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上野公園秋景色/田中一村展を見に

東京都美術館で開催している田中一村展に行ってきました。田中一村展は以前にも行ったことがあるのですが、私の大好きな画家なので再び会いに行きます。
田中一村の概略をおさらいします。

田中一村

明治41年(1908年)栃木県生まれ。父は彫刻師。幼少のころから書画に秀で、6~7歳から画号で署名した絵が残されている。
18歳4月東京美術学校(東京藝術大学)日本画科に入学(同期に東山魁夷もいる)。その2か月後「家事都合」で退学。それでもその後も作品を描き続ける。
19歳から27歳の間に母、父、弟3人が相次いで逝去。(6歳から東京で暮らしていたが)30歳から千葉県で姉、妹、祖母と暮らし始める。畑仕事もしつつ、南画家として周囲の支えも得て身近な風景画の他、障壁画や天井画などの作品を残す。
39歳で「白い花」青龍展入選。40歳青龍展に2作品出品するも自信作の「秋晴」の落選に納得できず、入選作の方も辞退。「軍鶏図」などの作品制作。その後、日展、院展出品するも落選。50歳で奄美行きを決意する。
奄美では期間を区切って紬工場で染色工として働いたり、制作に専念したりして、「アダンの海辺」等の傑作を描き続ける。57歳の時に長年支えてくれていた姉逝去。69歳(1977年)心不全で逝去。

生前は全く無名の存在だったが、没後2年、奄美の人たちが開催した3日間だけの遺作展が注目を集め、その後NHKで取り上げられるなどして一般の人たちが知ることとなった。晩年、東京での個展を希望しつつ実現することなく亡くなった一村。今まさに、かの東京藝術大学に隣接する美術館で大規模に展覧会が開催されている。

展覧会

展覧会の混雑を避けるため、閉館時間間際をねらって行きました。カメラを持っていこうか迷ったのですが、結局持って行ってあれこれ撮りました。(作品は撮影できないので、上野公園、東京都美術館周辺の撮影)

しかしこれはあまり良い作戦ではありませんでした。予想外に作品数が多かったのです。内容的にも、一村の芸術家としての信念の作品の他、幼少の時期の作品、人から依頼されての肖像画や工芸品、仏画などの幅広い作品、制作の材料ともなった素描作品や写真など様々な切り口での展示が盛り沢山で興味深いものが多かったです(最後に奄美の自然風景の映像コーナーもあります)。本当に充実していました。展覧会を企画した方々の相当なる熱量が感じられました。
それで、当初1時間半で余裕かと想定していたのが全く足りず、出来たら2時間はほしいところです。また、売店等も展覧会終了時間とともに終わってしまうので要注意です。

もっとも、事前に田中一村の作品や生涯の予備知識があったので、あれこれ想いを馳せながらしんみりと秋の上野公園を撮影して回るのは、それ自体は悪いことではなかったですが。

(追:閉館間際でも混雑回避はそれほどでもありませんでした。ただし、もっと早い時間ならさらに混んでいたのかもしれませんが)

【田中一村展】
東京都美術館
会期は12/1(日)まで。11/4(月祝)は休み。
9:30-17:30
金曜のみ9:30-20:00
入室は閉室の30分前まで

文化施設の集中する上野公園。平日だというのにものすごい人。カメラを上に向けました。
(西洋美術館近く)
動物園方向の空
東京都美術館の手前を脇道にそれて歩きます。
ここで急に人が少なくなりほっとします
東京都美術館の裏手。秋の夕方の日差しが美しかったです
もう少し歩いたところ。右奥は旧東京音楽学校奏楽堂
奏楽堂の窓
奏楽堂、この日は「建物公開日」だったようですが、時間がないので残念
ここをもう少し奥に行くと東京藝術大学があります
さっきと同じ道を引き返します
東京都美術館横から。こんなモダンなデザインだったのですね
いよいよ東京都美術館。もう夕暮れ時の空です
何度も見ているはずの球体のオブジェ。カメラを持っていると気になります
田中一村さん、会いに来ましたよ
・・・美術館から出たらもうすっかり景色が変わっていました
球体のオブジェもこんな感じ
絵の美しさに感動するとともに、その生涯を考えるとやるせない気持ちにもなります。
こんなに大盛況な展覧会、生前に見せてあげたかった。
多くの人がチケットを買い、図録を買い、その収益が生前の彼に届いていれば、どんなに励みになったことか。
しかし、自身の作品の価値は分かっていたはず
「アダンの海辺」の空を見ると、世間の価値尺度からは離れた高みを目指すその
思い、願いが伝わってきます
いつの日か、奄美大島に行ってみたいなと思いました

ここまで読んでいただきありがとうございました。
またお会いしましょう。





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