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春はあけぼの・清少納言

春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこし明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

えー、和歌ではありません。清少納言の「枕草子」でげす。近頃は小学校でも習うそうなんで、ここにあげるのは甚だ恥ずかしいのだが、古典の知識ほぼないものが、Wikipediaと勘だけを頼りに、勝手な感想を書くシリーズなので、ご寛容いただきたい。
もしかしたら、前に書いたかもしれないが、厚かましくも、書く。この後、夏も秋も冬も書く。書くなと言われても書く。ジジイなのでブレーキがきかないのである。
じゃ、いくぞー!

春はあけぼのが良いのである。あけぼのは夜明けである。だんだん空が明るくなって、いとをかし、なのである。何がそんなにいいのか。春は桜ではないのか。春はあけぼのなのか。いつ決まったのか。それより夏にあけぼのはないのか。秋もないのか。あっても、よくないのか。冬はだめか。"あけぼの"でなく、"つとめて"なのか。"あけぼの"と"つとめて"、どっちが早いのか。
様々に疑問は湧く。
ちなみに、"あけぼの"と"つとめて"では、"あけぼの"が早い。まだ、寝てる者が多い。
この時間は、起き出して活動を始める時間ではなく、女のもとに忍んできた男がこっそり帰っていく時間なのだ。
なぜこっそりか。当時、恋は秘め事だからである。
女は男を見送る。蔀をあけて空を見る。時はあけぼの。山ぎわの空はだんだんに白く明るくなってゆく。まだ見えぬ朝陽に下から照らされ、空に渡る細い雲は、紫ががってたなびいている。嗚呼。
 なんで嗚呼って言うかというと、勿論男が帰っちゃうからです。男が出て行って、ふと空を見上げると、紫がかった雲が細くたなびいている。嗚呼、あなたは帰ってしまう。当時は通い婚ですから、男が帰って、次の日来るかどうかはわからない。明日、来てくれるだろうか。もしかして、もう来ないのだろうか。
嗚呼。
男性を迎えたことのある女性は、皆この空を見たでしょう。そして心絞られる思いをしたでしょう。だから、清少納言は、冒頭に据えた。べつにあけぼのは春の専売特許でもないのに、据えた。敢えて、据えた。
 だって、ひらがなものは、基本女が読むから。定子が読む。女房が読む。勿論男性も読むが、あくまでひらがなものは女性のものだから。清少納言は、女性読者を想定して、女性に分かってもらいたくて、書いた。一番女性の琴線に触れる景色を最初に書いたのは、勿論冒頭だからである、ふつうに考えれば春は桜。でも、そんな当たり前のことを書いたって驚きはない。誰も描かなかった、でも女性なら誰でも知っているあの景色。清少納言はまずそれを描き、女心を鷲掴みにしたかった。
いいですか。いまから私は皆さんに、見えていなかったものをお見せします。見えていたのに見えていなかったもの。たんとございましてよ。例えば、ほら、あけぼのの空。

なんてね。次は夏。

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