日常が君に染まる
私の日常にある些細な出来事で、私は彼のことを思い出す。可愛らしいクマのぬいぐるみ、カフェのメニューの端っこにポツンと書かれたいちごジュースの文字、吸い込まれるような深い緑、ローファーの踵を踏んで歩く学生、穏やかな風にゆらめく水面、沈みゆく夕日に染まりつつある淡い紫の空。ふっと「あ、」と思い出すこの瞬間で、私がどれだけ嬉しく思っているかなんて誰にも教えたくないくらい特別なのだ。これまで遠巻きにでも会ったこともなければ、彼が私のことを知ることもない。ずっとそのままでいい、私のことなんて知らないで、限られた時間の中でもっともっと綺麗で、美しくて、澄んだものを見つめていてほしい。届くことのないこの思いにより一層胸がぎゅっとなる今日という日が今年もやってきた。
今年はとにかく目まぐるしく日常が変化し続けていて、正直言ってどうだったかなんて思い出せないくらい忙しかった。そんな私の日常とはかけ離れたところで、コンサートがあったり、今後の方針が決まっていたりと、彼らも今までとは少し違った1年だったのかなと思う。テヒョンさんだけの括りで思い出すのは、ウガスープで彼が流した涙のこと。ウイルスやらのせいで日々状況が変わり続け、何度も何度も組み立てたものが崩れ続け、それでも立ち上がって成果を上げてきた中で、あの空間でやっと流せた涙だったりしたのだろうかと、少しだけ切ないような痛むような気持ちになってしまった。もっとやりたいことがあったのだろう、出来ればやらないでいたいこともあったのかな。私達の存在がそうさせてしまった部分もあったりしたのかな。あることないこと考えて勝手に落ち込む私の思考はどうでもいいのだけれど、あの場で後悔を口にした彼の気持ちに少しでも寄り添いたかった。そう思っている人がたくさんいるんだよということを知っていてほしかった。でもすでにあの場には信頼できるヒョンたちがいて、キムテヒョン個人として、ひとりの友人として接しているという言葉に私達まで救われたような気がした。私の願いが少しだけ叶ったような気持ちになったのだ。どれだけ私が願おうが届かないそれを伝えてくれる人がそばにいること、それがわかっただけでも今年はもうお腹いっぱいですという気持ちであった。
つい先日我が家にも届いた写真集も、彼が見せたいもの、彼が好きなものに溢れていた。一枚一枚が重たくて、でもふわふわで暖かくて、私が生きてこれを見ることができたのが奇跡だと感じた。ここに至るまでこの日常を生きぬいた私にもありがとう、という気持ちまである。もしかしてこれが自身を愛することだろうかとぼんやり考えた、今。人を愛することは自身を愛すること。その逆もしかり。こんな尊い愛があったことを教えてくれてありがとう。その気持ちのまま受け取った彼からのクリスマスプレゼントは、より一層特別だったように思う。こんなに貰ってばかりで情けない、なにか返したいのに何もできない、悔しいなぁ。だからこそ私は今日もここやTwitterでこの愛を綴るし、クローゼットにはあなたからのプレゼントを大切にそっとしまっていくし、それを自分の日常に重ねてはひとりニヤリと頬を緩める。誰に見せるためでもない、私がしたいからそうするのだ。そうやって積み重なったほんの僅かな私の愛が大きな波の一つになって、彼の心に暖かな春を届けられていたら、それだけでも十分だ。十分すぎるくらいだ。
まだ彼という存在を知ってから日も浅く、まだまだ私が知らない歴史も、これからのこともたくさんあるけれど、毎日毎日彼に対して思うことはずっと同じで変わらない。どうかどうか笑顔で、幸せで、健康でいてほしい。たくさんの人に愛されていることを知っていてほしい。私だけでなくすべての人間が経験するであろう痛みも悲しみもできることなら知らず、もしくは僅かでも少なくあってほしい。幾多とある人生の選択の中で、この人生を歩んでくれたことに対する感謝と、尊敬の念はずっとずっと変わることはないと思う。一生このまま大好きでいられるかと問われれば、私は私という人間に対して信用がないので無責任な回答はできないけれど、こう考えて日常を生きてきたこれまでの日々はこの先変わることはないし、それを糧に生きた結果今日があるということは動かしようのない事実だ。その日々を噛み締めて私は未来を生きていく。きっと交わることはないだろう彼が見つめ生きていく未来のもっと先でも、できるだけ長く君に会えたら嬉しいな。今日も明日も明後日も、より多くの愛で満たされていますように。お誕生日おめでとうございます、テヒョンさん。