見出し画像

君に、届かない。

 ノレンに腕押し、ヌカに釘。

 とある精神障害者が自分と他人を比較して自分が劣っているという事に嘆いていたので、既に結果がわかっている事を確認して落ち込むことは無意味なのでやめた方が良いぞ。とリプライを返したが、まあきっと比較を続けることはやめないだろう。

 別に精神障碍者が悪いというわけではないのだが、普通に働くのも少し難しい。要は生き辛さの証明として障碍者手帳を持っているのに健常者と比べて劣っているというのはある意味そりゃあそうである。と言う話なのである。

 私から見てその人は十二分に面白いし男女問わずモテているのに生きていることに苦痛を感じているようで、本当に生き辛い性格なのだなと思うしかない。

 優れている事で劣等感が拭いきれるという事は無い。と私は思う。優れていても個々の悩みは尽きないからだ。

 私の友人に(たぶん)世界的な作曲能力を有した友人が居る。前にNoteに書いたかもしれないがこれが飛んだ放蕩もので「寂しさを埋める酒が無い」などと生き辛さを常に吐露している。別の友人にプログラミングで生計を立てている優秀なプログラマーが居るのだが、その人もたびたび死にたくなって言る。二人とも精神に効く薬を服用しているタイプの人間だからお察しでもあるわけなのだが、能力的に優れていたとしても脳内物質の関係で不幸だと思っている時間が長いのである。

 自分と他人を比べたところで落ち込むのであれば比べる事を辞めればいいだけの話であるし、一見優れているように見えても個々で悩みを抱えているのである。傍から見たら小さなことでも本人にとっては大きなもの。それが悩みと言うものなのだ。

 隣の芝生は青く見えるというのは実にその通りなのだろう。皆が皆色眼鏡で他人を見て、色眼鏡で見える光景から自分と比べて落ち込むことを好んでしているのだ。実に横暴だ。

 私自身も比較をしないかと言えば、ついついしてしまう事もある。でも他人を見下せるタイミング意外にはあまり行っていない。落ち込むからだ。感情と言うものは青天井の底なしなのである。無理に付き合うものではない。そんなことで落ち込むくらいなら紅茶でも飲んでゆっくりする方が良い。

 そんな事を思う次第だが、彼らには結局届かない。それはまあ理屈を超えた脳内物質のせいでもあるので仕方のない事なのだろう。

 とまあ、障碍者は障害者らしく自分の間抜けさを受け入れろ。とんでもなく差別的な発言をしている日記になってしまったわけだが、優れた人間と比べすぎて不幸になってしまうくらいなら間抜けであることを受け入れるのも良いのではないかと、年収200万のワープアおじさんと言う間抜けの一人としては思う次第である。

 差別的な発言を控えたところで、私のありようがどれだけ変わったとしても、彼らが自分と他人を比べて落ち込むような事はやめないだろう。そこが実に難しい所である。結局、大事な事は言葉だけではどうしようもないのだ。

いいなと思ったら応援しよう!