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2022

  2022。始まりの日。

1日目から大切な人との時間。それが何よりの幸せのこと。

仕事も、自分のことも、2人のことも、きっとうまくやっていける。そう思える人との時間はとても稀有はことであると考えている。

元々、私はHSPを持っていて、人といること自体があまり楽しいと思いきれないふしもある。元々はこうではなかったのだけれど、とある職場のきっかけを境に、自分が他人と接するにあたって壁を一旦作ってしまうことが多くなってしまった。それからというもの、人の顔色を伺っては作業し、言葉もかけるまえにじぶんが済ませることができればそれでいいや、というような形で、何事も一歩引いて物事を考えてしまっていた。それは

 多分、大人、といわれるような、その感じで語られるものではなくて、無興味、といった類のもので、自分にすら無価値であると考えてしまっては、その先に見えるものを見ようとしないで物事を考えてしまうようになってしまった。

 前に一緒にいた人ともそのような感じだった。どこか先を見据えているのにも関わらず、そこに居座るのは諦めと無興味。興味を持たないでドライに接することができるから特段何も起きずになんとかやりこなすことができて、

何事もここまで進んできてしまったけれど、仕事に2回目に行けなくなった時に完全にまた顔を出してきてしまったHSPが、全く離れなくなってしまったようなきがしていた、2021の中盤。

そんな中で、出会った奇跡の繋がりが、私の人生に一つの忘れかけていた光と想いが浮かび上がってきて。そんな出会いもあった2021が、去って、新しくまた2022がやってきた。


2022の匂いは甘くて、温かくて

そして努力の匂いがした。

泥臭くて、センスがなくって、私はいつもそうやって生きてきた。想いと思いの強さで努力して、ようやく掴むことができる力も、維持には物凄い力が必要で、一度平らかにしたものでさえもまたやり直しになってしまうくらい、どうしようもなく色々な物事に対する力がない。だから、また地道に努力して見えてくるものに全力で生きて、注いで、そうやって生きてきた私。

 ふと、その力を抜いて物事が回るようになった時には、じぶんが思い描いていた形とはかけ離れたじぶんになっていたりしてその都度幻滅して、それでもと生き続けてはまた当たる壁は努力の壁。比類するに能わないけれどおそらく、他の人が2頑張るところで私の場合、30くらいの力を使わないと何事も、乗り越えていけない。だからこそ、時に全てを投げ出してしまいたくも何回もなって、様々な選択を、間違えてしまったのではないかと不安になることは多々あった。けれど、


今、2022、こうして想ってみればその全てが、まさにthe future is nowという言葉で置き換えられる気がして。今しか未来に繋がっていないのだと心から思うことが、またできたから、私は前に進むことができる。それを、そのきっかけを、思い出せてくれて、新たなフェーズに自分を進ませることができたのも、大切な人のおかげ。

 人は1人では生きていけなくって、

小さい頃からたくさんの人にお世話になっていて、これからもそうで、またじぶんがそうやって関わることで色々な人を幸せにできたら嬉しいな、と想うけれど

守りたい、支えたい、近くで無償の愛をたくさん伝え続けたい存在を、

今年からもっともっと、大切にしたいって、想う。

私の生きる理由。2022、ごきげんよう。



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