【ネタバレあり】『キング・オブ・コメディ』純粋な社会の底辺の狂気。
『キング・オブ・コメディ』をみた。
デニーロ演じるパプキンという男が、イタくて哀しい孤独なやつで、とても辛い映画だった。
ラストシーンの解釈を半ば無理矢理、楽観的に捉えて、胸熱映画ってことにしている。
メインキャストは3人。有名コメディアン・ジェリー。彼に憧れる主人公・ルパート・パプキン。ジェリーのクレイジーな女性ファン・マーシャ。
コメディアンに憧れるパプキンが、ジェリーを半狂乱のマーシャから救ったことで、有名人とお友達になったと勘違いするところからはじまる。
ジェリーは有名・頂点・金持ち・成功者・常識人。
対して、パプキンは真逆。無名・どん底・貧乏・敗北・社会不適合者として描かれている。両者は決して絶対に交わらず、独立して存在しているところが、観ていて本当に辛かった。冒頭のジェリーとパプキンの出会いは、パプキンにとって、本当に心躍るものだったが、ジェリーにとってはone of themその他大勢の一人で、彼の生活になんの影響も及ぼさない。この感じ。辛い。
おおよそ全ての人間関係において、優位に立つ側はいつも劣勢側の存在を気にとめない。そのことをむしろ諦め受け入れて生きていくのが普通。しかしパプキンは純粋である。自分の存在をジェリーと同等のものであると歪んだ認知をする。この歪んだ認知が、痛々しく危ないストーカー的な発想に至る。
個人的にこの映画が好きなところが3つある。(あくまで個人的)
まず、オープニング。
ジェリーがファンにもみくちゃにされる中、カメラのフラッシュを浴びるパプキンの顔越しに、マーシャが車の窓に手をついて、一時停止。ウディ・アレンの映画のオープニングで流れそうな古き良きアメリカな音楽と共にタイトルが流れる。
狂乱のすぐ真横に穏やかな空気がある風な感じが、この映画の空気感をまさにあらわしていて好き。
そして社会不適合者をロバート・デニーロが見事に演じているところ。
細かい演出が、マジでヤバい感を出している。お母さんが、中学生を注意するような感じで叱っている所、等身大パネルに向かって話しかける所、観客のパネルに向かって漫談をはじめる所とか。痛々しいし、マジでこわい。
最後にどんでん返しのエンディング。
もう、だめだ、辛い、と思ったところからの、『カメラを止めるな』ばりのどんでん返し。孤独、哀しみ、痛みを見せつけられたあとだからこそ、
パプキンの台詞が心に響く。
「どん底で終わるより、一晩だけでもキングになりたい」
よかったね。パプキン。
...なんて、呑気に喜んでいたけれど、エンドロール、冷静に考えてみると、それすらも虚構の可能性がある。この映画は終始現実と虚構が入り乱れ、その境目が全くない。パプキンの脳内世界が現実のように語られ、そのまま現実とつながる。
すべてが虚構だなんて考えたら、とことん落ち込むので、のし上がったお話だ!と私の中で結論をだした。けど、虚構かも、という余地を残しておくことで、人生の戒めにもなる。