おばあちゃんが生きた100年、僕が生きてきた50年
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最近ときどき思うこと。
それは、おばあちゃんが生きた100年て、僕が生きた50年よりも遥かに壮絶で大変だっただろうなぁ、ということ。
いま世間も僕もコロナで大騒ぎだけれど、戦争よりはずっとマシだよなぁと、改めて思う。
僕のおばあちゃんは大正2年生まれで、2014年1月に100歳で亡くなった。
生まれは東京だっだけど、満州国の役人をしていたひいおじいちゃんが転勤族で、あちこち引っ越しながら幼少期を過ごしていたそうだ。
当時の満州国の大連にも住んでいた時期があって、そのときはかなり裕福な生活をしていたらしい。コックやメイドや運転手がいて、ひいおじいちゃんはシルクハットを被ってる写真が残っている。
その後ひいおじいちゃんが日本に転勤になり、甲子園やら高知県やらにも住んで、その後東京に落ち着いた。
子供のときに関東大震災を経験し、そしてその後は長い戦争の時代を潜り抜け、西麻布で東京大空襲にも遭っている。
弟が招集され兵隊になり、シンガポールだったかで敵国兵の機関銃掃射で戦死した。
西麻布の当時の家の数軒隣までは空襲で焼けたけれど、おばあちゃんの家は焼けなかったそうだ。
民間人を無差別に殺すために爆撃機が飛んできて焼夷弾を雨のように降らせ、首都を焼き尽くす。
国と国による本気の殺し合いがおばあちゃんが若い時代には先進国同士でまだ平気で行われていた時代だった。
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