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【Wed.】#3 東京 / SUPER BEAVER

こんばんは、珠です。

とっても暑いですね。
日傘と日焼け止めが手放せない日々の始まり…

私は今まで日傘を指したことがなかったのですが、若いうちからのUV対策は将来の自分のためになる!と言われたので今年から日傘を使い始めました。お肌と体の中は歳をとってからはなかなか回復が効きませんもんね…

さて、【水曜日22時の投稿】3週目は、SUPER BEAVERの「東京」です。先週はwacciの「東京」をご紹介しました。
同じ「東京」というタイトルでも曲調、歌詞が全然違うのが面白いんです。ただ、やはりタイトル以外にも、共通する部分があると感じたので、今日はそこを中心にお話します。

【どんな人に聴いていただきたいか】ですが、これがなんと3回目にして、早くも、絞れないんです…今までの曲もたくさんの方に聴いていただきたいという気持ちの中で、特にこんな方に!と言ってきたのですが、この曲は絞れない…でも、なんとかしてひとつ絞り出したのは、「好きな人がいる」方でしょうか。好きな人は別に近くにいる人でも良いですし、家族でも、友達でも、推しでも構いません。誰かのことを思うってこんなに素敵なんだなって改めて思える曲です。

では、歌詞をご紹介します。


東京 / SUPER BEAVER

愛されていて欲しい人がいる
なんて贅沢な人生だ

見慣れた街 見慣れない人だらけなのに
僕らお互いを知ってる
良いところも逆も

かじかんだ手 終電はあと少しなのに
僕ら思い出話が尽きないくらいだな

出会いは少しずつ
名前を変えていく

好きな人 愛しい人
偶然も今呼ぶなら運命 
見つけられた歓びを
笑いあえたら 幸せと名付けよう

愛されたい 心の奥
望む僕にも 愛する人
愛されていて欲しい人がいる
なんて贅沢な人生だ

重ねる歳 建前と本音との間に
僕ら思い出話を 置いてきたこともある

出会いは少しずつ 形を変えていく

会いたくて 会えない人
運命と呼べなかった恋も
手が離れた 冷たさを 思い出せたら
優しさへと変えよう

愛されたい 心の奥
望む僕にも愛する人
愛されていて欲しい人がいる
なんて贅沢な人生だ

このまま このまま
愛して 生きていたいよ

このまま このまま ずっと

生きる人 今日 生きる人に
歌いたい歌が生まれるんだ
見つけられた歓びも
手が離れた感覚も込めて

愛されたい 心の奥
望む僕にも愛する人

愛されていて欲しい人がいる
届いて 聞こえて

あなたへ

なんて贅沢な人生だ

作詞:柳沢亮太
作曲:柳沢亮太


先週ご紹介したwacciの「東京」のしっとりとした曲調とは違う、前向きに走っていくような曲調の曲です。

「愛されたい心の奥望む僕にも愛する人」という歌詞が繰り返し出てくることから、愛されたいと思うことは、愛することと同義のように感じます。もちろん愛されたいって気持ちは、寂しさとか悲しさから来ることもありますが、多くの人が
「愛されたい」と願うのは、人を愛する気持ちを知っているからなのかな…と。
人を愛するという気持ちがどれだけあたたかくて尊いかを知っているから、その気持ちが自分にも向いて欲しいと思うのかもしれません。

また、「愛されていて欲しい人がいるなんて贅沢な人生だ」という歌詞からも、大切な人が、自分以外にもたくさんの人から愛され、幸せでいて欲しいと思う視点が描かれているのが分かります。
大切な人がいること、その人の幸せを願えることこれが「贅沢な人生」だということは私たちは普段忘れてしまいがちです。
確かに、自分の心の余裕とか、自分自身が幸せを感じていないと、人の幸せを祈ることはなかなかできません。その心の余裕を、幸せをくれるのもまた、「愛する人」だと思うので、「愛する人がそばにいてくれる」のが「贅沢な人生だ」と歌っているように思います。

1番、2番ともに「出会い」が変わっていくことをBメロで歌っています。
1番は「出会い」の名前が、2番は「出会い」の形が。
「出会いの名前」は、サビの歌詞にあるように、「偶然も今呼ぶなら運命」。偶然だった出会いもいつしか運命の出会いへと名前を変えていく。これは出会い自体が変わるのではなく、その後の関わり方で、ただの偶然で終わるのか、運命になるのかが変わるということなのだと思います。
人との繋がりって不思議ですよね。以前もなにかの記事で書きましたが、私は関係の終わらせ方が上手ではなくて、ただ静かに連絡を取らなくなればいいものを、あからさまに避けてしまったり、いきなり連絡を絶ってしまったり…細かったとしてもこれからも繋がるはずのものをブツっと切ってきたことが多いです。
それでも、その中にずっと繋がっているものがいくつかあって、それはもう私の中では「運命」と呼びたい繋がりばかりです。
初めは、あまり得意ではなかった人も、今ではもう大切な人なんですよね。 

2番では「出会いの形」が変わっていくと言っています。これは少し解釈をするのが難しかったのですが、今の私の年齢としては、「与えられていた出会い」から「見つけていく出会い」へと変わっている実感があります。
だいたい、高校生くらいまではクラス分けとか部活という既にある程度形作られたコミュニティに自分も属していくので、「与えられた出会い」。大学生くらいからは少しずつ、どのコミュニティに属するのかは自分に委ねられるようになりました。また、社会人になったら本当に能動的に動かないと、変わらないコミュニティにずっと属することになり、人との新しい出会いがなかなか無い印象です。だから「見つけていく出会い」へ変わったな…と思うのです。

そして、wacciの「東京」との共通点ですが、1番の「見慣れた街 見慣れない人だらけなのに 僕らお互いを知ってる 良い所も逆も」という歌詞。

wacciの曲で共通すると思ったのは、「とめどなく流れる人々 どこかですれ違ってるかな」という歌詞です。

この2つ、どちらも「東京」という街の人の多さを表していて、いつもの見なれたビル群、自然などの不変の景色の中に、見慣れない人々が溢れているのを容易に想像できるところが共通していると感じました。
でも、それはあくまで「自分」視点で、自分の見なれた景色に、知らない人が溢れている、でも同じようにその景色を見なれている人からしたら、自分も「知らない人」の一部である。不思議ですよね。きっとどこかで、何度もすれ違っている人が沢山いるんだと思います。

この曲中に「あなた」という歌詞が出てくるのは最後の1箇所だけであることから、この曲を聴いているすべての「あなたへ」向けた曲であると解釈します。

そこから「見慣れない人だらけなのに 僕らお互いを知ってる」を見ていくと、この「僕ら」は、実際に知っている人同士ではなく、「どこかですれ違っている あなた」と「僕」の「僕ら」なのかなと思いました。
どこかですれ違っている、本来は「見なれない人」だけど、お互いを知っている、きっと思っているところは同じで。

愛されたいし、愛していたいという根底の部分は同じなはずだ、とこの曲は訴えかけているように思いました。

愛されたいと思うことは決して悪いことではないし、素敵な事だと思います。よく、求めすぎるのは良くないと言われますが、求めている=与えたいということなのではないか、とこの曲の解釈をしているうちに考えがまとまりました。

なかなか思うように進まない毎日だと思います。
でも、すれ違うたくさんの人が、心の中では、愛されたい(=愛したい)と思っていると考えると、周りの人にも少し優しくなれる気がします。

2回にわたって「東京」を題材とした曲を取り上げましたが、これは「東京」に限ったことではなくて、「東京」をひとつの世界としてみた時の目線だと思っているので、どこに住んでいても当てはまるものだと感じています。

たくさんの人が溢れている世界で、ひとりじゃないということを思い出させてくれる、そんな2曲を自分なりに咀嚼できて良かったです。

悲しいことがあった時、世界に1人だけになったような気持ちになることもあると思います。そんな時はぜひこの曲を聴いてみてください。あなたはひとりじゃないです。無理やり明るくなる必要だってないんです。たくさんの人が溢れている中で、あなた一人を大切に思っている人がたくさんいて、ここにもいますから。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。来週もまた、ここでお待ちしております。
おやすみなさい。

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