私の推しアイドル年表
誰が興味あるんだと言われてしまうとそれまでだが、何よりも私が作りたかったので作る。それくらい私の人生はアイドルとともにある。現在進行系で、だ。アイドルという存在がなかったら間違いなく私の人生は続いていなかったし、仮に続いていてもこんなに輝かしい希望や愛を感じる日々ではなかったように思う。そんな推したちに愛と感謝をこめながらこの記事をしたためる。(推しとは言ったものの、根っからのクソDDで箱推しでオルペンです。そういう性質。)ちなみに熱量がすごいのでアホほど長文になっています。お時間のあるときに読んでください…。
2002年(10歳) モーニング娘。にハマる
当時の推しは辻ちゃんとやぐっちゃん。ハマるといっても当時はまだ私も幼く、お支払いできるお金も全くと言っていいほど持ち合わせていなかったので、テレビ(主にうたばん、ハロモニ。)で彼女たちを見て、学校の友人たちとそれを語り、楽曲を口ずさむくらいだったと思う。
この頃のモーニング娘。といえば今でも語り継がれるほどの一大ブームとなっていたことは誰しもが認識しているはずだ。(この頃のことは黄金期と言われています。)メンバーの加入と卒業を繰り返すこの仕組みは、今たくさん日本に存在しているアイドルグループがこの形態を模しているものも少なくなく、アイドルを語る上で欠かせない存在である。
確か7期の久住小春さんが加入したあたりからだんだんと私の意識は離れていった。(彼女たちはここからがスゴイのになぜ離れたのかと当時の私に問い詰めたいです。悔しい。)
2004年(12歳) 嵐にハマる
担当(今は知らんがジャニーズ系は推しのことを担当と呼ぶ文化があるので、あえてこの言葉を使います。)は櫻井さん→二宮さん。チャラライに恋しない女はいないぞ。
好きになったきっかけは当時のお友達が既にファンで、その子の家に遊びに行ったときにコンサート映像(いざッ、Now)とバラエティ番組(Dの嵐!)を見せてもらったこと。このときの衝撃は今でも鮮明に思い出せるほどで、たしかその日の夜は、目を瞑るとコンサート映像がフラッシュバックして眠れなかった。それくらい私にとっては初めての経験で、後にも先にもこの感動は味わえないと思う。確実に人生の走馬灯の1シーンになる瞬間だった。(ちなみにその時見たバラエティの企画が「ウニvsクリ」で、今でもなんの企画だったのかよくわからないけど伝説的に面白かったです。彼らの深夜帯バラエティは本当に素晴らしいので今なおBlu-ray BOXを待ち望んでいます。総集編DVDは持ってますがあれじゃ足りません。運営に届け。)
初めての現場を経験したのも嵐で、毎年のツアーは欠かさず参戦していた。当時はまだ彼らの人気は今ほどのものでなくチケットの入手も容易だったが、公演内容が見劣りするなんてことは全っっっくなく、毎度毎度ホクホクと心を暖めてもらって、その温もりを抱えながら長い道のりを帰宅したことを覚えている。
ここだけの話、夢女子になってテキストサイトを運営していたこともある。お恥ずかしい限りだが、そういう“好き”に対するエネルギーが間違いなく生きる糧であった。
その後の彼らの人気は言わずもがなであり、チケットが入手出来なくなったことや大好きなバラエティの終了なども重なって、10周年の国立競技場公演を最後にさっぱりとアラシック(当時の嵐ファンの総称)を卒業した。私の青春の5年間を捧げた。
2009年(17歳) アイドルマスターにハマる
担当アイドルは星井美希ちゃん。一番長く、一番熱量を持って推していたのはこの子かなと思う。まずこのジャンルを好きになったのは楽曲きっかけなので、前述のような「ここ!」といったわかりやすいタイミングがあったわけじゃない。強いて言えば、当時ハマっていたニコニコ動画でアイドルマスターの実況プレイ動画を見て、そこで実況者が選んだアイドルが美希だった。その動画を見進めると同時に、彼女の魅力に惹きつけられてしまった。自由奔放でやる気は基本的にない、それでも彼女そのものが持つ素質が素晴らしく何をしてもそつなくこなす“天性のアイドル”というキャラクターで、私の“金髪ギャルのアイドル”の性癖はここがスタートである。
私は高校卒業後はすぐに就職したため、この頃から課金に対してのハードルがぐっと下がり始めた。この子には本当によく課金した。ゲームのDLCは当然、フィギュアは美希以外大小さまざま含めて60〜70体ある。(改めて数えてびっくりしました。)コラボカフェがあれば都内まで片道3時間弱かけて足を運び(ランダムの缶バッジがコンプまであと1種類足りないとなっただけでまた行ったりすることもあった。)、時にはすでに上京していた兄に頼み込んでグッズを買ってきてもらうこともあった。
映画化した際には仕事を休んで劇場へ通い(5回以上は行った)、冒頭にプロジェクトのロゴが出るだけで咽び泣き、2時間ずっと泣き続けながら見たりもした。
一人暮らしを始めたときには、一部屋すべてを“アイマス部屋”とし、すべての壁にグッズを飾った。
当時のアイマス部屋の写真。我ながらちょっと引く量あるな。ここから今はもうちょっと増えてますが、アイマス部屋はもうないし、ここのグッズもすべてクローゼットに仕舞い込んでるので体感では減ってる。(減ってるとは)
通勤時の車の中では楽曲を流し、歌いながら運転した。そういう人生の思い出が強く結びついているのもこの作品で、今でも大好きなキャラクターである。
ご存知の通り現在はこのシリーズは派生に派生を重ねてもう追いつけないほどになってしまい、当然担当アイドルの出番も減り、自然とこの界隈から卒業していった。ちなみに推してた時期はアイカツとちょっと被ってます。
2015年(23歳) アイカツ!にハマる
推しは夏樹みくるちゃん。ハイパーキュートな金髪ギャル。(でも自然が大好きで真面目な女の子だよ。)アイドルトップに君臨していた神崎美月と突如ユニットを組むことになる、彗星の如く現れたアイドルである。アイカツシリーズは基本的にアイドル育成学園からデビューするアイドルが登場するが、彼女はそういった学園に属せず、美月からの猛烈なスカウトにより素人からいきなりアイドルになった。いきなりデビューなのに絶対的なトップの美月に見劣りしない彼女も“天性のアイドル”なのである。(まぁこのシリーズは全員がアイドルになるために生まれましたみたいな性質あるので、全員好きです。)
好きになったきっかけは、アニメを見始めたこと。最初は職場での昼休みに、1人ランチのお供にしようという程度の気持ちでいたが、そこからはあっという間に魅力に取り憑かれてしまった。数々のトレーニングをこなしていく中で、崖上りや斧で巨木を切り倒すといった行動もあり、そういった突拍子のなさは大人でも見入ってしまう作品である。
そして何より楽曲がめちゃくちゃに良い。この頃の私は通勤時の車内で毎日音楽を聞くようになったこともあってか、楽曲の良さを第一にアイドルを見るようになっていた。当然この作品ではストーリーに合わせて楽曲が展開されていくので、キャラクターに思い入れが強ければ強いほどその楽曲がより良いものに感じられるのだ。
そういった楽曲に魅せられたあげく、ついにゲームセンターに通い、アイカツカードを収集するようになる。アイカツを熱唱しながら職場からゲーセンに直行し、数回プレイしてから自宅へ帰ると言うルーティンが出来上がるほどにのめり込んでいった。特にプレイした楽曲は「オトナモード」「永遠の灯」「ダイヤモンドハッピー」。お気に入りのコーデは各ブランドごとに必死で集めたプレミアムレアカード全てだが、特に思い入れが強いのは「羽衣プリンセスコーデ」。これのティアラがなかなか出なくて、まぁ…物凄い頑張りましたね………。(遠い目)
ちょうどその頃からアニメも主人公の代替わりがあったり筐体の切り替えがあったりと、めくるめく進化についていけなくなり卒業となった。(古い記憶に縛られるタイプのオタク)
20??年 ハロプロにハマる
6期最強。といいつつもモーニング娘。、℃-ute、Berryz工房、スマイレージなど雑多。(なぜ西暦が??になっているかというと、現場に出向くこともなければお布施を収めるわけでもなく、YouTubeで楽曲やステージを見漁るといった行動しかとっていないため、昔から今なお続く私の推しというよりは趣味みたいなものだからです。おぼろげながらもアイカツのあとによく見ていた記憶があるので、ここに入れることにしました。)
冒頭の娘。の項でちらっと書きましたが、黄金期のあとにやってくるプラチナ期がとてつもない。(特に田中れいなさんが好きで、今でもインスタもツイッターもフォローしています。認知してくれ!)この時期の凄さはどのアイドルオタクにも共感するほど伝説的なものであったので、ググれば良い記事も良い動画もワンサカ出てきますのでご興味がある方はそちらを見ていただいたほうが早いと思われる。(というか本当に凄すぎて私の持ち合わせる語彙力では説明しきれません。申し訳ない。)
℃-uteやBerryz工房、スマイレージは主に楽曲が大好きでよく聞いてた。中でも℃-uteの2枚目のベストアルバムはレンタルが主要だった当時の私が、せっせと探して購入したほど。(℃-uteとBerryz工房のアルバムはどれもず〜〜っと貸出中で借りられなかった。)耳に残るキャッチーなメロディはもちろん、全女が理解してしまうような歌詞と、それを難なく歌い上げる絶対的な歌唱力を持ち合わせたアイドルという組み合わせがたまらなく好きだった。
中でもよく動画を見ていたのは松浦亜弥さん、田中れいなさん、菅谷梨沙子さん。田中れいなさんは伸びやかな高音がキレイで、菅谷梨沙子さんは底から捻り上げてくるようなガナリと低音が素晴らしい。そして松浦亜弥さんは歌が全部うまい(ここから語彙力喪失します)のはもちろん、ビジュアルもめちゃくちゃ可愛いし、ダンスだって出来る、MCも盛り上げ上手でめちゃくちゃ上手い、グループでそれぞれ役割分担してこなすような作業を、ひとりでサラリとこなしてしまう。彼女もまた“天性のアイドル”なのである。もし1つ願いが叶うなら、今の松浦亜弥さんのライブが見てみたい。そう思うほどに憧れる存在だ。
2021年(29歳) 防弾少年団にハマる
推しはジョングクさん→Vさん。やっと現在にたどり着きました。長かった。ここからは当時の私の心情がかなり関わってくるので、余計に長くなることをご容赦願いたい。
アイカツをやめてからはしばらく私生活が忙しくなり、アイドル全体から離れていた時期があった。もちろん楽曲は聞いたりしていたけれど、新しい何かを取り入れるといったこともせず、古い記憶を堂々巡りして過ごしていた。
そんな最中の2020年半ば、私は鬱になった。正確に言えば産後鬱である。この時期のことはほとんど覚えてないが、毎日泣いて過ごしていた気がする。服薬を始めてから1年経って子供が保育園に行くようになり、私の体調は確実に良くなっていた。そのタイミングで断薬を始めたが、一気に食欲が落ち睡眠が取りにくくなった。(ちなみに2ヶ月で9キロ痩せた。)強い眠気の副作用もあったので薬はできるだけ避けたくて、さぁどうするかと思っていたタイミングで今の推しであるBTSに出会った。
確か前からDynamiteはちょくちょく聞いていたし、何度かMVも見ていた気がする。しかししばらくアイドルから身を置いていたことや、鬱で記憶力がガタッと落ちていたためか顔の区別がつかず、あまり記憶には残らなかった。そんな中で見たのが「Butter」のMVだ。よく目立つパープルヘアのジョングクがサビで眉をクイッと上げながら手の甲にキスしたあの瞬間、15年前の私が嵐に感じたあの衝撃に近いものを受けた。音楽以外の生活音が消え去り、視界のMV映像以外の部分が真っ白になるような、それくらい強い衝撃だった。
そこからはもう夢中だった。Butterのステージ映像を見漁り、有志のまとめ動画を見漁り、ウィキペディアで何度も彼らの項目を読み漁った。あのMVでもし彼がパープルヘアじゃなかったら、もし彼がセンターじゃなかったら、もし彼が5日間の断食を諦めていたら、今の私はまた鬱になって、仕事も育児もどうなっていたかわからない。それだけ彼のあの姿は私にとって強烈なもので、これもまた人生の走馬灯の1シーンになり得るだろう。
現在は推しがVさんになって、彼もまた“天性のアイドル”で、私の好きはなんだかんだ全て共通しているのだなとこれを書きながら実感しているところである。まだBTSに関しては歴が浅いので特に書ける思い出もないのだが、とにかくジョングクさんに会って目を見て「パープルロングヘアにしてくれてありがとう」を伝えたいとは思っている。
終わりに
こうして長々と書いた割にどのジャンルもあまり深くのめり込んでいる方ではないと思う(嵐以外は現場にも行ってないくらい)ので、それぞれ気になった項がもしあれば有識者の記事や動画を見てもらったほうがより良い魅力が伝わると思う。
それだけ熱しやすく冷めやすい私だけれど、間違いなくそこに愛はあったし、今でも大好きで大切な推したちである。Dの嵐のDVDも、美希のフィギュアも等身大パネルも、プレミアムレアのアイカツカードも、℃-uteのベストアルバムも、未だに手放せずクローゼットにそっと仕舞い込んだ大切な思い出たちだ。これから増えていくであろうBTSのグッズも、きっとずっと手元に置いておくことになるだろう。
過去の推したち、こんな私の人生を支えてくれてありがとう。己の人生や精神を削りながら私達に愛と希望を送ってくれるすべてのアイドルよ、どうか幸せになって。