見出し画像

家族って

家族って大変だ。

私には、実家に両親と父方の祖母がいる。

一人暮らしを始めてすぐの頃は、ひとりが寂しかったから帰省の度にうきうきしていたし、むしろ1人の家に帰るのが嫌だった。家に帰ってからはやっぱり寂しくて、泣いてしまったりしていた。それは今でも時々ある。
ただ、一人暮らしが長くなったからなのか、それとも年齢を重ねて見えるものが増えたからなのか分からないが、帰省をすることに伴うストレスを感じることが多くなった。

最近の帰省の1番のストレスは、祖母との関係だ。祖母に小さい頃から大切にしてもらっていることは理解しているが、祖母から向けられている視線が変わったと感じたのは、私が中学2年生の時だ。

中学2年生の時、伯母が亡くなった。
私は、伯母の若い頃によく似ていたらしい。子供のいなかった伯母は生前、友人たちに私のことをよく話していたという。だから、伯母の葬式の時、伯母の友人たちからは伯母にそっくりだと懐かしがられた。祖母も、当時生きていた祖父も、私にまるで伯母の生き写しのように接するようになった。それがすごく不愉快だったのだ。私が私として生きたかったのに、無意識に、大人たちの喜ぶような生き方をしなければいけない気がした。でも、そのまま生きたら、伯母と同じくらいの歳に、伯母と同じ死に方をするのではないか?同じ運命を辿るしかないのではないか?と考えてしまう夜が続いた。

祖父が亡くなった時、本当に不謹慎だが、やっと終わったと思った。伯母が亡くなって、しばらく経ってから、伯母の友人たちが家に訪問してくることもほとんど無くなって、失礼かもしれないが、やっと解放されたと安心した。

祖父が嫌いなわけでも、伯母の友人たちが鬱陶しい訳でもない、勝手に私が大人の理想通り動かなければいけないと思ったのが悪いし、そもそも大人たちがそういう理想を持っていたのかも分からない。ただ、ひたすら、大人たちに「○○(伯母)に似てるね!懐かしい」とか言われる度に苦しかったし、それを言われている私を見ている母の顔を見れなかった。私は母の娘なのに、なぜ、伯母の娘のような扱いを受けているのか分からなかった。苦痛だった。

祖母からの、「そういう」扱いは今も続いている。孫として私を可愛がっているというより、娘の面影を私というスクリーンに投影している、という感じだ。「アイス食べるか?」と言われ、「お腹いっぱいだからいいよ」と言うと、すごく不機嫌そうに「食べるだろ?」と言う。そうか、自分の娘(伯母)はよく食べる人だったから、食べ物は断らなかったもんね。
両親と私が居間でテレビを見ていると、自分の部屋にいるのに、両親が買い物に出かけると、私が1人のところを狙うように、居間に来るのだ。そして、伯母の若い頃の写真を見せてきて、「誰かに似てると思わない?」「あなたにそっくりでしょう」と言うのだ。私の母は、母たったひとりなのに。

この扱いをやめて欲しいという勇気が私には無い。だから正直、「これ」は、祖母が遠くに旅立つまで続くのだと思う。

「これ」をサラッと流せるようにするのが私の今の目標だが、なかなか難しい。それが祖母を傷つけてしまわないかも不安で、かといって、早く消えてしまえなんて思わない。紛れもなく大切な家族だ。だからこそ、切れない縁だからこそ、どうやって上手くやっていけばいいか分からない。

最近、「嫌われる勇気」という本を買って読んでいる。人生における悩みは全てが対人関係に基づくとあった。確かに、その通りだと思う。この本を読み終わる頃には少し、この悩みの解決方法が見えてくるだろうか。よく音楽に助けを求める私だが、今回は本に助けを求めてみた。3分の2ほど読んだ今、もしかしたら私に足りないのは「祖母に嫌われる勇気」なのかもしれないと考えている。今後の家族関係の悩みにおいても活用出来るのだろうが、家族に嫌われる勇気を持つのは、なかなか容易なことではない。今はただ模索するのみなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?