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HIPHOPと犬とフラガール / 留置場での生活 vol.3

こんにちは、今回もまた1週間振りに更新します
タイトルにもある通り
留置場に入って変わってしまった生活や
出会った作品などに触れつつ
俺の思うHIPHOPに対しての思いを
伝えられたらと思う。

先ず、vol.1でも言った通り
7月25日の朝9時頃、俺の家に
スーツを着た10名程の警察がガサ入れに来て
何も見つからなかったのにも関わらず
約1年前となる去年の9月に
覚醒剤の所持と使用で逮捕された人物が
俺の名前を出していると言う
全く身に覚えのない事件で逮捕された
この辺の詳しい話は
裁判が終わり次第話したいと思っているが
1発目の取り調べの際に
インスタのフライヤー画像と共に
「お前今週イベントだろ?」
と言われた為
タイミングを見計らって来たんだな
と同時に
言葉に出来ない苛立ちに襲われた
この時点で俺は、警察に協力する気にも
何かを話す気にもなれなかったし
そもそも本当に関係の無い話だったから
完黙する事にして
最終的にこの事件について
1枚も調書を書かせずに取り調べを終わらせた。

俺には留置場に居る40日間
接見禁止がついていて
弁護士さん以外の面会も出来ないし
手紙を出す事も、もらう事も出来なかった
そんな中で逮捕された翌日に
弁護士さんが面会に来て
衝撃的な一言を言われる事になる
それが
「お家が強制退去になりました」
だった。

何を言ってるのか意味が分からず
え、どーゆう事ですか?
と聞き返すと
「警察沙汰になった時点で、強制退去にしますと言う節の事が、大家さんとの契約書の中に記載されていたみたいで、約1ヶ月後の8月の25日までに出ていって下さいとの事みたいです」
との話だった
捕まって2日目にそんな事を言われても
いつ出れるかも分からないし
どーする事も出来なかったから
これには正直凄く腹が立った
結果的に俺はその日までに出れる事は無く
親が引越し業者に頼んで
引っ越しを完了してくれて
俺は約5年振りに実家に戻る事になった。

これに関しては親にありがたいと言う気持ちと
申し訳ないと言う気持ちもあったが
保釈の条件にも
実家に住む事

2日以上家を空けない事
の2つがあった為やむを得ず
裁判が終わるまでは実家に住む事を決めた。

俺は21歳で実家を出て
今までずっと1人暮らしをしていたから
既に自分の生活と言うものが染み付いていて
どーなる事かと思っていたが
実家に戻って来て
ひとつだけ良かった事がある
それは、シュナウザーという種類の
「ランディ」という名前の
メスの犬を飼っているという事である。

実家では俺が小さい頃も
ラブラドールのメスの犬を飼っていて
幼稚園生くらいの頃の俺は
その犬を散歩するのが凄く楽しかったし
小学生の頃に
「ヒメ」という名前のその犬が亡くなった時には
誰にもバレない様に
1人布団の中で泣いた事を覚えている
それくらい俺は犬が大好きだったから
留置場でも犬の物語の本を読んで
感動して涙を流したりしていたし
いつか飼いたいと自分でも思っていたから
犬との生活というのは俺には嬉しくて
癒しになっているのも確かである。

俺が1人暮らしで実家に居らず
何かの拍子に帰った2年ほど前に
急に実家に新しい犬が居た時は
何も聞いていなかったから
ビックリしたけど嬉しかったと記憶している。

このシュナウザーのランディという犬が
めちゃくちゃ可愛くて
俺は誰にもバレない様に
家族が居ない時にだけ遊んだり
構ったりしているんだけど
俺の姿を見かけるなり
「遊んでー」
と言っているかの様に
尻尾を振って吠えながら
足元に近寄って来たりジャンプしたりして来る
これがもうたまらない。笑
それだけで俺は実家に戻って来た理由になったし
近々落ち着いたら
友達とお散歩に連れて行きたいなと考えている。

何かで見た事があるけど
犬は動物の中でも人間の生活や感情に
入り込みやすいらしく
他の動物達よりも
亡くなってしまった時やお別れの時には
人間が亡くなってしまった時と
同等の悲しみに襲われるという事が
科学的に証明されているらしい。

vol.1でも書いた通り
中で犬の本を読んだ様に
40日で合計32冊の本を読んだ
その中には様々な物語の本やアーティストの自伝
自己啓発本、スピ系の本だったり
人生についての本など
色んな種類の本を読んで
考え方を変えてくれたり
俺に自問自答する時間と知識を与えてくれた。

だから娑婆に出て来てから
出会った人達や話した人達の表情や言葉は
vol.2でも詳しく書いた通り
本当に自分の力になったし頑張ろうと思えた
犬もその中の1つになっている
そして、そんな事を考えているうちに
今回の自分と重ね合わせて
ランディを見てふと思う事があった。

それは
命あるものは
いつ居なくなるか分からないから
思い出は
生きているうちに残さないとな
生きているうちに愛さないとな
人間も犬も
という事。

今が楽しければ良いとか
未来をなんとなくしか考えていなかった
あの頃の俺じゃ
きっとそんな事を思う事もなかっただろうし
ただ夢しか無くて
失うものも愛するものも何も無かった
あの頃の俺じゃ気付く事も出来なかった
そんな大切な事を
俺に思わせてくれたから
本当にありがとうと伝えたいし
俺を必要としてくれている人達の事は
俺も大切にして生きて行こうと決めた
そー思えたのにはもうひとつ理由があって
それが映画「フラガール」を見た事である。

俺はフラガールの舞台である
地元いわきの人間なのに
今の今まで見た事が無かったし
寧ろ身近過ぎて気にならなかった
っていうのが本音かもしれない
地元の人が地元の有名な食べ物や
有名な観光地にはあまり行かないのと同じ様に
見ようと思った事すら無かった。

だが、中で同部屋だった東京の人が
「いわきってフラガールの映画のとこだよね?俺あれで知ったんだよ、見た事ある?」
と聞かれて
見た事ありません
と答えたら
「あれめちゃくちゃ面白いから見てみてよ」
って言われた事がきっかけで
少しずつ気になり始めた。

そしたら丁度、中で借りられる官本の中に
「フラガール物語」
という、映画のフラガールとは違うが
ハワイアンズやフラガールの成り立ちから
映画が上映されて何年後かに起こる
東日本大震災を乗り越えるまでの
フラガール達の物語を題材としている本があった
それを読むと
いわきの歴史やハワイアンズやフラガール達の
大変な困難や逆境を乗り越える様子が
映し出されており
地元の人間なのに今まで知らなかった事を
後悔するくらい感銘を受けた
だからこそ余計に
出たらフラガールを絶対見よう
とその時に思ったのである。

そして、先週の木曜日9月19日に
TSUTAYAでフラガールを借りて
実家の部屋で1人で夜な夜な見てみたんだけど
これが本当に最高だった
地元の人間だからこそ分かる事や
共感する事
親父世代の人達に聞いた話などとリンクして
終始涙が止まらなかったし
同じいわきの人間として
俺も頑張ろうとかいわきを盛り上げたいとか
心の底からそー思ったし
何より
「フラガールってクソHIPHOPだな」
と思う程喰らってしまった。

挑戦するという事に
批判や恐怖は付きものだが
それが大きければ大きいほど
乗り越えた時の達成感というものは凄まじく
逆境に立ち向かう勇気や気持ちや責任感は
人をどこまでも大きく成長させてくれる
そんな事を
地元いわきの先人達は
身を持って教えてくれていた様に思う。

これは俺が思うHIPHOPの精神とよく似ている
俺は中で本当に毎日の様に自問自答したのだが
17歳で音楽を始めて
ただ夢を追いかけていたはずが
何故俺は今留置場の中に居るのだろうか
先輩方の教えを
疑いもせずただ純粋に
これがHIPHOPだと教えられて
それを頼りに生きて来た結果
何故俺の辿り着いた先は留置場だったのか

立ち止まったからこそ
その意味について深く考える事が出来て
俺の中で1つの答えが出せたと思っている。

俺は小学生の頃からグレ始め
喧嘩をしたり煙草を吸い
毎日の様に先生に呼び出され
それが中学になるとエスカレートし
警察にお世話になる事もしょっちゅうだったし
中卒で、15.6歳から建設業の仕事をしながら
仲間達と暴走族の様な毎日を過ごしていた
あの頃は未来なんて見えなかったし
今がずっと続けば良いとさえ思っていた。

そんな生活の中で
いつも仕事で迎えに来てくれる
40代の会社の先輩が
「今日も行きたくねーなー」
「早く帰りてーなー」
と言ってるのを見て俺は
「俺も毎日やりたく無い仕事なんてやりたく無いけど、中卒で仕事も無いし、これしかないから仕方無く建設業をやっている。その事にいつか慣れて当たり前になるのかななんて思ってたけど、もしかしたらこの辛いだるいと思っている気持ちが、死ぬまで続くのかもしれないな、だとしたら俺にはそんなの耐えられない、好きな事で生きて行きたい」
と思った事や
悪さばかりの未来の無い毎日に嫌気が差し
この生活から抜け出したい
と思った事で俺は音楽を始めた
他にも初期衝動や色んな理由はあるんだけど
明確に思ったのはこの時だったと記憶している。

そして、地元のラッパーの先輩に連絡をして
基本的な事を教えてもらいながら曲を作り
17歳で初めてLIVEをして
そこから音楽活動がスタートした
小さい頃から歌う事が大好きで
少しだけピアノを習っていたり
親父がアコギを弾いたりしていたし
小学生の頃からHIPHOPを聴き始め
カラオケでよく
好きなラッパーの真似をしたりしていた俺は
すぐに音楽にのめり込み
俺の生きる場所はここだ
と、本気で思う様になるには
さほど時間はかからなかった。

そこから沢山曲を書いてLIVEをして
たまにMCバトルにも出る様になった
そしたら18歳の頃に
年齢的に最後だし思い出作りの為に行ってみるか
と、受けに行った
第11回高校生RAP選手権のオーディションに
何故か受かってしまい
出場出来る事になった
これには俺が1番ビックリしていた。

多分勘違いしてる人も居ると思うけど
俺は完全に音源から入った人間で
MCバトルには
地元のイベントでエントリーが少ないからと
半強制的に出させられた事しか無かったし
今だから言えるが
バトルはやるより見る方が好きで
高校生RAP選手権でのバトルは
人生でまだ3.4回目のバトルだった
だから物凄く緊張したし
高校生RAP選手権は本当に世代だったから
あの人達が立っていたステージに立てる
とか
見る側から見られる側になるんだ
って、相当嬉しかったのを覚えている。

ただ、実際本番は
頭が真っ白で何を言ったかも覚えていないし
1回戦で負けてしまい
恥ずかし過ぎて未だに1度も見返していない
だが、自分が思っていた以上に反響が大きくて
街中でも声をかけられる様になったし
県外に行っても若い子達に
RAP選手権見ました
と言われる事が多々あった
だからこそ余計に俺は
曲を出したりLIVEをしたりイベントを打ったりと
ただ我夢者羅に突っ走った。

なんて事を留置場の中で思い出していた
それがなんでここに居るんだと
嫌悪感に苛まれた
でも振り返れば振り返るほど
今まで色んな過去や現実から目を背けていたけど
本当は自分で気付いていた事
分かっているのに
分かっていない振りをしていた事など
色んな事が浮かんで来た
それは捕まる前には素直に言えなかった事だった
悔しい
ただただ悔しいという事。

俺は確かに高校生RAP選手権という
デカい舞台に立つ事が出来た
でもそれを活かす事は出来ず
ずっと地元で燻っていた
欲望や誘惑、しがらみに
押し潰されそうになりながら
何度も悔しい思いをした。

あの舞台に立った人達はその後
売れている人達ばかりだったし
BADHOP、ちゃんみな、OZworld
WILYWNKA、Hideyoshi、Leonなど
名前を出すとキリがないほど
第一線で活躍する人達の中には
高校生RAP選手権から有名になった人達が
何人も居て
歳下のRed Eyeや
同じ第11回に出場したNovel Coreに至っては
武道館でのLIVEまで成し遂げている
俺も同じ場所に居たのに
俺もあの人達と同じ舞台に立ったのに
と思うと
本当に悔しかったし
眩し過ぎて直視出来なかった
それが今まで正直に言えなかった
僻んだり言い訳したりして目を背けていた。

でも中に入って出て来た時
それが一切無くなったし
バトルサミット2の
Red Eye vs Novel Coreを見た時
素直に凄いと思ったし
俺も頑張ろうと初めて思えた瞬間だった。

そして自分の中で
何よりも1番変わった事は
音楽に対しての
HIPHOPに対しての価値観だった。

俺は自分を変えたい
環境を変えたい
人生を変えたいと思いこの世界に入った
だが、いつの間にか
音楽よりも
HIPHOPがどーとかそんな事に囚われて
やりたい事とは違う事をやっていた事に気付いた
俺が憧れたのは
ハスラーでもギャングスタでも無い
ましてやジャンキーなんかじゃ絶対に無い
俺がやりたいのは音楽だ
と、初心を思い出す事が出来た。

地元の先輩や周りには
ダサい自分や弱い自分、甘えている自分
そして、薬物や犯罪や前科など
自分のしている悪い事や辞められない事を
HIPHOPって言葉で言い訳して
正当化している奴等ばかりだった
俺はそれがHIPHOPだと教えられ
間違った知識の中で
それが当たり前の世界で生きていた
でも違った
そんなの当たり前じゃ無い
そんなのHIPHOPじゃ無い
HIPHOPっていうのは
そーゆう現状を音楽で抜け出す為の手段だ
と、留置場の中でハッキリと気付く事が出来た。

良くも悪くもいわきには
背中で見せてくれるカッコいい先輩も
尊敬出来る先輩もあまり居なかった分
反面教師として見る事が出来た
勿論そんな人達ばかりでは無いし
俺自身偉そうにそんな事を言える様な
出来た人間では全く無いが
今思えば
そーゆう反面教師の人達が居てくれた事で
これはやってはいけないなとか
こーはなりたくないなとか
そーやって自分で考える事が出来た分
それで良かったのでは無いかと思っている。

それは誰しもが経験出来る事では無いし
寧ろほとんどの人間が経験しない
一生関わることのない様な環境や世界だったし
本当はそんな思い
しないに越した事はないんだけど
俺は10代のうちから経験する事が出来たから
きっと、そんな経験をした事が無い人達よりも
少しは人に優しくなれたんじゃないかなと
今になって思う
だからこそ、今まで出会った全ての人へ
今まで経験した全ての事へ
成長させてくれてありがとうと感謝を伝えたい。

先ほど触れたバトルサミット2で言えば
出て来たその日に見た
般若 vs MC漢
のバトルの中で般若さんが言っていた
「お前が何本巻いてる間
俺は何回ワンマンのLIVEをやった?
お前が何本巻いてる間
俺は何百行のリリックを書いた?」
のバースに上がらずにはいられなかった
般若さんの「何者でもない」という本を
中でも読んで本当に助けられたし
漢さんの「ヒップホップドリーム」という本も
出て来てから愛読している
HIPHOPという音楽や文化は
逆境でこそ輝くという事を
改めて教えてもらえた気がした
お二方とHIPHOPの全てにこの場を借りて
ありがとうございます。

ここまで長くなってしまったけど最後に
俺がやりたいのは音楽
今日まで書いた留置場での生活に関しては
しっかりと歌詞を書いて
曲にしてリリースするから
楽しみにしていて欲しい。

noteはこれからも週1くらいのペースで
更新しようと思っているけど
とりあえず裁判が終わるまでは
留置場での生活については
一旦これで終わりにする
今後プライベートな事とか趣味の事とか
色々書いていこうと思うから
これからも読んでもらえるとありがたいです
では、またここでお会いしましょう
またね!

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