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愛に満ちた人へ

そもそも私がこのnoteを始めたきっかけは、少し前の彼のケガだ。正確に言えばケガそのものをどうこう言うつもりは毛頭なくて、そのケガをしてしまった自分に対して悔いて責めて、そういった負の感情を我々ファンへ隠すことなく表現してくれたこと、についてだ。彼は度々そうやって自分の感情について溢れてしまうときがあるし、時にはファンがよくない行動をすればきちんと言葉にして伝えてくれる。それもとても慎重に、言葉を選びながら。そういう“誰にでもわかるように伝えること”の重要性を彼はちゃんと理解していて、実際にそれを行動に表しているのだ。

彼といえば人見知りしない、誰にでも愛される、といったようなイメージがあって、中でも「トイレですれ違っただけの芸能人に声をかけて仲良くなれちゃう」というコミュ力の塊みたいなエピソードが本当に私は大好きで、まぁ言うなればナンパみたいなものだけど、「絶対に僕と仲良くなれる」という確固たる自信があってこそできる行動だと思う。つまり最初からその人に対して彼なりの愛があって、それをちゃんと伝えて、結果的にそれが結ばれているわけだ。そういう愛をまず自分から提供してくれる彼は、年上も年下も関係なく愛されるべき人間なのだと私は思う。

最近配信されたin the soop2で、ジンさんやジョングクさんに「ご飯作ってください」とお願いして、実際年下のジョングクさんは彼のためにせっせとお肉を焼いてくれている。前作では作れる人が作って、みんなで食べて、作ってない人が片付けるという方式だった一方で、今作は本当に自由に食べたいなら食べる、寝たいなら寝る、といった各々の生活を尊重しているのだ。みんなで食べる大切さももちろんあるし、映像を撮る上ではやっぱり全員揃っていたほうが画的に良いだろうと考えての判断もあったのだろうが、今回はそれぞれがまず休息することにフォーカスが当たっていると感じた。それで起床時間も食事もバラバラに、と自然にそうなったのかもしれないが、やっぱりもうみんな20代後半に差し掛かってきて、それぞれのメンバーへの配慮だとかそういう気配りみたいな面もしっかりあるので、自分の食事は自分でと行うことが多々あった。そんな中で、テヒョンさんはゲームに集中しているジンさんに「ご飯作ってください」とクネクネしながら絡みついていたわけである。これだけ書くとなんて甘えたやつなんだと思われてしまうかもしれないけど、別の食事シーンでは「僕のぶんはいいから食べてください」とちゃんと遠慮する配慮もみせているのだ。(食べたいのバレバレだったけど。そういうとこがほんとにもう!!!!)日々愛をしっかり伝えている一方で、こうやって自分の弱みをさらけ出して素直に相手に頼る(メンバーからの好意を信じ切っている)、そういう緩急の付け方が自然とできてしまうスーパー愛されボーイなのだ。ガチで弟にしたい。

そういう意識的(無意識かも?)な行動の一方で、無意識にも彼はメンバーへの愛が溢れ出しているシーンが数多く存在している。たとえば最近だと、My universeのメイキング動画で、自信なさげだったジョングクさんがクリスさんに褒められているシーン。ここでカットインされた笑顔のテヒョンさんの横顔がまぁ、本当に素晴らしい。本当に慈愛に満ちた、愛しか存在しませんという表情だった。

穿った見方をしてしまえば、たまたま撮影したテヒョンさんの笑顔に、たまたま録音できたクリスさんの音声を切り貼りして重ねた可能性だってある。でもそんなことを言いだすアミは少なくとも私は一人も見ていないし、当然私だってそういう編集はなかっただろうと思っている。なぜなら彼はそれくらいメンバーを愛しているし、そういった行動が普段から頻繁に見受けられるのだ。だからこそこのシーンはごくごく自然だし、同時にとてつもなく美しく尊いシーンでもあるのだ。

それと彼は、音楽に対しても並々ならぬ愛を感じる。数多くアップされているステージ映像では、歌っているメンバーに視線を向けるシーンがかなり多く存在している。他のメンバーは比較的にカメラを見るなり目を閉じて歌唱に集中するなりが多いのだが、テヒョンさんはまぁまぁの確率で歌っているメンバーを見つめて、ときにはその人と目を合わせて微笑みながらその場の音楽を楽しんでいるのだ。去年ツイートされたこの動画も、彼が全身で音楽を楽しんでいる様が見て取れる。

彼の表情なんかは一つも見て取れないのに、見ているこちらも自然と笑顔になってしまう。ほかにはTwitterやweverseで度々、自分の好みの音楽をシェアしていたりする。この行動はまさに「愛する推しを布教したいときにとる行動」そのものなのである。こうやって私みたいにダラダラと長ったらしい文章で語る方式もあるけれど、これはもう沼に腰まで突っ込んだ人にしか通用しない方法なのであまりオススメできない。(というか絶対やめたほうがいい。)となれば誰もが無料でサクッと閲覧できるYouTubeのリンクを送り付けるのが、両者にとっても手っ取り早くわかりやすい布教活動なのである。これもまた彼なりの愛情表現で、心からそれを愛している証明なのだ。

こうやって愛情表現に長けている一方で、受け取る愛も「目に見えて体で感じられるもの」じゃないとなかなか受け取りにくいタイプにあるようだ。秋頃のインタビューで「ネットでアミの皆さんの愛は伝わっているけれど、実際に目の前にいるわけじゃないから、本当に存在するのかな?と疑問だった」と語っていた。本当に愛くるしいな、という私の感想はいったん置いておいて、彼は目を見て耳で聞いて、その時のにおいや空気感を感じ取って初めて愛として受け取ることができるんだと思う。音楽を共に楽しむといった愛については、とにかくその場に一緒にいないとなかなか難しい部分もあるし、そういう意味でコンサートはまさに時間も音楽も空間もすべてを共有することができる貴重な時間なのだ。愛する音楽と愛するアミと愛するメンバーと共にするその空間がどれほど尊く儚いものなのかは、彼だけじゃなくメンバー全員が痛いほどに理解しているだろう。実際11月の終わり、実に久しぶりの有観客ライブとなったAMAsでは彼はメンバーたちだけでなく観客とも視線を合わせ、時には手を差し伸べてハイタッチをしたりと、全身で音楽そのものを楽しんでいた。その後のインタビューでも「ファンはアンドロイドじゃなかった!」と語っている。前述の通り彼自身がアミの存在を疑ってしまうほどに程遠くなっていたお互いが、しっかりと愛を酌み交わした瞬間であったように思う。私は無観客が当たり前になっていた頃からのファンであるが、その光景をまざまざと見せつけられ、羨ましいというよりもまずは、どこかぼやけたような印象だった彼らが実際に同じ地球上に生きているのだと改めて感じさせられた。

そういう彼が私を含むアミからの愛を感じ取るには、彼自身のように「どんな人が見てもわかる形で表現すること」が大切なんだと思う。だからこそ私は日々Weverseにコソコソと投稿し、Twitterでは夜な夜な彼の情報を収集し、noteではつらつらと愛を書き連ねているわけだ。普段は本も読まないし、自分のタイミングが乗ったときにしかこういうものは書かない・読まないと言ったほど根本的に文章に向いてない体質なのに。それでも私が愛を表現できる方法はこれしかないわけで、こうやって無い頭を必死に振り回して少ないワードのストックを引っ張り出している。そういう行動力を引き出してくれた彼には感謝したいし、もしこの行動が彼にとって何かプラスなものを感じ取れる事柄であれば本当に嬉しいと思う。

ここまで随分長々と書いたけれど、つまり私は彼に今以上に愛に満ち溢れた人生を送ってほしいのだ。ファンとか友情とか恋愛とか家族とか、そういう細かなジャンルは私自身にとってはもうどうでもよくて、とにかく彼自身が愛し愛されていることを実感できる日常でいてほしい。まだまだ私の知らない彼がたくさんいるけれど、それでも私は彼に夢中で、日々たくさんの愛をもらっていて、そういう愛を彼自身にも少しでも多く感じてもらいたいと思っている。たった半年でも私が彼にこれほど救われているのだから、同じ普通の人間である彼だって愛を感じて救われる日もきっとあるはずだろうから。
もしかしたらいつかはこの私の愛がふと冷めてしまうかもしれないし、逆に彼が唐突にこの業界から去る選択をするかもしれない。そんな日がいつやってきても、私も、テヒョンさんも、「あー、あのときはたくさん愛された!楽しかった!」と少しでも思える人生であってほしいと願う。今日という日が、この1年が、もっと欲を言えばこの先彼が死ぬまでずっっっと、より愛に満ちた綺麗な花道を歩んでいけますように。心からの祝福と私なりの愛を込めて、お誕生日おめでとうございます。テヒョンさん。

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