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情報発信者を目指す人は情報を敢えて「遮断」しよう
<お知らせ>
こんにちは。立花岳志です。
メルマガ「プロブロガー・総合情報発信者への道」のバックナンバーをnoteで公開しています。
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以下、2020年3月4日配信の最新バックナンバーをお届けします。
</お知らせ>
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こんにちは。立花岳志です。
このメルマガは特に「毎週水曜日」と決めているわけではないのですが、何となく毎週水曜日の朝になると「さあ書くぞ」という気持ちになります。
曜日を固定するというのも、一つ習慣化のコツかもしれませんね。
今月はYouTube動画を火曜日と金曜日に固定して、週2回配信を習慣化したいと思います。
僕にとっては、このメルマガは慣れ親しんだ「書く」作業なので、たとえ文字数が多くても負荷は軽いんです。
いっぽうYouTube動画は、慣れていない動画配信なので、たとえ数分の動画でも精神的負荷が高いんですね。
先月は8本動画を配信する目標が、6本しか配信できず、目標未達だったんです。
不思議なもので、セミナーで受講生の前で講演をするのとは、全然違うんです。
目の前にあるiPhoneに向かってひたすら喋るというのは、まだまだ不慣れな感覚です。
早く慣れて、毎日配信に移行したいのですが、一気には無理なので、今月はまずは週2回配信を定着させたいですね。
というわけで、このメルマガはナチュラルに水曜日配信な感じになっています。
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今日のお話しは情報の遮断についてです。
僕は東日本大震災と原発事故のあと、家にあったテレビのプラグを抜いて押し入れに入れてしまいました。
そして次の引っ越しのタイミング(2013年5月)でテレビを捨ててしまい、それ以来テレビはない生活です。
新聞も2010年くらいまでは日経新聞を取っていましたが、止めてしまいました。
なのでもう9年間僕はテレビと新聞のない生活を送っています。
テレビを捨ててしまった最大の理由は、「あるとつい観てしまうから」です。
そして「観てしまうのだが、費やした時間に対する価値が恐ろしく低い」と感じたから。
テレビに感じる価値は人それぞれですから、僕のように捨ててしまうまでいく必要はなく、上手くお付き合い法をコントロールできれば良いのだと思います。
ただ僕は意志が弱い人間で、テレビがあるとついつい観てしまい、テレビからの影響を受けてしまう。
テレビから受ける影響が僕にとっては「好ましくないもの」と感じたので、テレビを捨てました。
テレビも新聞もなく、会社勤めも2011年3月末で止めたため、会社で取っていた新聞や雑誌(日経ビジネスやNewsweekなど)も読めなくなりました。
それ以降はもっぱらネットから情報を得て生きているわけです。
もうその状態が9年になりますから、テレビがあった頃の生活があまり思い出せなくなってきています。
で、テレビがない生活に切り替えて、どうなったかというと、「素晴らしく良い」のです。
テレビがなくて困ることは、ハッキリ言ってまったくありません。
僕の情報収集は、もっぱらSNSから流れてくるものをピックアップする形です。
以前はTwitterにテレビ局、通信社、新聞社の公式アカウントだけを組み込んだリストを作って、それを眺めていました。
それもここ数年はまったく見なくなり、いまはSNSで繋がっている人がシェアしたニュースがほとんどの供給源です。
僕はメイン使いのSNSはFacebookで、サブでTwitterを見ています。
Facebookで興味のあるニュースが流れてきたら、まずそのニュースをチェックします。
そしてさらに深く調べたい場合は、その情報の専門家の発言、つまり「一次ソース」を探しにいきます。
テレビのニュース番組やワイドショーの問題点は、「視聴率を稼ぐ」ことを目的に一次ソースをテレビ局が「編集」して、「刺激的」かつ「大げさ」に伝えることです。
新聞や週刊誌などもまったく同じで、部数を伸ばすために大げさかつセンセーショナルに、しかも番組や誌面の都合で情報を「カット」して「簡略版」にして流してきます。
しかもテレビなどの場合、一次ソースと関係ない「評論家」や「コメンテーター」などの発言の方が取材元の専門家の言葉よりも重要視されてしまう。
その結果、専門家の正しいコメントは省略され、評論家やコメンテーターの無責任とも思われる印象ベースで刺激的なコメントが延々と流されることになります。
そしてその「情報」というのは、往々にして我々視聴者にとっては、「不安を煽られ」「絶望的な気持ちになり」「やり場のない想い」を抱かされることになるものばかり。
たとえば猟奇的殺人事件が起きると、テレビのニュースやワイドショーでは延々とそのニュースを微に入り細に渡り放送し続けます。
アナウンサーやコメンテーターは、あたかも日本中がその猟奇的殺人事件に巻き込まれているかのように語ります。
が、実際にその殺人事件と関係のある家族、親族、仕事の同僚、友人など関わりがある人以外にとって、そのニュースって、知る必要がありますか?
もちろん犯人が逃走していて周囲に危険が及ぶというのなら、それは徹底的に周知する必要があるでしょうが、それは例外的。
多くの事件や事故の場合、我々が知っておくべきことというのは、「教訓」であったり「再発防止策」であり、その事件の詳細ではないのです。
テレビというのはプロが大勢集まって「いかに見させるか」「画面に引き込ませるか」を必死に考えて作っています。
だから巧妙に、我々は画面に釘付けになってしまい、結果として長い時間を費やして、わざわざイヤな気分になっているわけです。
たとえば今回のコロナウイルスに関して、クルーズ船における日本の対応が正しかったのかどうかについて議論があったことは皆さん憶えていると思います。
僕は最初SNSで友達がその話題をシェアしていたのを観ました。
その後、二人の医師がFacebookとTwitterにそれぞれ見解をアップし始めたので、彼らをフォローしました。
すると、多くの「評論家」や「コメンテーター」がバッシングしているような、ひどい状況ではなかったことが分かりました。
現場では精いっぱいやるべきことをやり、専門家の判断に基づき活動がされていたと僕は理解して、そのニュースをそれ以上深堀りするのを止めました。
ただ、コロナウイルスの騒動が沈静化したわけではないので、まだ二人の専門医のアカウントはフォローしたままにしています。
このように、日常的にはSNSで繋がっているお友達のアンテナに僕は情報収集を任せてしまい、自分から情報を取りにはいっていません。
そして去年の台風のとき、今回のウイルスのときなどに、無闇に政権の批判を繰り返したり、官僚を叩くような発言をし続ける人はどんどんフォローを外していきます。
繰り返しますが、僕は意志が弱い人間なので、そういうネガティブな発言を「浴びている」と、影響を受けて元気がなくなり自分まで意気消沈してしまうからです。
僕は情報をかなり遮断気味にして日々生きています。
テレビもない、ラジオもない、新聞ない、雑誌もない(吉幾三の歌みたいになってきましたね)。
日常的にそれぐらいにして、SNSから流れてくる話題のタイトルくらいしか観ていません。
僕はヤフーニュースやスマートニュースなども日常的にはまったく見ません。
あれは結局マスコミ発信のニュースをダイジェストにしているものなので。
それでもSNSで友達がシェアするニュースの多くはヤフーニュースや新聞社、テレビ局の記事なので、もうそれで十分です。
タイトルを観ているだけで大体どんな話しなのかわ分かりますので、ほとんどはスルー。
あと、質の悪い、感情的なシェアが多い友達はフォロー解除していきます。
あと大事なのが、精度の高い情報を積極的にシェアしているキュレーターを何人かフォローしておくことです。
キュレーターをフォローする場合も、感情的だったり扇情的な人をフォローしてしまうとその影響を知らず知らずに受けてしまうので、人選が大事です。
もう一つの注意点として、キュレーションしている情報に政治的イデオロギーの話が多い人は要注意。
僕は元マイクロソフト社長の成毛眞さん、ひふみ投信の藤野英人さんなどをフォローして表示をトップ表示に設定しています。
ほかにもお友達に元トリンプの吉越浩一郎さんや元講談社の瀬尾傑さん、佐々木俊尚さんなど情報をたくさんシェアしてる方がいらっしゃるので、彼らの情報も流れてきます。
一つ大切なのは、キュレーターの方がシェアしている情報だからといって鵜呑みにせず、もし興味・関心を持ったなら出来る限り「一次情報」に触れにいくことです。
情報革命以前は一次ソースからの直接発信というのは事実上不可能で、だからマスコミが代表して取材し、それを発表していたわけです。
でもいまは、さきほどのクルーズ船対応の話もそうですが、当事者本人がTwitterやFacebook、ブログなどで直接発信していることが多いのです。
最終的に一番その情報について詳しいのは当事者(一次ソース)なわけですから、そこに触れにいくのが最適なわけです。
さて、今回のコロナ騒動はまだ収束にはしばらく時間が掛かりそうです。
でも僕はどちらかというと、呑気に生きています。
もちろん仕事にも影響は出ていますが、こういう予想外のハプニングは過去にも何度も起こっています。
東日本大震災のときもそうだったし、リーマンショックのときも大変でした。
ネットが普及する前は情報源はマスコミだけだったのが、いまは誰でも発信できるため、情報量は飛躍的に増えていますが、質は伴っていません。
いまの時代は、人類が何十万年もかけて受け取ってきた情報の総量を、たった一年で受け取ってしまうほど「情報過多」の時代です。
だからこそ、いらない情報はどんどんシャットアウト、遮断していきましょう。
敢えて乱暴な言い方をすると、情報の99%はどうでもいいゴミみたいなものです。
でも、ゴミみたいな情報でもインパクトがあったり刺激的だったり扇情的だったりすると、我々はその影響を大きく受けてしまう。
だからこそ、情報は遮断したうえで、必要なもの、興味がある情報だけを自分から取りに行く。
それがこの情報過多の時代に心穏やかに、いつも良い気分で過ごすためのコツだと思います。
この法則は誰にでも当てはまるものですが、特に情報発信者を目指す人にとって重要です。
質の悪い情報の影響を受けて自分までもが質の悪い情報を発信したら、周囲に悪影響を与えてしまうわけですから。
情報発信者こそ、いつも自分自身の心の状態を健全に保ち、健全な情報を発信し続けることを強く意識しないといけません。
こんなときだからこそ、空元気で盛り上げるのではなく、正確かつ必要な情報だけを受け取り、シェアするようにしたいものですね。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。
また来週お会いしましょう。