今月いっぱいで書店(ここ)やめるんですよ」

それはもう、本当にどうしようもない死体蹴りの宣告だった。
その日は結局、退勤時間も被らなかった。なので、私に残された道は一つ。
LINEで告白することだった。
結果は言うまでもなく、「ごめんなさい」。
わかっていた。わかっていたことだが、ちょっと泣いた。
泣きながら、事情を知る職場の後輩に電話で慰めてもらった。何とも情けない話である。

兎にも角にも、こうして何年か遅れて私の受験勉強はスタートすることとなった。
大西さんには一石を投じてもらい。
池山さんには光を灯してもらい。
高永さんには背中を押してもらい。
他の同僚達にも応援してもらった。
夢を諦める未練はあったが、それは大学に入学出来たらその後にでも考えればいい、くらいには色々と吹っ切れさせてもらった。
とはいえ、私は熱しやすく冷めやすいタイプ、言ってしまえば飽き性である。小説ならともかく、今まで徹底的に避けてきた勉強に対してとなると、モチベーションの維持が難しくて受験失敗、となるのが関の山だったろう。

そういう意味で言えば、私に最も必要なものは原動力だ。
それを与えてくれる相手にすら同じ職場で出会えたのは、幸運だっただろう。
いや、訂正する。奇跡だった、と思う。
モチベーションどころの話ではない。
何故なら"彼女"は私に、真実の恋だけでなく。
真実の愛をも教えてくれて、今なお誰よりも大切な存在として私の隣にいてくれているのだから。
そんな私の人生を大きく変えた"彼女"の話は、また次回かそれ以降に。
何しろ"彼女"に関しては、語るべきこと、語りたいことが多すぎるのだから。



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