ウェブ小説とそれに近似する漫画の動向について(書きかけ)

書きかけながら、途中でお蔵出し。

「これ雑誌パッケージが壊れたことと関係あるのかもですけど、やたら一つのジャンルだけが極端に隆盛して、そればっかりになるのがなんだかなーと。なぜあんなに異世界転生と悪役令嬢ばかりなんだ……。」という言葉をみて、自分だと多角的な説明が可能かもなーと思い、いろいろ書き出してみることにしました。

その瞬間は「ざっと言うと、昔なら、男性向け時代小説、女性向けレディコミの枠がこれだからなのと、ウェブ小説ほど男女それぞれのジャンルコードが狭くなりやすい(客の目を引くノウハウが定番になってそこにみんなすがるから)のと、あとは安価で生産できるコミカライズ企画に漫画媒体が依存しているのもありますね…」と返答したんだけど、もっと論点を増やしたり絡み合ってる状態を書くこともできるだろうし。


というわけで長く書いてみることにしましょう。前の雑まとめと重複しますが、まずは客層とジャンルのコテコテぶり。

男性向け

 男性向けでは、ふた昔やその前には時代小説がエンタメ小説のかなりの部分を占めていて、60年代に書かれた尾崎秀樹の大衆文学論も紙幅の大半を時代小説に費やしているぐらいなんですが、この巨大覇権はその後失われるんですね。80-90年代にはエンタメ小説というとSF、ミステリー、伝奇、わりと傍流にミリタリや戦記がある、という感じじゃないかと。とはいえ小説だけが成立していたというよりはエンタメ映画のトレンドと並行的に把握した方が良さそうですし、密接に絡んだのがスティーブンキング作品だったり日本だと角川映画ですね。80-90年代の漫画ではアニメやゲームからの吸収とこれらエンタメ小説やエンタメ映画からの交差点として把握できる。80-90年代というのはノベルスのレーベルで小説が山ほど出ていた時代ですが、このジャンルを、名作も泡沫作品もまとめて振り返るような仕事もないので、ひたすら忘却されるに任されていますね。ウェブ小説のあり方は、まずは、これらジャンルエンタメの泡沫エリアやノベルスの現在形だと見ればよいと思います。


ノベルス棚との対照

 書店のノベルス棚は年々衰退していっているんですが、代わって台頭しているのがウェブ小説の書籍化棚で、このエリアには10年前ならボカロ動画千本桜とかインディーホラーゲームの青鬼のノベライズが売っていましたね。10年代半ばぐらいから角川がウェブ小説の書籍化でじわじわ台頭して、棚の面積がかなり増加中。この頃の作品を見ると、作家もわりと中高年なのがわかります。新ジャンルなら新世代なの?と思ってるとここで誤解するんですが、むしろ「ちょっと古臭いジャンル小説が、加齢があまり響かないゲーム風異世界小説をやることで再燃した」という面がある(なにせ『魔法科高校の劣等生』作者は現在60歳前後)。RPG世界かと思いきや戦争ものになって行く、という匙加減も、90年代架空戦記と00年代における改変、さらにそれの変形、と見た方が繋がる。「学園もの」縛りがそれなりにあったライトノベルのメインストリームでは、読者の加齢化に対応しづらかったんですが、「アラサーおっさん/女性が異世界で活躍」とか若返り転生だとかが、結果的に対応枠となった。これは男女問わず生じました(が、この連続性で捉えること自体が、ラノベレーベルでウェブ小説が書籍化された後の状態から振り返って生み出されているおそれはあります。第一、初期のウェブ小説自費出版の系統では『いま、会いにゆきます』の市川拓司の初期作などが含まれるからです。その頃からロマンスが多いし、この時期のケータイ小説との対比も必要でしょうね)。10年代前半ごろはわりと中高年路線も目立つんですが、その後は30-40代書き手も参入したので、作家の年齢は作品によってまちまちです。

 これらレーベルは、10年代末から20年代初頭には廃れるのでは?ぐらいの予想もあったんですが、そうはならなかった(この理由への私見も後述【後述ポイント①】)。


女性向け

(映画と小説へのリンクの強さ)

 女性向けエンタメの戦後史といったスケールの把握が私は十分ではないんですが、ウェブ小説/女性向けエンタメ小説/映画/漫画のもつエリアや重なり合いとその変化を考慮する必要があります。ここは男性向けならウェブ小説/エンタメ小説/映画/漫画の重なり合いとその変化を考えることになるんですが(これも後述【後述ポイント②】)、男性向けのエンタメと比べて、女性向けでは漫画とエンタメ小説や映画の結びつきが独自の強さと体系性がありますね。平安文学から幻想文学にまでまたがる系譜があり、漫画からでもそれなりに参照のネットワークがある。男性向けだと、もっと世代ごとに教養断絶が大きく、排他的縄張り構築によって相互の参照は鈍くなる印象があります。これはセクシズム社会なのと若年世代の人口ボリュームの大きさゆえに若い世代が「自分たちの文化」を仕切って押し出すだけで勝利できたって側面が強くあるんじゃないかと思いますが。男性だとそのように世代が排他的利益独占集団の形成に結びつきやすくなる一方で、女性文化は別のベクトルがはたらく印象です。とはいえこれは内部の学級会的・隣近所的な相互監視と作法の世界にもなりやすいだろうし、「女性的共同体で救われなかった人」といったタイプも生み出すんだろうなあと思いますが。とはいえ上記見解は、私のミソジニーが混ざっているかもしれず、あんまり声高に言えるものではないですね。それらの効果もあり、「漫画から文学と映画への参照とその理解」が比較的強い。他に女性に独自に強い教養体系があるとすると、舞台芸術でしょうか。オペラやバレエ、宝塚などの系統ですね。

 また他方で、女性向けエンタメは、男性向けエンタメの閉じた(つまりコテコテのソフトポルノ作品など)作品が泡沫作品としてそれらしいレーベルから出るけれども、書店ではかつてのノベルスと同様に大っぴらな場所にあるのと比べると、同じようなコテコテ閉じコンテンツでも「女子向け文庫レーベル」などで隠れている面があります。これはふた昔前の「ピンク」パッケージと同じで、避け機能と防護壁を兼ねているのでしょう。このように、コテコテの閉じコンでも男女で現れ方がぐっと違ってくる。

 ここまでの話をしたのは、ウェブ小説が書かれる上で、どの程度、かつどういったジャンルのエンタメ小説や映画などが参照されてるかにおいて男女差がわりと大きく、また、同程度に願望充足とロマンスや性愛に絡んだコテコテの製品っぽい作品であっても、そのレーベルやマーケットの現れ方が男女でかなり違ってくるという点を強調したかったからです。これらの特徴がウェブ小説では濃厚に見られるため、ウェブ小説と書籍化(また、オリジナル小説が隣接したレーベルから刊行される動きも含む)の現状の前史になる。

(泡沫漫画の動向変化)

 男性向け漫画なら大昔なら貸本、その後なら青年誌(かつてヤング誌という呼び名が80-90年代にあったころ、ヤング誌にカウントされなかった漫画アクションとか漫画サンデー、ビックコミックオリジナルの方)やヤング誌(00年代にはこの名称は廃れたので今では「青年誌」と呼ばれる。※先日のすがやみつるツイートがこの情勢に関する精度の高いまとめになってますね)、重複する方面として70-80年代ぐらいまで官能劇画とか「三流エロ劇画」とか呼ばれた方面が該当する(昔の米沢嘉博が三流エロ劇画というジャンルの概説を書いたりしてますが、山上たつひこも一部カウントされる方面ですね[米沢嘉博「SEXは桃色上気から蒼ざめる」、『別冊新評』48号、1979年春、「全特集 三流劇画の世界」])。女性向け漫画ならレディコミ誌や女性誌などで連載されていた枠が相当していて、これらの方面全体が廃れた結果、異世界とかファンタジーの装いで中高年向けマーケットとして再編されている面があります。ただ、この方面をつぶさに比較していくと、男女それぞれで暗黙に参照している文化や作品が違うため、それらを掘り下げる必要がありますが。エンタメ小説との接点は、私見では女性誌漫画の方が強いように思います。文庫で小説を読む層と漫画を読む層の連続性がより強い。そして、この違いがウェブ小説にも反映されている。

 青年~中高年男性向け漫画誌の情勢でいうと、2004年から本編・外伝と展開させて長くヤングマガジンで『センゴク』を書いていた宮下英樹が少し前まで(2022-23年に)コミック乱で関ケ原の漫画を書いたりもしています。ノベルス小説で定期的に濡れ場を仕込むのは赤川次郎もやっていましたが、さいとうたかを漫画の時代小説コミカライズにもあり、こういう「なんだか適当にソフトポルノ要素が入る」特徴は現在の青年~中高年誌とレディコミでは目立つように思います。FANZAやDLsiteで販売する成人向け漫画ではないのがポイントで、ロマンスなのかご都合主義のソフトポルノなのかがあやふやな、それゆえに全体的に「安っぽく見られる」枠。ヤングジャンプで00-10年代に長く書いていた岡本倫がいまではヤンマガでこの手の安っぽい青年誌異世界ポルノものをやっていますが(『パラレルパラダイス』2017-)、講談社のシリウスや集英社のヤングジャンプで長く書いてた光永康則がいまシリウスで書いてる異世界ものもソフトポルノものです(『時間停止勇者』2019-)。作画が別の人で光永原作の異世界ものとかもありますが、これもソフトポルノ調整強め(『異世界狙撃手は女騎士のモフモフ愛玩動物』月刊ヤングキングアワーズGH, 2020-)。岡本の『パラレルパラダイス』は、同じくヤンマガに載っている女子刑務所の凶悪犯美少女が半裸で殺し合いしている山田恵庸『サタノファニ』(2017-)と異世界を除けば同じような作品で、こうした事例をつぶさに見ていくと、現在の青年~中高年男性向け漫画誌の構成要素でソフトポルノ、犯罪、アウトロー、ヤクザ、ギャンブルが非常に目立つことがうかがえます。しばらく前のヤンマガの『王の病室』がろくでもない作品だったわけですが、アウトローコンテンツで露悪オピニオンを垂れ流しにしたらああなった、というケースでしょうね。ルポルタージュやジャーナリズムを一旦経由している語り口なのが最悪、ということになるんでしょうけど。モーニングに載った『テロール教授の怪しい授業』もその手のひどい作品なので、こういうのは漫画編集者のスキル不足の方が原因かなあと思ってます。

 これらは、「現在の青年誌全体が陥ってる状態」を示すものであり、90年代にビッグコミックスピリッツやヤングサンデーが体現していたようなテレビドラマ化を狙う企画の路線がいまや低迷したことと相関的です。また、80年代から00年代頭ぐらいであれば、加齢するにつれて漫画家は、男性なら週刊漫画ゴラク、漫画サンデー、週刊漫画TIMEに流れ着くとか、さらに格が高いとビッグコミックオリジナルで書く、といったモデルがあったと思うんですが(女性漫画家でこれらに対応する誌面の方はよく知らないので割愛です)、そのモデルが現在では成り立たなくなっているということでしょうね。むしろ週刊漫画TIMEには、女性作家の書く、男性客メインで女性客も視野に入れる作品『妻、小学生になる』が載っているぐらいのねじれた状況がある。

 ソフトポルノからアウトローまでの構成養素はヤングマガジンが特に典型ですが、ヤングチャンピオンも同じようなものですね。ヤンチャンは犯罪とギャンブル多めで異世界ものを載せてないんですが、別冊ヤングチャンピオンはウェブ小説型の戦国ものをいくつか掲載しているし、電子雑誌どこでもヤングチャンピオンは9割型「ウェブ小説のコミカライズ」です。角川におけるドラゴンエイジ、女性向けだとビーズログコミックスが同じような「ほぼコミカライズ企画だけでできている誌面」で、秋田書店もそれをやりだしたという状況ですね。この種のコミカライズ主導雑誌のあり方は、KADOKAWAとスクウェア・エニックスが00年代に花開かせた枠です。かつてはラノベやゲーム、アニメからのコミカルが山ほどあったんですが、それらがウェブ小説原作や文庫レーベルオリジナル小説原作などに軸足が移っている。全体としてはコテコテ側面はけっこうましています(が、ラノベと深夜アニメのコミカライズが別種のコテコテだったのでは…?とも)。とはいえ、雑誌は現在売れるものでもないので、パイは年々狭くなり、そのしょぼい状態に呼応して、ソフトポルノからアウトローにまたがる構成養素へとポテンシャルが縮小し、コテコテ商品への傾斜が進んだ、と見るべきでしょうね。

 他方、こういったコテコテ路線やソフトポルノが常時生産される体制には、ベテランが変化球作品を出したり無名の新人がコンセプト一本で企画を通して目立つエリアも生まれます。そうしたチャレンジと停滞がセットになりながらも、雑多に作品が生み出されるエリアはこれまでにもあり、青年誌ならファミリーものや四コマ、料理もの、サラリーマンもの(現在はこれは衰退中)などもありました。00年代-10年代に目立ったものだと、飯漫画の変容、~くん・さんタイトルのゆるいラブコメ、犬猫もの、崩壊した世界の旅道中もの、などが分散的に成立していて、これら小ジャンルは「大した作品がなさそう」と思われながらもその上澄みはそこそこヒットする(『焼いてるふたり』『僕の心のヤバいやつ』『からかい上手の高木さん』『少女終末旅行』『不滅のあなたへ』など)。『ゴールデンカムイ』や『ダンジョン飯』はこの枠で始まったけど人気を得てから厚みを出す軌道修正に成功したとか、変化球が『ビースターズ』だだ、などとも位置づけ可能です。こうした小ジャンルといわゆる異世界ものは個々の特徴では交差・重複するものも多いので、異世界転生という枠を取っ払うとだいたい隣接関係に入ります。漫画媒体のジャンル情勢でみると、異世界ものは固有のパッケージはあるけれど、それ以外は他の小ジャンル形成と連動していると思っています。

 これまでの整理だと、異世界もの=安っぽい、という先行了解に親和性が高いのですが、漫画企画ではこれとは逆の動きもあるので、これも後述します(【後述ポイント③】)


(制作側にとってのメリット)

 10年代にウェブ小説でいくつかのジャンルが繁栄したんですが、異世界転生にせよ、ゲーム的冒険ものにせよ、中華帝国後宮ものにせよ、婚約破棄ものにせよ、二次創作のように書けるという面があります。みんなが知ってる世界観を踏まえたり、類型的なキャラクターを使うことで、制作者にとっての試しに書いてみることがぐっとやりやすくなる。オリジナルでありながら似たような見かけであり、メジャー作品の二次創作と同じような姿勢で書けることで、新規参入のハードルがぐっと低くなった。そういった「二次創作のようにして作れる小道具や舞台装置のひとまとまり」が揃え、固有の完結した生態系が構築されたことで、書く人が出入りしていっても存続できる領域となった。大半は、コテコテな願望充足的作品で、しかし人が読んでいる以上はそれをターゲットにして自分なりの挑戦をする作家も現れる。

(ウェブ投稿の環境が引き起こすデメリット)

 10年代前半は、同人誌やウェブサイトで小説を書いてきた、それなりに手慣れた人が、流行りのジャンルに合わせて自分なりに取り組むといったものがよく目にしますね。角川と主婦と友社が書籍化の口火を切ったことで、10年代後半ぐらいからは書籍化狙いの人が急激に増えます。20年代に入ってもなおこの流れが存続していることは私も予想外でしたが、版元がとにかく書籍化企画を通す/アニメ化する(中国でもけっこう売れている)/さらにそれに追随する、というふうにサイクルが止まってないからなんでしょう。あとはプロモーションの容易さもありますね。興味を喚起する手法が確立されていて、安っぽいけど、「いつものあれか」と認知されるところまでが容易。ウェブで書いても、特定ジャンルやタイトルでないと注目されないという惨状もあるんですが、「既存ジャンルを踏まえて少し逸脱させる」ところまでが挑戦者の鉄則になっているところがある。とはいえ、雑誌メディア時代に比べるとイノベーション作品が現れるまでのペースは遅くなっています。編集者権限で誌面を上げてプッシュするという判断が働かないので、ウェブ創作のランキングは雑誌に比べるとコテコテなまま淀む現象がよく起きるからですね。

 現状の配信サービスでの新人作家の作品の特徴でもあるんですが、「投稿サイトの作品」ではなく、つまり漫画や小説レーベルのジャンルも堅固さに見える、コテコテなニーズに過剰に合わせているように見えるのは、そのつどの時代ごとの定番ジャンル作品の数の多さと逸脱例の幅を比較するといいんだろうと思っています。雑誌メディアの頃よりもチャレンジは減っていると私は思っていますが、短編は切れ味がいいが商売にならない/長編はコテコテなまま持続する、という分断が加速しているのかな?とも懸念があります。

(アニメスタジオや版元側の事情)

 ウェブ小説原作のアニメが中国で売れているのは、ウェブ小説やその客層を堕落と呼んでも問題が解決しないのを示唆していて、この売上が突然激減しないかぎりは、出版社はアニメ化狙いで書籍化するし、イノベーション狙いの作品をうまくピックアップしたり、コミカライズさせるために漫画家を厳選して仕上げていきます。ウェブ小説の上澄みをいまサーチするには、有力レーベルのコミカライズの動きに網を張るのが一番効率的で、というのは、できるだけ良いものを担当編集者が選ぼうとしているからです。あからさまに数合わせのために書籍化してるな~という路線は、レーベルや表紙パッケージなどを見ているとだいたいわかりますね。力を入れても不発になったりすることもあるし、あんまり話が広がらなかった作品もまああります。あとはウェブ小説が長くなりすぎると漫画化・アニメ化に不向きなので、ほどよい長さで完結させるのを狙うウェブ投稿者も今はそれなりにいますね。これも女性書き手が多いかな。

 他方、異世界ものはウェブ小説頼りなのではなく、漫画オリジナル企画で「もっと上質なものを作る」トライアルが10年代後半から加熱しています。『Dr.ストーン』2016-、『葬送のフリーレン』、『でこぼこ魔女の親子事情』、このへんはウェブ小説のエッセンスを分析してもっと出来を良くする試みですね。こうなるとタイトルの雰囲気が変わるので、別ジャンルだと思い込む人が多いんですが、私の認識では、『魔法使いの嫁』や少年ジャンプの「『進撃の巨人』分析と改造」期の作品(『暗殺教室』『約束のネバーランド』『ワールドトリガー』『鬼滅の刃』)の頃にはすでにウェブ小説の特徴と並行関係にあります。単にそういう指摘が無いのと、ファンコミュニティはレーベルやジャンル認識を追認的に分割されているので、マーケットがちょっとズレていると同じような作品でも比較が全然起きないため、関係がないように見られているわけですね。



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