分けるは学びと大人になるための第一歩|2022女子商×とびゼミコラボ授業③
こんにちは。すっかり秋めいてきましたね。もう10月も中盤です。
前回の記事でもお知らせしたように,先々週(9/30)に福岡女子商業高校での授業を実施したばかりだったと思ったら,昨日(10/14)は第3回目の授業を行いました。高校生はこの間にもさまざまな行事があったでしょうし,3年生はそろそろ就職にしろ,進学にせよ,自分の進路を決めていくシビアな時期に差し掛かっていきます。
何度もこのnoteでも書いているように,本プログラムは大学生が高校生に対してアントレプレナーシップを教えるという体裁を取っています。(一応)会計学を学ぶゼミでなぜアントレプレナーシップなのでしょうか(この点については今日・明日と開催されている会計教育学会での自由論題でもお話しようと思います)?
今自分の中で考えている答えの1つは,アントレプレナーシップを学ぶことが自己効力や統制の所在(Locus of Control)といった人として学んでおくべき素養にアプローチできることにあるということです。
日本人あるいは日本の大学生・高校生は極めて自己肯定感・自己効力感が低いと一般的に広く言われていることですが,その原因に学校,特にクラスや部活動における同調圧力,画一的な教育アプローチがあるのかもしれません。しかも,さまざまな高校を回っていて感じるのは,これが学力との相関も結構ありそうだということです。現在,ゼミで主に対象としている高校は,いわゆる進学校ではありません。成績が良いわけでもないし,ちょっとした言葉の意味がわからない,自分で調べる癖がついていないなど,「学ぶ」ことへの基本的な姿勢が身についていない場合もあります。あるいは,そもそも共通言語でしゃべることも結構しんどいケースがあったりします。
つまり,適切に言葉を使って,もう少し言えば『概念』を使って話すということが難しい。概念は「対象を表す用語について、内容がはっきり決められ、適用範囲も明確な意味」のことですが,恐らく高校生の中ではその範囲が明確でないことが多そうです。すごくヌルっとした言葉を使って,それっぽく共通概念を使って喋ってるんだけど,一部の人にだけ伝わるものにしかなっていないというか。
しかし,そうしたことは十分に成熟していない高校生たちには難しい要求でもあります。その不完全さが彼・彼女たちの現在地であり,昨日までつるんでいた友達が突然別のステップに行ってしまうこと,ついこの前まで自分と同じだと思っていた隣の生徒が自分の知らない世界に行ってしまうこと,それによって取り残されることは高校生にとって怖いことでしょう。まだ,自分と他人を分かつことができない。
が,そこで「君はどんな人?」「組織の中で自分を活かすとしたら,どんなことができるだろうか?」と問うのは極めて彼・彼女たちにとってもしんどいことでしょう。
ですから,本プログラムの表向きは大学生が高校に行って授業する,その実はアントレプレナーシップ教育(多くは経営学や会計学教育)を実施してはいますが,本当は理論(概念)を用いて自分たちの身の回りにある事象を説明できるようにすることを通じて,高校生の自己効力感や統制の所在にアプローチしようとしています。
ということで,かなり前置きが長くなりましたが,実は今回の授業がここにフォーカスを当てています。今回は担当する7つのクラスがみな「組織と個人の関わり合い」をテーマとしています。果たしてどんな授業になったのでしょうか。その様子を見ていきましょう。
ここまでの福岡女子商業高校での活動などの取り組みはこちらからご覧ください。
1コマ目:組織と個人とリーダーシップと
アントレプレナーシップを中心とする学習カリキュラムを組んでいる本プログラム。アントレプレナーシップという個人が持つべき素養と,その個人が集まって創造性を発揮する組織のあり方としてのコレクティブ・ジーニアスという2つの考え方を授業では伝えている。常に個人→組織,組織→個人という行き来を意識しつつ,組織的に成果を実現するという意識に乏しい高校生に対してこれを教えるのは極めて難しい。
今回の授業前,各クラスの教材を見ていて気になっていたことがいくつか。それは,ほとんどのクラスでDISC分析を行うということだ。詳細はリンクをご参照頂きたいが,DISC分析とは,簡単に言えばヒトの持つ志向性を4つのグループに分類しようというものだ。もう100年も前に作られた分類法だが,あのバブソン大学におけるアントレプレナーシップ教育でも「自分を知るため」にDISC分析を行う。私も昨年から専門ゼミの導入で使ってみてはいるが,血液型占いよろしく,非常に学生からの受けが良い。
しかし,これを扱って授業を進めるのは難しい。この2日前,学部1年生の基礎ゼミでDISC分析を用いて①自分の志向性あるある,②他の志向性と明らかに異なるところ,③自分たちの志向性の取扱説明書という3つのグループディスカッションを行ったが,学部1年生でようやく議論が成り立つ印象。これをまだ自己が十分に確立できていない高校生に行うのだから,その難しさは理解できていた。その志向性を受け止めきれるかどうか。タイプ分けはラベリングにもつながる。今回の授業の大きなポイントになる。
加えて,ここでリーダーシップとフォロワーシップの話をしようとするのだから,さらにややこしくなる。実はこの点については,今回の授業前によく気をつけてねと学生に注意を促していた点だ。高校生の考える「リーダーシップ」と,大学生の考えるそれとでは同じ言葉を使っていても意味合いが異なる。かつて自分たちが「リーダーシップ」と聞いて想起していたであろうそれとは異なる考え方があるんだということを素直には受け止めきれない可能性がある。果たしてどう回収していくのだろうか。
2年生でもDISC分析が取り上げられはするが,このクラスではその前にマネジャーが組織成員に対して経営戦略の実行を担保するためのコントロールの方法としてマネジメント・コントロール(Management Control)の話をしていた。ここにチーミングの話まで今回のテーマで話していこうとするから余計に混線する。それぞれの授業内容は説明することはできていても(伝わっているかはさておき),それを高校生に理解につなげるまでの内容になっているのか,ワークを通じて落としきれるか。非常に難しい展開になってきた。
各教室の雰囲気も少し違う。それまでは大学生が来ればキャーキャー,少しテンション高めになっていたところ,今回はたった2週間しか経っていないこともあってか,落ち着いた雰囲気。授業前にも「こういう時こそ要注意。黙って聞いているから理解している,授業をよく聞いてくれているではないからね。わからないけど座っていなきゃいけないから座っているだけかもしれないからね」と伝えていたが,果たして。ここまで来たらいくらアラートを出しても仕方がない。
学生が準備してきた授業をもとに高校生の反応を伺いつつ,次回の授業で修正をかけるくらいは必要だなと腹を決め,1コマ目を終えることにした。
2コマ目:授業の意図はどこまで伝わったのだろうか
2コマ目スタート。ここではDISC分析をもとに個人の特性を把握し,グループをもとに戻した上でグループワークを実施するクラスが多かったように思う。つまり,それぞれの特性をグループ内で共有して,それぞれの特性に基づいた行動様式がワークの中でどのように発揮されたのかを確認し,それぞれの特性を成果実現のためにいかに活用することができるかを体感してもらおうという意図があったように感じられた。果たしてその企みは成功したのだろうか。
ここでクラスごとの特徴が色濃く発揮された。
例えば,こちらは3年1組。3年生の進学クラスであり,ここまで高校在学中毎年コラボ授業を受講してきた生徒たちだ。ここでクラスリーダーがが仕掛けたのは「バスは待ってくれない」というワークだ。
このワークは私も思い入れがあるもので,学部1年生の基礎ゼミで必ず行うワークの1つ。与えられたカードに書かれた情報をチーム内で言葉だけで伝達し,地図を作るというもの。しかし,現本務校に着任後,毎年やってはいるものの,実は年々完成度が下がっている。
というのも,地図を書くことがないというのもそうだが,見えない情報を共有するということはかなり正確に言葉を伝達し,思い込みを外して,情報を整理するという行為を要する。この情報を整理するができないのだ。いや,同じ言葉をチーム内で聞いているにも関わらず,それぞれの頭の中にある世界が異なってしまう。こうしたゲームを実施するにはまだ十分な経験が足りておらず,情報をありのままにインプットし,並び替え,整理するということが難しいようだ。
加えて,確かに外から見ていればそれぞれの生徒がどんな動きをしていたかを把握することはできたが,このゲームをやりながら,チーム内のそれぞれがどんな役割を果たしていたのかを把握することはなおのこと難しい。チームリーダー中心によく考えられたワークだったのだが,高校生には少し消化不良気味。チャイムが鳴ってもなかなか戻ってこないし,ふりかえりでも「しまったなぁ,失敗したなぁ」という顔をしながら話をしていたのだが,当然の帰結と言えば当然の帰結。とりあえずは2コマよくやりきったのではないか。
他のクラスでも同じようなグループワークが行われていた。無人島だったり,宇宙だったりに持参したいアイテムを選んで,それをどういう風に用いてミッションを達成するかといったようなゲームが行われていた。
しかし,ここでも授業後の学生からのふりかえりを聞けば,授業をした学生側も,受講していた生徒側もなんとなく消化不良気味だったことを伺わせる報告になっていた。それはやはり3年1組の「バスは待ってくれない」と同様。DISC分析までは良かったけれども,そこで示された自分の特徴というものがどのような意味を持っているのかを高校生が腑に落としきれないところでワークに行ってしまったことが原因かもしれない。
中には授業内容の抽象度が高すぎたために,高校生が注意力散漫になっていたのではないかという声も聞かれた。そうだろう。きっとそうに違いない。が,いくらシミュレーションを重ねても,自分たちの中では筋が通っていたとしても,授業を受けている生徒が理解できていないのだから改善の必要がある。次回授業でこれを取り返すことが課題として残った授業だったように思う。
さてさて,ここが勝負どころ:自己肯定感の低さが如実に表れる
さて,前回最も手をかけたとあるクラスでは,メンバーを新たに追加して授業を実施。これが多少なりとも功を奏して,授業は落ち着きを取り戻した。このクラスには「授業のレベルを落としてでも,組織的に成果を実現する意義を理解できるようにする」という目標を提示して,クラスリーダーを中心に必死に授業を作っている。
そこで,今回の授業はまず「組織には目的がある」ことを理解できるようにと,身近にある組織を生徒に出してもらった上で,その組織の目標を書き出してもらうことにした。そこから,その目標を達成するために個人が果たすべき役割を書き出し,組織目標と個人の役割の関連性を認識できるように導こうとした。
そして,DISC分析を行ってタイプ分けを行った上で,自分の長所を考えてみようというワークに進む。私にはよく考えられている手順のように見えた。
というのも,前回の授業において,授業を受けるようになっていない姿勢で生徒が学生に向き合うのは「やらされている感」と,生徒の学生に対する信頼の欠如によるものだろうと指摘していた。そして,その原因は生徒に自信がない,できないに決まっていると考えている=自己効力感・自己肯定感の低さによるものだろうねという話をした。だから,ここにアプローチをするような授業を組み立てれば,高校生は自然と授業を聞くようになるだろうと。
とある4年生はブログでこんなことを書いていた。
仕方がないのだが,お子様なのだ。お子様をお子様として扱うか,独立した個人として意思を尊重するか。前回の授業で発した問いが少しは高校生に届いていたのだとしたら良いのだけれども。
そういう中でのDISC分析,しかも自分の長所探しをするのだから,授業はそれまでにない雰囲気になったようだ。あとからの報告を聞けば,高校生たちは気恥ずかしそうに「私の長所って何?」と周りに聞き始めたのだそう。短所=できないことはいくらでも出てくるけれども,自分で自分の良さは見つけきれない。まさに問題の核心を目にしたような光景だったようだ。
その上で,個々人の能力をマルシェでどう活かそうかという話をしようとしているのだから,今回の授業内容はこのクラスの高校生にとっても,何とも言いようのない不思議な気持ちになったのではないだろうか。知らんけど(笑)
ふりかえり:おとなになる第1歩は自分と他人を切り分けられるようになること
こうして今回の授業は終了した。それぞれのクラスでそれぞれ「うまくいかなかったなぁ」,「課題がたくさん出たなぁ」という顔をしていて,今回の授業の難易度の高さが如実に現れた印象を受けた。でも,本当によく頑張ってくれたように思う。
そうした中で,今回のふりかえりでは3つの話をした。
1つはDISC分析で得られた結果とリーダーシップをどう結びつけるかについては不十分。次回の授業で回収しなければならないので,事前動画等でフォローアップすること。あと,この動画参考にしようねって話は改めて別途に。
2つめは,次回授業のテーマは計画設定。すなわち,利益=収益−費用をベースに組織内部で目標を設定し,役割に応じて目標を達成することの意味を学習する。特に2-1,3-1の進学クラスでは損益分岐点分析とそこからちょこっと内容を増やしていかに付加価値(単位あたり貢献利益)の増大を図るかを考えるように仕向ける。となると,今回学んだ抽象的な概念の上に,さらに抽象度の高い会計情報の話を乗せるとなると,どこまで高校生を置き去りにしない授業ができるか。前提条件が多いから,しっかりと準備をするようにという話をした。
最後は「わかるは分かる」だから,「切り分けられるようになって初めて分かった」と言えるという話。ここで何を分けるかと言えば,1つは概念だろう。言葉を使って説明する時に,その言葉が何を意味しているのかを自分流に使っていては相手は理解が及ばない。だから,勉強をする,教育を受けることで共通言語で語り合えるようになる。高校生にはその意味がまだ十分に理解できていない可能性がある中で,何を持って外形的にできた,できないを判断できるのか。言葉を用いて話すことの意味をしっかりと伝えるようにと伝えた。
さらに,「自分」と「他者」を切り分けることだろう。多様性を理解するためにDISC分析を使ったのは良いが,これは諸刃の剣だと。それまで同じだと思っていた人を違うものとして分けてしまう可能性がある。が,分けることでそれまでは何ともないと思っていた人が異なる特徴を持つ人として「分けられる」。そうして違いを認識し,互いに尊重できるようになれば大人になれるかもしれない。自分と他者は同じだと思っていたところに,進路や成績,彼氏・彼女ができたなど,自分と他者は違うということを認識することによって,自分がナニモノであるかを認識するようになる。
が,それを今の高校生に求めるのも酷。これを次回授業でどう回収していくかが難しい。それでも,事前動画もあるし,授業もあるし,「失敗した!」と思っても取り返せるんだよね。しっかりと準備して臨みましょう。
余談:4年生によるふりかえり
昨日の授業は学生にもそれなりにモヤモヤを残したようで,一緒に車に同乗した2年生4人も難しそうな顔をしていた。そして,今日この記事を書こうとしていると,とある4年生のふりかえり記事が目に入ってきた。
そしてその記事を読んでいくと,こんなことが記されていた。
そうなんです。無関心が最大の敵です。他者とコミュニケーションを取る必要がなければ,あるいは一方的に消費をするだけであれば,自分から言語を発する必要はありません。自分だけの世界で,自分に分かる言葉だけを使っておけばすべてが済む。しかし,「おとな」になるということは,自分でない他者と対話をする機会が増え,自分の思い通りにならないことも増えていく。そうした中で,自分の意思を伝える最大の武器は言葉になる。
これは大学生に対しても同じことが言えるかもしれない。大学生が高校生に授業をすることで,大学生は自動的に言葉を語らなければならない。しかも,自分が大学で学んでいることを基礎に高校生に授業ををするのだから,なおさらだ。今回の授業を行う前の打ち合わせの時間にこの記事の話をした。
そして,(感化されやすい私は)この記事をもとに,大学生に対して「高校生とともに新たな価値を創造する,その手助けをするのが大学生の役割だ。今までは伴走って言ってきたけど,ここからは価値の共創だ」(意訳)と伝えていた。だから,ますますもってわたしたちは,自分たちが何を為そうとしているのかを言葉にして語る必要がある。また新しいチャレンジが見えてきたような気もする。
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