暇なので私の恋愛観について少しだけ語る

私の恋愛観はかなり異質であると自覚している。なぜなら、「好き」の基準があまりにも明確に、そして機械的に定まっているからである。

まず前提として、人間関係の関係値はおおまかに、
人類<友人<恋人
の順に大きく深くなっていくと考えている。

また「好き」には、
・人間として好き
・恋人として好き
この2種類が存在していると考えている。
これらの「好き」については、全くの別物であると捉えてもらって構わない。

まず、前者で例を挙げるとしたら友人、であろうか。私の友人としてのあれこれを語るには時間が足りないので、ここでは省略させていただくことにする。

この記事で主に語りたいことは後者、恋人として「好き」についてである。まず最初に、私が恋人として好きになるために必要な条件を3つ挙げていく。

➀人間性が合格点に達しているか
②私の信念に繋がるか
③相手からの好意があるか 

これら全てが満たされた場合、私はその個人のことを特別な存在であると位置づける。では詳細に語ってくことにする。

まずは、➀人間性が合格点に達しているか について。これは単純明快である。礼儀があり、敬語が使え、自己開示ができ、誰に対しても平等であるか等、私が考える完璧な人間像に近似しているかを見極める。ここで大切なのは、あまりにも私の許容できる人間性からかけ離れた人間か、そうではないか、について判断することである。

続いて、②私の信念に繋がるか について。これは私が1番重視していることである。話せば長くなってしまうので、なるべく簡潔にまとめよう。
ズバリ私の信念とは、「私の命全てをその人に捧げることにより、その人の幸福度が向上し、それを維持することが可能なのであれば、この命が絶えるまで私の人生を捧げ続けたい。」
つまり、「私という存在がその人の支柱として機能するのであれば、死ぬまで尽くして生きていきたい。」
そのような、あまりにも現実から超越した理想論である。これがあんた重いよと言われる所以であるに違いないと自覚している。

基本的に私の自己肯定感は、非常に低いものである。自信がない。不安しかない。しかしそんな私という小さな存在が、その人の星となれるのであれば、なってもいいのであれば、永久的に明るく照らし続けていたい。と思っている。
だから、その人の望むことなら何でも叶えたい。少しでもその人が負の感情に苛まれる時間を減らしたい。その人が幸せに生きてくれることだけを願って生きていきたい。そのような思い抱えて今までを生きている。今後人格が変わるような出来事が起こらない限り、これが変化することはないだろうと考える。

最後は、③相手からの好意があるか について。前提として私は、
「相手からの好意がある状態=相手に深く干渉してもいい切符を保持している状態」
であると捉えている。
なので、①②が揃い、最後に③の存在が確認できると、切符を受け取り、その人の人生に干渉してもいい許可をいただけたと認識し、初めてその人に告白をするか、逆に告白をされるように働きかけるか、の準備を始める。個人的には後者の方が気が楽であるし、接していての反応が面白いので、そちらを選択することの方が多い。そのため、私は一目惚れをしたという経験はないし、その一目惚れという意味も、初対面にも関わらず恋愛対象として意識してしまったではなく、町中で芸能人が歩いていたのを見た等の、ぱっと見の容姿に対して一瞬視線を奪われた程度に過ぎないと解釈している。

しかし逆に、1度別れると、その切符を失ってしまったと認識し、その人は私がいなくても幸せになれるほど回復できたのだな、私の存在以外に幸せに生きられる支柱を見つけられたのだなという思考のもと、よかったよかったと安堵して、その人との深い関係を終える。しかしその際、辛い気持ちも存在しないと言ったら嘘になる。やはり関係値を深めた人と疎遠になるのは悲しいし、私からの矢印が重すぎたかなーとこれまでを振り返りながら改善点を見つける作業も、かなり涙を伴いながらのものとなる。しかし前提には私の信念、「その人の幸せを」が存在するため、それ以降の関係をズルズル続けたりなどは決してない。別れた後も相手から何かしらのアクションがあればまた話も変わってくるが、これは③の冒頭に話した、相手に干渉してもよい切符の話に一致する。

そしてこれは余談にはなるが、最近蔓延っている容姿至上主義について、異論を唱えたい。私は容姿の好きから始まる恋愛を、決して悪いと言いたいわけではない。だが、まず人間性から好きになる方が、結果的に安泰な人間関係を築くことができると想像している。私が抱いている、全人類に対してかっこいいかわいいと感じている感性自体が異質であるということも理解しているが、1度付き合ってしまえば、その人のことは誰よりも魅力的に思えるし、まずは人間性の判別から入るべきであると私はそう考える。私の恋愛観が異質なことは理解しているので、青二才が唱える1つの意見として、ここで聞き流していただければありがたい。

余談も挟んだが、以上これら①~③が、私の恋愛観を構成していると言える。今この記事を書きながら、なるほどね〜と納得しているので、自分を知るという点においては、とても有意義な時間となったに違いない。本当はもっと深いところまで書き続けたいが、キリのいいところで終えておこうと思う。

ここまで読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。

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