【Wed.】#11 アポトーシス / Official髭男dism
こんばんは、珠です。
先日の投稿で、「8月最後の水曜」と言いましたが、今日が本当の8月最後の水曜日です…勘違いしてしまいました。
いつも私事を投稿しているわけですが、もっと「私事」で、明後日で25歳になります。
24歳までの自分と何か違うかと聞かれれば、正直そんなことはなくて…
ただちょっとだけ焦っている自分がいます。
私は学生のころ、25歳には結婚したいなと思っていましたし、26歳には子供が欲しいなんて思っていました。
実際、周りの友人はどんどん結婚し、子供が出来て、1人の大人として守るものが沢山あります。
私は?と焦る気持ちがないと言えば嘘になります。
おばあちゃんの誕生日をお祝いした時、「そんな祝われる歳じゃなくなってしまったよ」と笑っていた気持ちが、少しだけわかってきたんです。
それと同時に、ここまで健康に生きてこられたことが嬉しいとも思います。
そんな気持ちに寄り添ってくれる大切な曲を今日はご紹介します。
そして、この曲は私から幼なじみに聴いて欲しい曲でもあります。新しい挑戦をするために新しい場所へ旅に出る彼女へ、届くといいな。
アポトーシス / Official髭男dism
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
こんな話をそろそろ
しなくちゃならいほど素敵になったね
恐るるに足る将来に
あんまりひどく怯えないでダーリン
そう言った私の方こそ
怖くてたまらないけど
さよならはいつしか確実に近づく
落ち葉も空と向き合う蝉も
私達と同じ世界を同じ様に生きたの
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
なるべく遠くへ行こうと
私達は焦る
似た者同士の街の中
空っぽ同士の胸で今
鼓動を強めて未来へとひた走る
別れの時など
目の端にも映らないように
そう言い聞かすように
いつの間にやらどこかが
絶えず痛み出しうんざりしてしまうね
ロウソクの増えたケーキも
食べ切れる量は減り続けるし
吹き消した後で包まれた
この幸せが
いつか終わってしまうなんて
あんまりだって誰彼に
泣き縋りそうになるけど
さよならはいつしか確実に近づく
校舎も駅も古びれてゆく
私達も同じことだって
ちゃんと分かっちゃいるよ
今宵も明かりのないリビングで
思い出と不意に出くわし
やるせなさを背負い
水を飲み干し
シンクにグラスが横たわる
空っぽ同士の胸の中
眠れぬ同士の部屋で今
水滴の付いた命が今日を終える
解説もないまま
次のページをめくる
世界に戸惑いながら
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
焦りを薄め合うように
私達は祈る
似た者同士の街の中
空っぽ同士の腕で今
躊躇いひとつもなく
あなたを抱き寄せる
別れの時まで
ひと時だって愛しそびれないように
そう言い聞かすように
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
もう朝になるね
やっと少しだけ眠れそうだよ
作詞・作曲 藤原聡
切ない曲調に優しい歌声、眠れない夜に聴きたくなる1曲です。
イントロのメロディが、2回繰り返されたり、Aメロの途中から曲の後ろで流れていたりするところから、この歌詞は「特別なこと」ではなく、「繰り返される日々の中でふと考えること」を表現しているように感じます。
こんな話をそろそろしなくちゃならないほど素敵になったね
この歌詞が、「歳を重ねた」や「歳をとったね」ではなく、「素敵になったね」なのがとても好きです。
歳をとることは恥ずかしいことでも、悲しいことでもない、素敵なことなんだと思わせてくれます。
それと対照的なのは2番の歌詞。
いつの間にやらどこかが絶えず痛み出しうんざりしてしまうね
ロウソクの増えたケーキも 食べ切れる量は減り続けるし
歳をとることは素敵なこと、という意識とは裏腹に、無視できない「体の老い」。こればかりは素敵なことではない。歳をとったことを突きつけてくるのが分かります。
幸いまだ痛い部分は無いのですが、好きだったはずの甘いものがだんだん、「少しでいいや」に変わってきているので、この歌詞がすごく刺さりました…
解説もないまま
次のページをめくる世界に戸惑いながら
歳をとっていくことは、素敵なことであり、苦しいことである。ただそのどちらも、受け入れるまでには時間がかかります。
心は若いまま、体が歳をとり、責任だけが増えていく。今の自分を理解して受け入れるのにも時間を要するのに、解説などなく、明日がやってくるんです。
まだ準備なんかできてない…と焦りながらも、私たちは進まなければいけないんだと実感します。
別れの時まで
ひと時だって愛しそびれないように
刻一刻とすぎていく時間の中で、大切な人のことは後悔のないように愛していたいと改めて感じる歌詞ですね。
別れが来た時、あの時ああしていれば、こうしなければ…と思わないように、私は離れて暮らす家族には特に、毎日連絡するようにしています。電話でもいいけれど、電話だと1人としか話せないから、顔を見せた方がいいし、まるで私がそこにいるかのように話した方が家族も安心かなと思い、zoomを使って家族と通話しています。主に母と話しますが、祖母はいつも「ご飯食べた?」と笑いながら聞いてくれます。私とよく顔が似ている、大好きな祖母です。有難いことにまだまだ元気な85歳。どうか健康でいて欲しいです。
この「アポトーシス」という言葉は、調べたところ「あらかじめ予定されている細胞の死」という意味だそうです。
個体をより良い状態に保つため、細胞が自分の役割を終えるとみずから死ぬ、あらかじめ予定されている死なのだそうです。
対義語は「ネクローシス」。これは予定されている死ではなく、細胞が外から攻撃を受けたりした際に破壊される死、つまり予定外の死です。
人はいつか死んでしまうことは決まっている。
広い意味では「死が予定されている」。そういった意味の「アポトーシス」なのかと思いましたが、私はもうひとつの意味があるように思えます。
2番の歌詞。「水滴の付いた命が今日を終える」というところ。
人はよく「毎日生まれ変わる」と言われます。
私たちの死は「いつか死ぬ」ことが決まっていても、その「いつか」がいつなのかは決まっていません。
ただ「今日の自分」が生きていられるのは「今日」の間だけ。0時が来たら「今日の自分」とはお別れです。予定された終わり。だから1日が終わる時、「今日の自分」の役割を果たせたと言えたらそれは悔いのない終わりになります。
それを繰り返した時、ある意味予定されている、でもやはり予想のつかない「訪れるべき時」に悔いの無い人生だったと言えるのだと思います。この曲はそれを教えてくれました。
今日はOfficial髭男dismの「アポトーシス」をご紹介しました。
眠れない夜、早く起きすぎてしまった朝に聴いて心を穏やかにしています。
焦りと不安、少しの嬉しさを抱いてもうすぐ25歳です。
職場や家族では「まだまだ若い!」。
同級生のなかでは「まだ結婚してない、まだ子供がいない」。
同じ「まだ」にもプラスとマイナスがあるんだなと感じると、余計落ち込んでしまうこともあります。
でも、「まだ」は「未だ」ですから。
「未だ」はいつか「来る」から。
訪れるべき時のために、毎日穏やかに朗らかに、でも着実に進んでいきたいものです。
本日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
ついに9月。お芋のおいしい季節です…嬉しいな…
9月は1ヶ月特定のアーティストの紹介をする企画なんかも考えています。「つぶやき」でまたお知らせします。
そして、大切な幼なじみへ。
一種の「訪れるべき時」が来ましたね。
これからどんな景色が見えるのかな。
これからのあなたの挑戦をずっと応援しているよ。次に会う時はおいしいすき焼きを食べに行きましょう。少しの間会えなくなるけれど、どうか悲しまないで。ここで待ってるよ。
いってらっしゃい。