I監督がくれた幸せと感謝
小学生からの恩師であるI監督を偲んで、自分の人生を振り返り、前に進んでいこうと思います。
泣き虫少年の野球入門
親の付き合いで野球チームに入る
あれは26年前、小学校1年生のとき、親の付き合いで近所の少年野球チームに入った。俺は野球にあまり興味はなかったが、チームに人が足りなかったらしい。人数不足もレベチで、同学年は0人だった。毎週末の午後に集まるのだが、最初のメニューであるランニングが本当に嫌だった。
I監督の優しさ
行きたくなくて家で泣いたが、親に無理やり練習へ連れて行かれた。たまに駄々をこねて遅刻もしたが、グラウンドへ着くと、いつもI監督がおだててくれた。
「T君、野球は楽しいよ!走るのはゆっくりでいいから、おいで!」
細かくは覚えてないが、そんな調子で俺は泣きながらも練習に入っていけた。I監督は体育会系のノリではなく、いつも子供たちの目線だった。
人が足りないので、いつも1つ上の学年と練習して、活躍とか無理ゲーだった。さらに先輩たちが進級すると、下級生チーム(小学3年生以下) は3人になってしまった。笑っちゃうけど、ゆるい大会では、お母さん達が試合に出たこともあった。当然試合にならないので、野球の楽しさはなかなか育まれない。
公式戦では、I監督が別のチームに頼んで俺らをチームに混ぜてくれるようにした。そのおかげで、部員が9人いなくても、野球の大会に出ることができた。ようやく、俺はチームプレイや野球の楽しさを体感することができた。
野球に夢中になる
キャプテンになった少年期
小学4年生になると、12人に増えてチームが成立し、俺はキャプテンを任された。チームのレベルは下の上で、負けた思い出ばかりだった。でも気づけば、「プロ野球選手になりたい」と作文したり、なんやかんや大学まで野球を16年間続けて、全てキャプテンか副キャプテンだった。大学では全国大会にも出れたし、信じられないことに北海道代表チームに入ることもできた。今は会社の野球部の監督として、経験者から未経験者まで、先輩も後輩も束ねている。
野球を通じて成長する青年期
月並みだが、野球を通じて仲間との絆、リーダーシップ、思いやりが育まれていった。野球以外にも思い出がある。例えば、仲良しの高校友人K君にはよく親への口の聞き方を注意された。直言してくれる友人に出会えたことは今でも財産だ。大学では、先輩に奢ってもらう機会が急増し、そこで礼儀や感謝の気持ち、その伝え方と言葉遣いを覚えた。チームメイトたちと、礼儀作法なども高め合っていたのは良き思い出だ。大人になると友達が減っていくが、昔のチームメイトとは毎年会ってるなぁ。
感謝の気持ちを伝える大人になる
幸せな人生が始まる
5年前、俺は結婚した。結婚式には、俺は友人をたくさん招待した。高校と大学のチームメイトが同じ空間に居て、何だか面白かった。色んな思い出が繋がって、俺は野球を通じて友達ができ、成長できたんだと気付かされた。
もしかしたら、野球で成長できたことが、間接的に結婚にも繋がってたりして。
結婚式でI監督から祝電が届く
その時、祝電が読まれた。祝電紹介の時間は終わったはずだ。
「TTくんおめでとう。小学1年のとき、グラウンドで泣いて…」
俺はすぐに送り主が分かった。I監督だ。その瞬間に涙腺が崩壊した。グラウンドで泣いていた小学校1年生の俺と、今の幸せな俺が一直線に繋がった。
小学校からの色んな思い出が走馬灯のように脳内を巡り、感謝の気持ちが抑えきれなくなり、涙が流れた。
俺は小学1年生のとき、I監督の優しさと思いやりによって、この人生に導かれたのかもしれない。
I監督は偉大だった
卒団後も繋がっている
卒団してから、20年経つが、今も俺とI監督の交流は続いている。
普通、卒団すると疎遠になるものだが、創立イベントに祝辞を送ったり、祝電をくれたので、お礼の電話もした。俺は故郷を離れたが、正月に呑んだり、たまにグラウンドに行くこともあって、卒団生がドラフトに掛かりそうだと、近況も聞いた。「〇〇は俺が育てた」というニュアンスが感じられないところが、I監督らしい。
3歳の息子を連れて行った時、I監督はあの時のように優しく接してくれて、息子はすぐに懐いた。子供たちが練習していたボールをもらい、息子も喜んでいた。こういうチームなら、息子を入れても安心だよな、と思った。
I監督の訃報に接する
そして2023年7月13日、突然の訃報に接した。
I監督は、病魔に倒れたらしい。72歳だった。
俺は電車の中で少し泣いたが、温かい気持ちになった。大人になって、I監督の凄みが身にしみて、寂しさよりも尊敬の気持ちが高まった。
I監督らしい最期
俺は通夜には行けず、弔電を送った。
通夜には何百人が参列し、選手である小学生も多く参加したらしい。それに、この規模の葬式になるなんて、本当に慕われていたんだなと思う。坊さんは呼ばず、お経は無く、その代わりフルコースの食事が提供されたらしい。
「子供達は、お経よりご飯の方が良いでしょ!」
なんて、もしかしたら考えていたのかもしれない。だとしたら、文字通り死ぬまで子供目線だってことになる。それに、亡くなる直前の練習にも、参加していた。
その少年野球と子供への愛についてと、本当に胸を打たれた。
26年前、俺を優しく支えてくれたこと、忘れません。
俺の人生は…
俺の人生の原点は少年野球であり、そこにはI監督が居た。
俺がやるべきことは、I監督のような思いやりを持ったリーダーであることなのかもしれない。それは少年野球に限らず、どこの世界でも必要なことのはずだ。
それは、一番の供養になるに違いない。
I監督、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?