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法術装甲隊ダグフェロン 永遠に続く世紀末の国で 『特殊な部隊』の初陣 2

第四十二章 国士の『意地』と誠の『力』


第179話 『戦争法規』違反と特性機体の特殊攻撃



 あきれ果てた近藤は通信を切った。その瞬間、ランの表情が戦闘モードに変わる。

『西園寺!隠れ蓑だ!』

『もうやってますよ!』

 ランの合図でかなめの通信が途切れる。そして、誠の全天周囲モニターに映っていたかなめの赤い05式狙撃型が宇宙の闇に溶けていった。

「光学迷彩?軍での使用は戦争法で禁止されてるはずなのに……」

 そう言ってみた誠だが、自分が『特殊な部隊』と呼ばれる『特殊部隊』の一員であることを思い出した。司法局実働部隊は武装警察でもある。戦争法は適用されない『犯罪者の捕縛』を行っているのである。

『目標の位置捕捉完了しました。指向性ECM及び通信ハックとウィルスの注入を開始します』

 カウラが非情にそう言った。カウラのオリーブドラブの05式電子戦専用機が敵の火龍を照準にとらえる。

『神前、言っとくわ。今回のアタシ等の目的はただ一つ!』

 誠の05式乙型の後方で待機しているランはそう叫んだ。

『抵抗する相手には容赦するな……そいつは敵だ……『処刑』しろ』

 ランはそう言い切った。

「……関係者全員を処刑するんですか?」

 当たり前の誠の問いにランは落ち着いた表情でうなづく。

『当然だろ?近藤の旦那は『歴史的戦争』を望んでる。戦争なんざ、そんなもんだ。殺してなんになる?戦争を始めた時点で、それに関係した奴等を根絶やしにすれば終わり。アタシはいつだってその覚悟で戦争してきた。他の戦争は無いかって?それは戦争『ごっこ』。餓鬼の遊びだ。向こうの兵器の安全装置は解除されてんだ。こっちが殺して何が悪い』

 ランはそう言うと敵の戦列めがけて愛機の『紅兎』弱×54を加速させた。

「待ってください!」

 誠は慌てて自分の機体を前進させる。『乗り物酔い』対策の強力酔い止めの効果が薄れてきたようで少し吐き気がした。

 突如ランは機体の進攻を止めた。

「なんですか?いきなり」

 いつものことだが、この『特殊な部隊』の『特殊』な展開には誠はついていけない。

「クバルカ中佐……僕は何をすれば……」

 このままでは誠はただのお客さんである。

 そう思った瞬間、レーダーの左端の敵機が消滅した。一機、また一機と突然火を噴いて敵機が撃墜されていく。

『早速始めたか!西園寺。相変わらずいい腕だ』

 満足げに笑うランの言葉に誠はモニターの敵機の画面を拡大投影した。

 次々と敵の機体のコックピットが吹き飛んでいる。

『敵は旧式の火龍だかんな。レーダーが効かねー上に見えねーんだよ、西園寺の機体が。かなめの機体の『光学迷彩』はサイボーグ専用の特別製で甲武軍の技術じゃ察知不能だ。それに敵さんの各センサーはカウラの指向性ECMとハッキングにやられてどうにもなんねーかんな。黙って死ぬのを待つか……無茶な突破を仕掛けてアタシ等に勝負を挑むかどっちかしかねーんだ』

 彼女の言葉通り、生き残った六機の敵シュツルム・パンツァー・火龍はその機動性を生かして見えないかなめの機体から逃れるように前進してきた。


第180話 奇妙な現象



「来ましたよ!カウラさん!逃げてください!カウラさんの機体のECMも万能じゃ無いんです!」

 狙われるとすれば一番先頭を行くカウラの機体である。戦場でのECMなど甲武軍も想定している。ECM対応を行えば敵も武装の貧弱な電子戦用のカウラの機体を狙ってくることくらい軍に入って間もない誠にも想像がついた。

『安心しろ、神前。連中は私を『攻撃する意図』を示したとたんに吹き飛ぶ。『ビックブラザー』の加護でな』

 冷静にカウラはそう言い切った。

 火龍の売りである肩の重力波レールガンがカウラの機体を捉えた瞬間にそれは起こった。

 一機、また一機と敵機は『自爆』した。

 次から次へと発砲を繰り返す敵機が自爆する様に誠は恐怖を覚えた。

「何が……何が起こってるんですか?それと『ビックブラザー』の加護って何です?」

 誠は突然の出来事にただ茫然としていた。カウラの言った『ビックブラザー』の加護の意味が分からず次々と自爆していく敵を見つめる誠だった。

『貴様が今見ているのが『ビッグブラザー』の加護と呼ばれるものだ……東和国民の死を『ビッグブラザー』は望んでいない。だから、攻撃の意志を示したとたんに攻撃する敵にハッキングを仕掛けて全機能を掌握し自爆させる。それが『ビックブラザー』の加護だ』

 カウラはそう言って最後に残った敵機に指向性ECMのランチャーの銃口を向けた。その強力な電子攻撃は精密機械の塊であるシュツルム・パンツァー・火龍の動きを封じた。

『東和共和国の戦争参加を良しとしない『ビッグブラザー』は、兵器が製造される段階で通信の通じるすべての勢力のコンピュータに『ウィルス』を仕込んでいるんだ。普段は『デジタルコンピュータ』では解析不能なそのウィルスは東和共和国所有の機体を攻撃する意図を示した瞬間に全システムに感染して機能を暴走させるんだ。ミサイルや実弾兵器なんか積んでたら最後だな。そいつがどっかんと爆発して終了するわけだ』

 その一方でランは『紅兎』弱×54をすべるように侵攻させて動けない敵機を一刀のもとに真っ二つに切り裂いた。有人と思われるその機体も次々とランに撃破されて行った。

『東和国民に攻撃の意志を示したドローンを操作していた機体に待ってるのは生命維持装置を切られての窒息死だ。窒息死は……つれーだろ?楽にしてやったぞ』

 ランの言葉に誠は以前アメリアから聞かされた『ビックブラザー』の恐ろしさを再認識した。



第181話 最初から決まっていた『敗北』


「敵正面の友軍機……全機自爆しました……」

 第六艦隊分遣艦隊旗艦『那珂』の狭いブリッジに通信士の悲痛な言葉が響いた。

「近藤さん……」

 艦長は複雑な表情で事態を黙って見つめていた近藤中佐に声をかけた。

「まだだ……例え『ビッグブラザー』が立ちはだかろうとも我々が正面だけに戦力を配置していると思ったのか?クバルカ・ラン中佐。『人類最強』と名乗ってはいるが……やはり見た目通りの八歳女児と言う所かな……」

 近藤はそう言って、艦橋に映し出される画面を眺めた。そこには彼の呪うべき敵、『ふさ』の背後からの映像が映っていた。

「馬鹿が……正面の機体は『囮』だよ……あの馬鹿な幼女とおしゃべりをしている間に展開させた……さて……仕上げといくかね?母艦を沈められたらさすがの『飛将軍』も手も足もでんだろうて」

 そう言って近藤はうなづく。

「『国士』各機……攻撃よろし……」

 通信士がそうつぶやいた瞬間、『ふさ』の背後を映していた画面が途切れた。

「なに!」

 近藤は叫び、そして舌打ちした。回り込んだ友軍機が次々と爆発する光景が拡大された映像で見て取れた。そこには同志の機体が自爆した様子が映し出されていた。

「『ビッグブラザー』……意地でも『東和共和国』には手を出させんと言うつもりか……そうまでして自国の利益だけを守って……」

 艦橋にいる全員が悟った。『ふさ』には多数の『東和共和国』の国籍を持つ『特殊な部隊』の隊員が乗っている以上、『東和共和国』の戦死者をゼロにすることだけを考える『ビッグブラザー』の電子戦の魔の手からは逃れることができないということを。

「確か、クバルカ・ラン中佐も『遼南共和国』から亡命後、『東和共和国』の国籍を取って東和共和国陸軍からの出向と言う形であの『馬鹿集団』の指揮をしているとか……我々にはもう……」

 艦長の言葉にはもう希望の色は残ってはいなかった。

「このままで終われるか……我々は『狼煙』とならねばならん……後ろに続く同志達のためにも……一矢報いねば……死んでいった同志達が報われない……」

 機動性に欠ける司法局実働部隊の05式の戦線到着にはまだ時間があった。


第182話 国士によって生贄として捧げられるもの



 絶望的表情を浮かべていた近藤の頭に一つのひらめきが沸いた。

「そうだ……『東和共和国』の国民でなければいいわけだな……丁度いいのがいる……」

 そんな独り言を言った近藤は索敵担当のレーダー担当者のメガネの大尉の肩を叩いた。

「アクティブセンサーの感度を上げろ!こちらが丸見えになってもいい!兎に角センサーの感度を性能限界ギリギリまで上げるんだ!」

「そんな!『ふさ』の主砲の射程範囲内です!そんなことをしたら、この艦の正確な位置が敵に割り出されます!それこそ旧式で射程の短い『那珂』は敵に一方的に撃沈されます!」

 メガネの大尉はそう言って反論した。

「そんなことは分かっている!無茶は承知の上だ!せめて、あの『民派』の首魁、宰相・西園寺義基の娘、西園寺かなめを道ずれにしてやるのが我々にできる最後の抵抗だ。あの娘の国籍は甲武だ!いくら光学迷彩とジャマーで隠れていようがセンサーの感度を上げれば引っかかるはずだ。そしてその位置にそこにこちらのミサイルをあるだけバラまけば……いくら装甲が厚い05式でも無事では済むまい?」

 艦橋の全員が静かに頷いた。

 もはや、彼等には『処刑』を免れる手段は無かった。せめて、あの女王様気取りの素行不良の女サイボーグを血祭りにあげて、『貴族主義者』の意地を故国に見せつける以外にできることは残されていなかった。

 彼等は最初から自分達が『捨て石』であることを知っていた。そしてそうなることに誇りを持っていた。その矜持だけでこの戦闘の一方的な敗北に耐えてきた。西園寺かなめを抹殺することでその矜持だけでも示すことができれれば勝利に等しい。ブリッジにいる同志達の心はそのことで一つになった。

「この国の形を変えてしまおうという国賊の娘だ。死んで当然だろ?それにあの娘の所業は故国でも知れ渡っている。そんな女の死に同情する馬鹿など誰もいないよ。道連れにしてやる……売国奴め」

 近藤の心にはすでに迷いは無かった。


第183話 標的は女サイボーグ



『姐御!『那珂』がセンサーの感度上げてきたぜ!どうすんよ。さすがにアタシの機体の光学迷彩とジャミングがあっても位置を感知されるぞ!』

 かなめからの音声通信が誠の機体にも届いた。

『西園寺!通信をしてくんじゃねー!自分から敵に見つけてくださいと言うような行動をしやがって!貴様はスタンドアローンじゃなきゃ意味がねーんだ!そんなこともわからんから『女王様』なんだ!それに近藤の旦那がやけになってそうすることも隊長から言われている!』

 いかにも『特殊な部隊』らしいカウラの『特殊』なツッコミが走る。

『通信ついでにアタシの本心を言っとくと、どうせ死ぬのは西園寺だけだろ?いーんじゃねーの?自分の荘園から得た貴重な税収を無駄遣いばっかりのオメーが死ねば、その荘園で働いてる庶民の迷惑も半減するわけだ。甲武の貴族主義の闇も近藤の旦那を潰せば軽減するからそのついでに近藤の旦那と一緒に死んだらちょうどいいじゃん。世の中がそれだけ平和になる』

 ランは助けを求めてきたかなめを非情にもそう言って突き放した。

『ひでーぜ、姐御。アタシは見殺しかよ』

 相変わらず顔も見せず、レーダーにも引っかからないかなめの通信が続いていた。

『サラ!『那珂』と僚艦の動きは!』

 さすがに虐めすぎたと悟ったようにランは背後で起きた爆発の調査にあたっていた管制官のサラ・グリファン少尉に連絡を入れる。

『はっ、はい!現在、『那珂』と行動を共にしている『官派』反決起派のシュツルム・パンツァーパイロットは近藤中佐には同調せずに出撃を拒否していたのですが……かなめちゃん『だけ』が相手になったとなると何機か出てくるんじゃないかって……隊長が言ってました』

 サラは隊長室でこの状況を見守っているであろう嵯峨の言葉を伝達した。

「西園寺さんって……嫌われてるんですか?」

 誠はサラの言葉を聞くと自然にそうつぶやいていた。

『連中は西園寺の親父に冷や飯食わされてクーデターなんて真似を始めたんだ。西園寺が恨まれない訳がない』

 カウラはあっさりそう言って、05式電子戦特化型の背中のランチャーからミサイルを射出する。それは『那珂』の手前で自爆し大量の金属粉を撒くレーダーや誘導兵器を混乱させるチャフだった。

『カウラ、済まねえな、チャフを撒いてくれたか。これで近藤の旦那の兵隊の目からしばらく逃げられる』

 静かな口調のかなめの音声通信が誠にも聞こえてきた。

『アタシは結局『スナイパー』なんだよ。アタシは確実にそいつを『無力化』する。それが『スナイパー』。そしてそれがアタシ流の『女の闘い』』

 『那珂』の後方から6機の機体が誠達の待つ宙域へ進軍してきた。

『やべーな。今度出てきたのは旧式の火龍じゃねー。最新式のシュツルム・パンツァー『飛燕』だ……しかもおそらく有人……凄腕が出てくんぞ』

 ランはそう言うと誠を置いて機体を進攻させた。カウラの機体もそれに続いた。

「カウラさん!電子戦用の機体で最新式の『飛燕』とやりあうなんて無理ですよ!待っててください!」

 誠はついそう叫んでいた。

『神前か?貴様のように普通に『人間』として生まれた男にはわからないだろうな……私は結局『ラスト・バタリオン』なんだ。かつてのナチスドイツの理想とした『戦闘の身のために作られた先兵』そのものだ。戦場以外では、私は単なる『依存症』患者。だから戦う。それでいい』

 カウラはそれまで手にしていた指向性ECMの放出装置を背中のラックに引っ掛けると、代わりにそこにあった230ミリカービンを構えた。

『要らねえよ、カウラの支援なんざ。カウラの狙撃はワンヒット・ワンキルの戦いだろ?弾の無駄だ。アタシはサイボーグ。弾が届けば当たって当然。外れる生身の気が知れねえな。生身の射撃のお上手な連中とは格が違うんだよ』

 そう言った瞬間、レーダーの左端の『飛燕』のコックピットが吹き飛んだ。


第184話 戦場には有ってはならない存在



 かなめは言葉を続ける。

『神前、いいこと教えてやんよ。アタシの体は『軍用義体』なんて呼ばれちゃいるが、本当に『軍』が戦争にこの手の体を持ち込むのは『違法』なんだ』

「違法?使っちゃダメなんですか?」

 誠は戦争法規についてはついていくのがやっとと言う知識しかなかった。

『そうだ。兵隊をサイボーグにしたら強い軍隊ができるが……人道的にどうか?って話だ。軍人を全員改造してサイボーグにすればそれこそ強い軍隊ができるが、地球圏も遼州圏もそれを望んでいねえ』

かなめは悲しげにそう続けた。

「確かにそうですよね。サイボーグは色々と問題がありますから。サイボーグ技術が進んでいる東和でも時々サイボーグの暴走事故とかの話は聞きますし」

誠もサイボーグ化による様々な弊害は知っていたのでそう返した。

『だから、対人地雷や毒ガスや核兵器なんかと同じで、どこの星系でも自分からサイボーグを戦線に投入することはしねえんだ。だが、それは『兵隊さん限定』のルールなんだ。アタシ等『警察官』には当てはまんねえんだな……これが』

 かなめがそう言うと先ほどのとなりの『飛燕』のコックピット付近が爆散した。

「警察官は戦争法規を無視してもいいんですか?」

 誠は軍の幹部候補生の教育は受けたが警察官の教育は受けていなかった。

『無知だな。本当におめえは。警察は治安出動で『催涙ガス』とか撒いてるだろ?あれを軍がやったら『毒ガス』認定されて大変なことになるんだよ!他にも軍は使っちゃだめだが警察ならОKな武器がいっぱいあるんだ。見てろよ、誠。アタシの流儀を見せてやる。遊んでやるよ……『家畜ちゃん』』

 再びかなめの言葉に冷酷な響きが帯びているのを感じて誠は冷や汗をかいた。


第185話 敗北が決まった者の覚悟の一撃



「四時方向、距離540に重力波!探知!特徴から05式狙撃型!西園寺かなめ機と推定されます!」

 巡洋艦『那珂』ブリッジで通信士が叫んだ。

「迎撃ミサイルと対艦ミサイルを時限信管に設定して発射!すぐに主砲も発射準備にかかれ!精密射撃をしなければ『ビッグブラザー』も事故と言うことで済ませるはずだ!『東和共和国』軍人にも休戦ライン上で事故死した人間はいる!」

 自信満々に近藤はそう言った。

「しかし、相手は『最強』クバルカ・ラン中佐。そして、先ほどの詭弁きべんが……もし事実なら……」

 『那珂』艦長は不安げに近藤に目を向けた。

「なあに、我々にはもう失うものなど何もないんだ。窮鼠猫を噛む。『人中の呂布』と並び称された『偉大なる中佐殿』と刺し違えるならそれも結構!」

 そう言って笑う近藤の目の前の環境のモニターにパイロットの画面が映し出される。

『近藤さん』

 彼等は近藤の説得に応じなかった第六艦隊の貴族主義に染まらなかったパイロット達だった。

『近藤中佐。あなたは間違っている。貴方方貴族主義者はたとえ、自分の主張が通じなくても、それを伝える努力をするべきだった。今回の決起は無謀に過ぎる話だった』

「何をいまさら!我々に慈悲でもくれるのか?無力な脱落者がよく言う!」

 近藤はそうあざけるように笑った。ブリッジに集う同志達も、自分達に最後の説得を試みるかつての同僚達に冷笑を浴びせた。

『クバルカ中佐は自分を『不老不死』だと言った。そして、その上司の嵯峨惟基憲兵少将の見た目もその年に比べて若すぎる。つまり、あの『甲武国陸軍随一の奇人』は死なないということだ』

「だからどうした!我々の志をその程度の能力で止められると思うか!」

 叫ぶ近藤にパイロット達の顔には憐みの表情が浮かぶ。

『我々は巻き添えを食いたくはない。故国のために死ぬのは恐れないが、あなた方貴族主義者のエゴで死ぬのはごめんだ。格納庫のハッチを開けてくれ。近藤さん』

 パイロットの代表の言葉に近藤は大きくため息をつく。

「悪名高い検非違使別当の西園寺かなめが死ぬところを見ずに去るとは……武人の風上にも置けんな……。ハッチを開放して奴等を解放しろ……逃げたければ勝手にしろ」

 近藤はそう言うと彼等を監視している担当者に通信を入れる担当者に視線を投げた。

「全ミサイル発射!続けて主砲発射準備態勢完了!目標、重力波異常観測地点!」

 火器管制官の叫びに近藤は大きく右手を握りしめる。

「おしまいだ……西園寺かなめ……死出の導き……よろしく頼むよ」

 すでに『処刑』を覚悟した彼等に恐れるものは何もなかった。


第186話 死の覚悟



「連中『ビッグブラザー』の加護と言うものの特性に気付きやがったな。やっぱりアタシを狙って来たか……やっと、このふざけた体ともおさらばだな……」

 西園寺かなめはモニターの中でミサイル発射管を開いて主砲の砲塔を自分に向けてくる敵艦『那珂』を見ながらそうつぶやいた。

 彼女の230ミリロングレンジ狙撃用レールガンは『那珂』のブリッジを捉えていたが、彼女はトリガーを引かなかった。

「三歳の時、爺さんを狙ったテロでこの体になって……いつかこういう日が来るのを待ってたんだ……アタシは」

 通信はランや誠、カウラや『ふさ』のブリッジクルーにも伝わっていた。

「人を殺すのはもう飽きたんだ……せっかく面白くなってきた人生だが……仕方がねえや」

 かなめはそう言うとヘルメットを脱いで、腰のポーチから愛用のタバコ、『コイーバクラブ』を一本取り出した。

『待ってください!』

 突然、新米の神前誠がそう叫んだ。それまでは胃の内容物の逆流に耐えながらヘルメットを抑えたりして気を紛らわせていた気の弱い誠の急変にかなめは少し驚いて葉巻用のガスライターに伸ばした手を止めた。

 神前誠の専用機『05式特戦乙型』は最新機と言うことでかなめの狙撃型に比べて大出力エンジンを搭載していた。

 一気に機体は加速して先行していた機動部隊長、クバルカ・ラン中佐の『紅兎』弱×54を追い抜く。

『僕が盾になります!西園寺さん!今のうちに後退を!』

 かなめの機体のコックピットに誠の叫びが響いた。誠のその声にかなめは何故かほっとして肩の力が抜けていくのを感じた。

「おいおい、誰に話してるつもりだ?オムツをつけた新入りに指図されるほど落ちぶれちゃいねえよ。敵さんのミサイルはアタシを狙ってる。アタシの『屠殺』を免れた家畜が二匹ほど伏せてる、そいつはオメエが食え!」 

 そう言うとかなめはロングレンジライフルを投げ捨てて、自機の重力波の想定位置に向けてキャノン砲を連射している火龍に向け突撃をかけた。火龍のセンサーは自分で撒いたチャフによって機能していないのは明らかだった。

「馬鹿が!いい気になるんじゃねえ!」 

 目視確認できる距離まで詰める。ようやく気づいた二機の火龍だが、近接戦闘を予定していない駆逐シュツルム・パンツァーには、ダガーを構え切り込んでくるエースクラスの腕前のかなめを相手にすることなど無理な話だった。

「死に損ないが!とっととくたばんな!」 

 すばやく手前の機体のコックピットにダガーが突き立つ。もう一機は友軍機の陰に隠れるかなめの機体の動きについていけないでいる。

「悪く思うなよ!恨むなら馬鹿な大将を恨みな!」 

 機能停止した飛燕を投げつけながら、その影に潜んで一気に距離を詰めると、かなめは二機目の火龍のエンジン部分をダガーでえぐった。

 かなめは敵機のパイロットが死亡したことによる機能停止を確認するともう一度『那珂』に目をやった。

 すでにミサイルは発射されていた。そして艦の主砲はかなめ機に砲身を向けて待機している。

「神前!来るな!巻き添えを食らうぞ!テメエが死ぬことはねえ!」

 悲痛な『女王様』の悲しい願いが遼州星系のアステロイドベルトに響き渡った。

『西園寺さん……死なないでください……西園寺さん』

 誠は口の中に酸を含んだ液体が湧き上がってくるのも構わずに機体をかなめの05式狙撃型めがけて突入させた。


第187話 見る前に跳べ



『神前……死ぬ気か?』

 鈍重な05式とは思えない進行速度で進む誠に向けてカウラはそう冷たく言い放った。

「死なないんでしょ?僕は東和共和国民で遼州人ですから死なないんじゃないですか?僕は東和国民です。『ビックブラザー』は東和国民の死を望んでいないんでしょ?どうにかなりますよ」

 誠はやけになってそう言った。『那珂』から射出されたミサイルがかなめの周囲に向かう軌道を進んでいる。

『敵のミサイルは照準を正確につけずに発射されてる。それに主砲の狙いもかなめの馬鹿に向いてる。かなめの機体付近で爆発が起きればそれに巻き込まれて死ぬな。法術師のすべてが不死ってわけじゃねーんだ。だからオメーはいずれ死ぬ……だけど、今回は死なねーんだ。『05式特戦乙型』に乗ってるかんな。それにさっき言ったようにアタシがオメーを守るから……まー気の済むようにしな』

 ランの冷静なことばを無視して誠は光学迷彩が解けてきたかなめ機の前に飛び出した。

「僕が居れば大丈夫です!今のうちに後退を!」

『間に合うかよ……』

 二人の眼前でミサイルが炸裂する。さらに『那珂』の主砲の不確実な射撃により誠機、西園寺機は爆炎に包まれた。

 誠は死ぬと思っていた。

 たとえ、『ビッグブラザー』の加護とやらで『那珂』が沈んだとしても、ミサイルの爆発と戦艦の主砲の直撃に耐えるほどの装甲が05式にあるとは思えなかった。

 画面が爆発に包まれた瞬間、誠は恐怖から目をつぶった。

 だが、轟音が響くばかりで何も起きなかった。

 コックピットは無事。全天周囲モニターの脇の画面に映るヘルメットを外したかなめの姿も少し乱れた程度だった。

「僕……死ぬんじゃなかったんですか?」

 爆発が収まった段階で誠は何でも知っていそうな自分でも認めた永遠の八歳女児、クバルカ・ラン中佐に声をかけた。

『今回は死なねーんだ。なぜかと言うとオメーも『法術師』だから。完全な『法術師』のアタシに比べるとまだまだだけどな。目の前見てみ』

 ランはそう言って顎をしゃくってモニターの前を見るように誠に促した。

 銀色の鏡状の『板』が誠とかなめの機体を覆っていた。

「これ……何ですか?」

 誠には理解できなかった。それでもこの銀色の壁が誠とかなめを守ったらしい。そのことだけは誠にも推測が付いた。

『それがオメーの東和共和国や遼帝国以外の国の『科学では理解できない』力だ。アタシ等は『干渉空間』と呼んでる。アタシの使える『空間転移』とは違う『距離』を無効化する特殊能力だ。まあ、使い方としては『異能力が作り出した最強の盾』としても使える便利な能力だな』

 ランの言葉を聞いて誠は思った。もう自分は後戻りできない『力』に目覚めてしまったということに気が付いた。

「僕は……僕はどうすれば!」

 誠はそう叫んだ。

 近藤一派の攻撃が効かないことは分かった。そして直接誠を攻撃できないことも分かっている。

 でも、それでは任務を完遂することはできない。

『神前。準備はできたぞ、跳べ』

 ランの突然の言葉に誠はいつもの通り困惑した。

「跳ぶ?……どうやって?」

 子供のように自分に尋ねてくる誠に子供のような姿のランは頭を掻いた。

『目の前の『干渉空間』に飛び込め!次に飛び出る場所は西園寺を狙った近藤の旦那のいる『那珂』のブリッジの前だ!そこをイメージしろ!見る前に跳べ!』

 ランの叫び声を聞いても誠はうろたえることしかできなかった。

「無茶ですよ!いきなり言われても!」

 反論する誠の機体のコックピットの全天周囲モニターの中に一人の女性が真剣な表情で誠を見つめる姿が映っていた。

 カウラだった。

『神前。貴様には人にない『力』がある!跳んでくれ!』

 はっきりと力強く彼女は誠にそう言った。

「ですけど……」

 口ごもる誠はそのまま視線をかなめの画面に向けた。

『今動けるのは中佐とテメエだけだ。中佐は最後の切り札だ。そいつを出したら次の出動に差し支えるんだ。テメエが決めろ』

 かなめの檄を受けて誠は目の前にある自分の作り出した『干渉空間』に目を向けた。


第188話 とどめの一撃



「本当に飛び込めば『那珂』のブリッジ前まで行けるんですね?」

 もう半分やけくそだった。他の人ならかっこよく覚悟を決めるところだが、誠にはそんな度胸は無かった。

『そうだ、アタシが座標を設定しといた。安心して跳べ。それと『ダンビラ』を引き抜いて、『那珂』のブリッジ前で『剣よ!』と念じながら叫ぶといーことあんぞ』

 ランはそう言って風格のある笑みを浮かべた。どう見ても八歳女児のその『風格』に誠は苦笑いを浮かべた。

「うわー!」

女性陣に強制されて、仕方なく誠は自分の生成した『干渉空間』に機体を突入させた。

 誠は『干渉空間』に突入するときに恐怖から目をつぶった。

 一瞬の衝撃が誠を襲った。そして、目を開くとすでにそこには『那珂』のブリッジがあった。

 驚いている暇など誠には無かった。

「『ダンビラ』を引き抜いて!」

 先ほど上司のランから言われた通り、左腰に装備された高温式大型軍刀、通称『ダンビラ』を引き抜いた。

 誠は『那珂』のブリッジに目をやる。

 ブリッジでは目の前に突然現れた05式特戦乙型の姿に驚愕して混乱に陥っているようだった。

「『剣よ!』」

 誠はそう叫んで利き腕の左手を軸に一気に『那珂』のブリッジに斬りかかった。

 すぐに誠はその『異常』に気づいた。

 自分の叫び声とともに『ダンビラ』は青白い炎のように見えるものに包まれた。そしてそのままそれを振り上げ、一気に『那珂』のブリッジを右から左に払うように振ると、『那珂』のブリッジはその青白い炎に飲み込まれた。

 興奮から覚めた誠が『那珂』のブリッジのあった場所に目をやると、そこには爆炎を上げる『那珂』の船体があるばかりだった。

「嘘だろ……これは僕がやったのか?」

 誠にはそう言うのが精いっぱいだった。すぐに食道を胃からの内容物が湧き上がってくる感覚が誠を捉えた。

 とりあえずコックピットにエアーが満たされていることを確認すると誠は慌ててヘルメットを脱いだ。

 誠の脳裏に浮かぶ無念に死んでいく多数の死者の怨霊を想像するとそのままシートの脇の小型コンテナから『エチケット袋』を取り出して嘔吐した。

 誠の機体の背後ではランとかなめが『那珂』の外に出てきていた近藤一派のシュツルム・パンツァー飛燕を一機一機仕留めているところだった。

 胃の内容物を一通り吐いた誠は視線を標的に向けた。『那珂』の船体にはほとんど被害は無いが、ブリッジは完全に消失していた。

『ハハハっハ。やっちゃいました』

 吐くものを吐いて落ち着いてきた誠は力なくそう言った。


第189話 任務を終えた誠



 吐くだけ吐いてすっきりした誠は『殺人』を犯した事実と自分の乗り物酔いが致命的なことに気づいて少しばかり落ち込んでいた。

 誠は静かに目の前の空間を眺めた。

 何もない空間。

『先ほどの通信位置測定から『那珂』のブリッジにいた近藤中佐の死亡が推測されます……任務は終了です』

 サラの言葉が重く誠にのしかかる。

「終わったんだ……」

 『那珂』の艦首から信号弾が上がった。それは決起部隊の投降を意味するものだった。第六艦隊の近藤一派捕縛の部隊もすでに近づいてきていた。

 誠はただ茫然とその様子を全天周囲モニターで確認していた。

『よくやった……アタシの部下としてはまーいー出来だ』

 ちっちゃな『偉大なる中佐殿』、クバルカ・ラン中佐はそう言って誠をなだめた。

「褒められても……僕は人殺しですから……」

 誠はそう言ってうつむいた。

 たとえ犯罪者だからと言って簡単に人を殺すことを受け入れることは誠にはできなかった。

 英雄になるつもりも資格も無い。誠にはそのことは分かっていた。

『だからいーんだよ。オメーは』

 ランはそう言って静かにうなづいた。

『アタシも今回は一機も落としてねーかんな』

「そんな……五機は落としてましたけど」

 反論する誠に向けてランは余裕のある笑みを浮かべた。

『あいつ等は未熟だから事故で死んだ。アタシは機動部隊長だから撃墜スコアーのカウントも仕事のうちだ。アタシは一機も落としたなんて記録しねーかんな。西園寺も誰も殺してねーんだ。死んだ奴は全部、『操縦未熟による事故死』って扱いになる』

 誠は絶句した。いくら勇敢に戦おうがこの『特殊な部隊』と出会った敵は『処刑』され、結果『事故死』として処理されるというランの言葉を理解できずにいた。

 ランは小さな画面の中でその小さな顔に笑顔を浮かべてなだめすかすように続けた。

『神前。分かんねーかな?その力で近藤の旦那が始めたいような『絶滅戦争』を始めれば……人がやたら死ぬ。だから、お前は『武装警察官』なんだ。『警察官』に撃墜スコアーは必要ねーんだ。職務を執行する技量だけがあればいい』

 誠はそう言って笑うランの言葉が理解できずに視線をかなめに向けた。

『なんだ?神前』

 先ほどの死を覚悟した表情はどこかに行ってしまったようにかなめは静かに葉巻をくゆらせていた。

「西園寺さん……」

 誠はそう言いながらかなめが自分に視線を投げてくるのを眺めていた。

『今回は死んだな……何人も……アタシも、オメエも人をたくさん殺した』

 そう言ってかなめは太い葉巻を右手に持った。

『近藤さんの部下の連中はたまたま死ぬべきだったから死んだだけそう思おうや』

 はっきりとそう言い切るかなめに誠は少しの違和感を感じていた。

「僕はそう簡単には人の死を割り切ることはできません」

 珍しくかなめに反抗的な表情を向ける誠にかなめはそのたれ目を向けてほほ笑む。

『済まねえな。もし、アタシに力があれば……人殺しにゃ向かねえオメエに殺しはさせなかったんだが……アタシに殺させるか、オメエが殺すか、それはオメエの心次第だな。無茶言った、すまねえ、聞かなかったことにしてくれ』

 かなめの言葉に、また、この『特殊な部隊』の自分の思う社会とは違う側面を感じて、誠は彼女から目をそむけた。

 誠は視線を全天周囲モニターの端っこに映るカウラに向けた。

 彼女は呆然と自分を見つめてくる誠に優しい微笑みを向けてきた。

 戦うために作られた『ラスト・バタリオン』であるカウラにとって戦場は日常空間なのかもしれない。

 そんなことを思っている誠に見つめられたカウラは静かにこう言った。

『神前、貴様は私の用意した『戦場』を見事に消した。立派な『死刑』を執行した。その時点でお前は本当の意味で私の小隊の一員になった。私は貴様を誇りに思う』

 そう言ってカウラは力なく笑う誠に笑い返してくる。

 誠は彼女にも違和感を感じた。

 普通に生きて普通に暮らしてきた自分がなぜこんなに『普通とは違う』人達の中で暮らしていく現在があるのか。

 そして、自分に『普通とは違う』能力が備わってしまったのか。

 自分の『法術』が何をこの『遼州同盟』にもたらすのか。

 それを考えながら誠は静かに目をつぶった。誠の意識はすぐに眠りの中に溶けて行った。


第四十三章 変革後の世界


第190話 目覚め



「ここは?」 

 頭痛とめまいを感じながら、誠は目を覚ました。

 彼が最初に見たのは、痩せた眼鏡の医師の日焼けした顔だった。彼もまた『釣り部』の一員なのだろう。誠はぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。その隣では見慣れないこれも『釣り部』に所属しているであろう日焼けした女看護師の後ろで、心配そうに誠を見つめているひよこの姿が有った。

「起きましたよ、隊長。神前君、しばらくは安静にしている方がいいと思うんですが……」 

 誠が絶対磯釣りが好きだと認定した軍医が振り返った先には、嵯峨がついたての隙間から入り口の方を見ている姿があった。

『起きたってよ!』 

 病室を仕切るパーテーションの後ろ側からあわてた調子でかなめがつぶやくのが聞こえる。

『騒ぐな西園寺。一応ここは病室だ』

 落ち着いた調子を装うのに必死なカウラの言葉が聞こえてくる。 

『残念ねえ……せっかく私が『桐の棺桶』を用意してあげるところだったのに……『しんらん』聖人サイン入りプロマイドも……』

 小さい声だが、アメリアは明らかに誠にも話し声が聞こえるように話していた。 

『また作ったの?あのプロマイド。ただ単にアメリアが高校の日本史の教科書から『親鸞聖人』の絵を拡大コピーして、ペンで『しんらん』って書いてるだけじゃない』 

 不服そうな調子でサラが突っ込みを入れる。

『その時の教科書の代金……もらってないわね。いつだって雑用は私達に押し付けてアメリアは遊んでばかりだもの。これ以上損するのはごめんよ』 

 パーラはすっかり呆れた調子だった。

『へー。今度『ザビエル』でやりません?高校時代授業中昼寝の間によく落書きしたんすけど、中でも最高傑作は『ザビエル』なんで。……縄文時代の人でしたっけ?『ザビエル』』

 今度はまるで声を小さくするつもりはないというような『馬鹿』な島田の声が響く。いくら歴史が苦手な誠も『縄文時代』の歴史的人物の絵はさすがに存在しないことは知っていた。

 嵯峨はそんな様子を注意するわけでもなく、とりあえず誠に向き直る。 

「まあ、初めてってのは何でも大変なものだ。ドクター。なんか問題点とかありました?」 

 外の騒動に笑顔を浮かべながら、嵯峨は小柄な釣り好き軍医に声をかけた。

「特にないですね。多少の緊張状態から来る神経衰弱が見られる他は健康そのものですな。うちの技術部のだらけた連中よりよっぽど健康的ですよ。まあ乗り物酔いと緊張した時の胃の内容物の逆流する症状は慣れるしかないみたいですけどね」 

 朗らかに軍医はそう言うと席を立った。

「それと、やはりもう自室に戻るべきかもしれないね。あの連中がなだれ込んでくる前に」 

 そう軍医が言って出て行ったとたんに病室のドアからなだれ込む人影があった。

「なんだ、元気そうじゃないか」 

 軍医と誠に駆け寄ろうとするひよこを押しのけてかなめ達が入ってくる。皆笑顔で上体を起こした格好の誠を見つめた。

「とりあえず差し入れ」 

 と言うとかなめが飲みかけのラム酒のビンを突き出してくる。 

「間接キッス狙いね!油断も隙も無いんだから」 

「馬鹿野郎!んな訳ねえだろ!たまたま他にやるもんがねえからだな!その……なんだ……」

 かなめはアメリアに言われて言葉を濁しながらおずおずと下を向く。

「馬鹿は良いとして、本当に大丈夫か?」 

 カウラがそう言うと誠の背に手を当てて、起き上がろうとする誠を支える。バランスが少し崩れて、誠の顔とカウラの顔が数センチの距離で止まる。カウラのシャワーの後の石鹸の残り香が誠には心地よく感じられた。

 しかし、すぐさまアメリアのニヤついた顔を見つけた誠は、それをごまかすようにカウラの手を借りてベッドから降りた。

「大丈夫ですよ……ってすいません!」

 靴を履こうとした誠がよろける。彼を慌ててカウラが支えた。二人は思わず見つめあう形になる。

「ごほん」

 わざとらしくかなめが咳ばらいをした。誠はカウラの支えで、なんとか態勢を立て直すと、握っていたカウラの手を離した。

「それにしても行きは急ぎだっていうのにちんたらパルスエンジンで一週間もかかったのに、帰りは亜空間転移で三日で帰任かよ……まったく同盟法はどうなってるのかねえ……まあ出動時は『ふさ』は軍艦扱いで遼州星系内での亜空間転移が条約で禁止されているけど帰りはもとの警察扱いってことはわかるんけど……まったく融通が利かねえな」 

 明らかにカウラ達を気にしているかなめがあてこするように嵯峨に言った。

「俺に言っても無駄だよ。同盟法は同盟機構が立案して同盟議会が可決した法案だ。そんな一司法執行関の部隊長がおいそれといじれるもんか」

「同盟機構を提唱して各法案をねじ込んだ人がそれを言います?」

「同機構を提唱?各法案をねじ込んだ?」

 誠はアメリアの『特殊』な言葉の意味を理解できずに反芻するばかりだった。

「いいの!病人は気にしなくても!それより祝勝会をするから!誠ちゃんの『偉大なパワー』で全宇宙を平和にする可能性が生まれた!そのお祝いよ!」

 糸目でそう言い切るアメリアを見上げて、誠はただ苦笑いを浮かべて自分の運命がこの『特殊な部隊』で決定的に変わってしまったことを悟った。苦笑いを浮かべる誠をひよこは心配そうな目で見つめていた。


第191話 勝敗


 まだ無理は禁物だと叫ぶひよこを無視してアメリア達は誠を拉致していった。

 騒々しい誠達が去った病室で一人静かに嵯峨はベッドに座り込んでいた。

 胸のポケットからタバコを取り出すが、さすがに『駄目人間』な嵯峨も医務室でそれを口にすることは無かった。

「カーンの爺さん、俺の負けだよ。俺は『非情』になり切れなかった。近藤さん達を『犯罪者』にはできたが、『社会的に消す』ことはできなかった」

 嵯峨はそう言って力なく笑った。

「今回の事件は記録として残る。それだけは止められなかった。そしてその記録を見た同じような思想の『貴族主義者』は俺達の前にもっと強くなって立ちはだかるのも、もう確定事項だ。負けたよ……俺の負けだよ。近藤のおっさんはもっとあんた好みの『非道』な殺し方もできたんだ……近藤の旦那には記録にさえ残らないような無様な最期を用意してやることもできたはずだ……どうにもまだ俺は不十分な『駄目人間』みてえだわ」

 嵯峨はそう言うと立ち上がり、医務室を眺める。

 嵯峨のほかには誰もいない。医務室勤務の『釣りマニア』達は祝勝会の『魚料理』による歓迎に命を懸けているので、ここはもぬけの殻だった。

「俺は隊長失格だな。今回、何人死んだ?近藤さんの部下。近藤さんとその家族につまらない情けを懸けたばっかりに、近藤さんの自殺の道連れ百人越えか。一人を殺して二人を生かすのが正しい……そう思ってきてこのざまか。近藤さんの『妻子』をどうにかすれば……俺にはできねえな。俺の手は汚れてるが、『鬼』になりきることができてねえんだな。そんな『甘ちゃん』の俺をカーンの爺さんは笑ってんだろうな」

 そう言って嵯峨は医務室の薬品の入った扉をポケットからカギを取り出して慣れた手つきで開ける。そこには劇薬の類が並んでいた。嵯峨のぼんやりとした視線は変わることが無かった。

「気高い死を望む奴ほど心が脆いもんだ。肉親や仲間にちょっとひどい目を見せてやれば簡単に壊れる。『第二次遼州戦争』で散々使ってたなじみの手じゃない。今更、この手が汚れたってかまわねえよ。それよりラン……『偉大なる中佐殿』……おめえさんの『不殺不傷』の誓いを破らせちまった。神前に『殺し』をやらせちまった。俺が一人でその汚れた手でやれば済むことだったんだ……全部、おめえさん達を連れて俺が逃げ出せば済む話だったんだ」

 嵯峨の顔に落胆の表情が浮かぶ。致死量数グラム以下の劇薬の小瓶を一つ一つ手にとっては棚に戻す嵯峨。そこにはまるで感情の色が見えなかった。

「なんだか俺の人生『負け』ばっかりだな。生まれるともうその国は負けが決まってた、親父には負けて国を追われた。育った『甲武国』は『第二次遼州戦争』で負けた。妻にはあの世に逃げられた。娘からは小遣い三万円の暮らしだよ……負けばかり。一度は爽快な勝ち方をしたいもんだが……俺には『勝ち運』が無いのかな?」

 そう言って嵯峨は一つの青い小瓶を手に取る。それは『テトロドトキシン』と書かれた小瓶だった。

「ふぐ毒ねえ……うちの『釣り部』の連中にはフグ調理師の免許持ってる奴もいるから大丈夫だろ」

 嵯峨は静かに『テトロドトキシン』の小瓶を棚に戻して薬品庫にカギをかけた。

「ただ、究極の『剣士』が見つかった。神前は『法術師』として『覚醒』したんだ。爺さんとの勝負には負けたが、これから俺は『廃帝』や『ビッグブラザー』と戦争をする予定だ。そっちの勝ちは譲れねえよ。だから最終的に俺は勝ってるんだ。悪かったな、じ・い・さ・ん」

 薬品庫に目をやる嵯峨の口元に微笑みが浮かんだ。

「ただ、今回の神前の『法術師としての覚醒』で、俺やランの見た目が年齢と合わない理由が『全宇宙』にばれちまった。俺達、遼州人『リャオ』が文明を必要としない超能力者集団だってことがばれちゃったんだよ。『地球圏』で知ってるのは進駐している軍隊だけだからいいけど、遼州同盟の偉いさんは大変だな……とんでもない『パンドラのはこ』が開いた。開けたのは俺とランだ。自業自得とはいえ……辛いぞ、これからの『戦い』は」

 嵯峨は静かにだらしなく着こんだ司法局実働部隊の制服のネクタイを締めなおして医務室の入り口に足を向ける。

「とりあえず『勝った』らしいから……盗聴中の『ビッグブラザー』関係者のみなさん……俺、とりあえず勝ったんで」

 そう言って嵯峨は悠然と医務室を立ち去った。


第四十四章 宴会とそれぞれの思惑


第192話 『英雄』と『クエ鍋』



「しかし……緊張するとすぐに吐瀉するとは……少したるんでいるんじゃないのか?」 

 医務室から出ると誠を捕まえたカウラがそう言ってにらみつけた。

「カウラ……こいつになんか文句あんのか?」

「そうですよ!カウラさん。それは誠さんの体質の問題です!誠さんが悪いんじゃありません!」

 かなめとひよこはそう言っていつものようにぶっきらぼうに誠を責めてくるカウラに反論した。

「西園寺さん……良いんですよ……もう諦めてます」

 誠は頭を掻きながら笑っていた。この『吐瀉癖』と言う持って生まれた体質には誠は長年の付き合いで慣れていた。 

「まあまあ、ここは私の顔を立てて穏やかに行きましょうよ。それに今日の宴会の主役は我等がヒーローである誠ちゃんよ!なんでも『釣り部』がとっておきの『クエ』を出すから、『クエ鍋』なんですって!よかったわね、誠ちゃん!『クエ』なんて高級魚食べるのは初めてでしょ?美味しいらしいわよ『クエ』って」 

 糸目でほほ笑むアメリアの口調には純粋に誠をおもちゃにするお姉さん気質があふれていた。

「『クエ鍋』?なんだよ『クエ』って。名前が気に食わねえな。『食う』から鍋だろ?とっておきなら高級魚と言えば『トラフグ』とか『アンコウ』とかじゃねえの?」 

 島田は意味も分からず彼女のサラと見つめあう。この二人はアホなので誠も知っている『高級料理』の知識がないことは予想ができた。

「島田君……『フグ』はね、養殖ができるから安いのがあるの!『アンコウ』は獲るのに底引き網漁を使うから獲れるときはいっぺんにたくさん獲れるわけ。でも『クエ』は滅多に獲れない幻の魚なの。うちの『釣り部』だって年に数回ぐらいしか食べないんだから……」

 無知な島田のボケにパーラが丁寧なフォローを入れた。

「年に数回もそんな幻の魚のクエを食べるって……うちの『釣りマニア』はどういう食生活を送ってるんですか?」

 さすがの誠も彼等が魚のみでたんぱく質を取っていることは今でも信じられなかった。

「西園寺大尉!」

 急にアメリアがそう叫んだ。

「なんだよ、アメリア」

 かなめは嫌々そう言ってアメリアのハイテンションに付き合う。

「私は『少佐』。かなめちゃんは『中尉』。そして、私はこの『ふさ』の艦長なの。かなめちゃん流に言うと『格が違う』わけ?分かった?」

 そう言うアメリアの態度には嫌味の成分があふれていた。

『ハイ!少佐殿』 

 普段自分が『女王様』としてふるまっているだけに以後の偉そうな態度が否定されると感じたのか、かなめはわざとらしくそう叫んだ。

「西園寺中尉はガスコンロ等の物資をハンガーに運搬する指揮を執ること!ラビロフ中尉!グリファン少尉!島田曹長!」

 アメリアは視線をパーラ・ラビロフ、サラ・グリファン、島田正人の三名に向けた。 

『ハイ!』 

「以上は会場の設営の指揮を担当!以上!かかれ!」 

『了解!』 

 三人はアメリアのこんな急な態度の変化に慣れているらしく、きびきびとした態度で廊下を走っていった。

「ひよこちゃんは食堂に行って私に『釣り部』の調理の進行状況を逐一知らせること!それを参考に宴会の段どりとか考えるから」

「わかりました」

 すっかり『宴会部長』を気取っているアメリアに指示されて素直なひよこはそのまま走って廊下の向こうに消えていった。

「僕とカウラさんはなにを?」 

 残された誠とカウラはアメリアのおもちゃにされる恐怖から顔を引きつらせて彼女の糸目を見つめた。

「ああ、誠ちゃんは主賓でしょ?それにカウラちゃんはいい子だからそのお供。今頃は、『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐がご自慢の『いい酒』を選んでいるころだと思うけど」 

 そう言ってアメリアは二人を置いて今来た医務室に足を向けた。

「病人の看護はひよこちゃんの領分だと思うんですけど……まあ、僕はもう元気なんで病人では無いですね。そう言えばアメリアさんはどこに行くんですか?」

 誠の問いにアメリアは満面の笑みを浮かべる。

「当然、隊長に持ってきた自分用の甲種焼酎以外の酒の供出を要求するわけ。何かあった時に『甲武国』の偉い軍人さんに贈る用の酒も持ってきてるはずだから。どうせあの人にはどうせ甲種焼酎みたいな安酒しか口に合わないって公言してるし」

 そんなアメリアの一言に誠はあの小遣い三万円の嵯峨から平然と秘蔵の酒を取り上げる『鬼』である事実に気づいて驚愕した。



第193話 宴会に手慣れた連中



 誠とカウラ。二人は医務室を出て廊下を格納庫に向けて歩いた。技術部員がコンロやテーブルを持って走るのが目に入る。一方、運航部の『ラスト・バタリオン』の女子士官達がビールや焼酎を台車に乗せて行きかう。

「何でこんな用意が良いんですか?慣れてるんですか?こういう宴会には」 

 次々と出てくる宴会用品に呆れながら誠がカウラに尋ねた。

「いいんじゃないのか?たまに楽しむのも」 

 カウラは笑顔を保ったままで、脇をすり抜ける技術部員の不思議そうな視線を見送っていた。

「そう言えば『釣り部』の人は見ないのですが、調理中ですか?全員で料理するほど食えって手がかかるんですか」

 高級魚のクエについてよく知らない誠は不思議そうにそう尋ねた。 

「ああ、あいつ等か?魚類にすべてをささげ、『神』とあがめる連中だからな。これからそれを食する前に『神』に祈りでも捧げてるんじゃないか?」

「はあ……」 

 誠は彼等の『釣り』に対する情熱をこの数日で理解していたので、彼等が隊員の誰かを魚の神への生贄に捧げていたとしても不思議だとは思わなかった。

「土鍋、あるだけ持ってこい!そこ!しゃべってる暇あったらテーブル運ぶの手伝え!」 

 エレベータの所では島田が部下達を指揮していた。

「島田先輩!」 

「おう、ちょっと待てよ。とりあえず設営やってるところだから。そこの自販機でジュースでも買ってろ!俺は奢らないがな!」 

 そう言って島田はまた作業に戻る。

「そうだな、誠。少し休んでいくか?」 

 カウラが自分の名前の方を呼んでくれた。少しばかりその言葉が頭の中を回転する。

「どうした?」 

 不思議そうにカウラは誠をエメラルドグリーンの瞳で見つめる。

「そうですね。ははは、とりあえず座りましょう」 

 そう言うと頭をかきながら誠はソファーに腰掛けた。

「何を飲む?コーヒーで良いか?」 

「甘いの苦手なんで、普通のコーヒー。出来ればブラックで」 

 カウラは自分のカードを取り出すとコーヒーを選んだ。ガタガタと音を立てて熱いコーヒーの缶が落ちてくる。

「熱いぞ、気をつけろ」 

 そう言うとカウラは缶コーヒーを誠に手渡した。

「どうだ?ここの居心地は」 

 野菜ジュースを取り出し口から出しながらカウラがそう尋ねた。この『特殊な部隊』は編成されてまだ二年半と言う司法実力部隊である。彼女も東和共和国陸軍に所属していた経歴がある以上、同じように嵯峨の強烈な個性に染まった司法局実働部隊に戸惑ったこともあるのだろう。

「出動の後はいつもこんな感じなんですか?」 

 誠は隣に座ったカウラの緑の髪を見ながら缶コーヒーを啜る。

「出動は、部隊創設以来二回目だ。ほとんどは東都警察の特殊部隊の増援、同盟加盟国の会議時の警備の応援、災害時の治安出動などが多いな。もっとも、最近は県警の縄張り意識が強くなってきて、あちらの人手が足りないと言うことでスピード違反の検挙の応援や路駐の摘発なんてことしかしないこともある」

「はあ、それにしても慣れてますね、島田先輩達」

 その手際の良さに呆れながら誠はそうつぶやいた。

「今回のように高級料理を出すわけでは無いが、演習の後は宴会をするのがここの習慣だ。貴様もいずれ慣れるだろう」 

 そう言いながらカウラは手にした野菜ジュースのふたを開ける。設営準備のためにエレベータ乗った技術部員や運航部の女子達はひっきりなしに食堂とハンガーの間を往復し続けていた。


第194話 『英雄』を奪い合う女達


「何してんだ?お前って……カウラ!」 

 コンロを抱えたかなめに二人は見つかった。誠は思わずかなめから目をそらした。

「カウラ……テメエ、また何か企んでるな?こいつはアタシの『下僕』だぞ、勝手に餌をやんじゃねえ!」 

「私が何を企んでいると言うんだ?それに、私は水分を与えただけだ、餌はやっていない」 

「だってそうじゃないか。人がこうして額に汗を流して宴会の準備をしているのに……」 

 かなめはコンロを置いて誠達に向かってきた。

「それはアメリアの指示だろ?あいつは一応『ふさ』の艦長だ。この艦では部隊長の嵯峨特務大佐の次に高い地位にある。いつものようにサイボーグの身体を持ち、クバルカ中佐のように『不死身』だと自称しているなら、外に出て生身で『遼州』の大気圏突入をすればいいだろう。サイボーグだろ?できるんじゃないか?」 

「う……」 

 腐っても軍と同等の指揮命令系統である。上官の名前を出されたら逆らえるはずも無い。

「それにまだ神前の体調は本調子ではない、小隊長として彼を見守る義務がある。もしまた口から何かを吐く可能性がある。そうしたら誰かが掃除をしなければならないだろ?」

「カウラさん。僕は猫じゃないんで、自分で掃除ぐらいできます」

 誠は武装していないカウラにはツッコミを入れることができた。筋が通っているものの何故か納得できない、かなめはそんな表情を浮かべた。

「それとも何か?代わってもらいたいとでも言うのか?理由によっては聞いてやらんこともないぞ?」 

 カウラの一言。かなめの顔が急に赤くなる。

「馬鹿野郎!何でアタシがそんなことしなきゃならねえんだ!こいつの吐いたものはテメエがかたずけろ!アタシはそんなメイドの真似なんかしねえかんな!」 

「そうか。じゃあ消えろ……仕事を済ませて喫煙所でたむろっていればいい」 

 淡々とかなめをあしらうカウラに、かなめはさらに切れそうになる。

「西園寺さん後ろがつかえてるんですけど」 

 幼い顔の整備班のつなぎ姿の西高志兵長が、いつ切れてもおかしくないとでも言うような表情のかなめに声をかける。

「うるせえ!餓鬼!これ持ってハンガー行け!」 

 彼は既に椅子を持っている上にかなめからコンロを持たされてよろける。隣の兵長が気を利かせてコンロを受け取ってエレベータに乗り込む。

「おい、カウラ!前からオメエのことが気に入らなかったんだけどな。今回のことで分かったよ。アタシはテメエのことが気にくわねえ!戦うだけの文化レベルゼロの戦闘人種とは高貴で雅な平安貴族の末裔のアタシは合わねえんだ」 

「貴様が『雅』?面白い冗談だな。私も西園寺の『女王様』な態度が非常に劣悪であると言う認識を持っているわけだが」

「面白れえじゃねえか!勝負はなんにする?飲み比べじゃあアタシが勝つのは決まってるから止めといてやるよ」 

「そういう風にすぐ熱くなって喧嘩を売る隊員は私の小隊には不要だ。ちょうどまもなく甲武の領域を通過する。そのまま実家に帰っておとなしく居候(いそうろう)達と遊んでろ」 

「何だと!」 

 いつでも殴りかかれると言う状態で叫び続けるかなめ、それを受け流しつつ明らかに反撃の機会を覗うカウラ。誠は自分が原因である以上どうにかすべきだと思ってはいたが、ニヤつきながら遠巻きに見ている技術部員とブリッジクルーの生暖かい視線を感じながら黙り込んでいた。


第195話 誠がもたらした国際環境の変化について


「はいはーい!どいてくださいよ!誠ちゃん。お席のほうが出来ましたのでご案内します!」 

 そこにいつの間にか現れて、誠をさらっていこうとするのはアメリアだった。

「おい!いつの間に湧いたんだ!」 

「卑怯者!誠の世話の担当は私だ!」 

 かなめとカウラが飄然と現れたアメリアに噛み付く。

「だって二人ともこれから決闘でもするんでしょ?じゃあ誠ちゃんはお邪魔じゃない。だからこうして迎えに来てあげたってわけ」 

『そんな理屈が通用するか!』 

 二人はステレオでエレベータに向かおうとするアメリアを怒鳴りつける。

「クラウゼ大尉!三人で連れてってやったらどうです?」 

「西園寺さん!良いじゃないですか!」 

「酷いよねえ。神前君って三人の心をもてあそんで……そんなこと東和で許されると思っているのかしら」 

「そう言うなよ。戻ったら三人をストーキングしている技術部の馬鹿につけ狙われるんだから。それまで楽しんでろよ」 

「新入りの分際で!」 

 周りのブリッジクルーの女性陣、技術部の男性部員が口々に茶々を入れてくる。

「黙れー!」 

 感情瞬間湯沸かし器であるかなめが大声で怒鳴りつける。

「じゃあ、行くとするか。西園寺、アメリア。ついて来い。大丈夫か誠。一人で立てるか?それとも吐くか?」

 カウラはそう言うとハンガーに向けて歩き出した。誠はすさまじく居辛い雰囲気と、明らかに批判的なギャラリーの視線に耐えながらエレベータに乗り込む。

「それにしても初出撃で巡洋艦撃破ってすごいわよねえ。これじゃあさっきのニュースも当然よね」 

「何があった?」 

 相変わらず機嫌の悪いかなめがアメリアに問いただす。

「同盟会議なんだけど。そこで誠ちゃんみたいな法術師の軍の前線任務からの引き上げが決まったのよ。地球連邦の主要国なんかはこれに同調する動きを見せているわ。まああんなの見せられたら、さもありなんというところかしら」 

「地球圏の情報戦に力を入れている有力国は既にこの状況を予想していた。言って見れば当事者みたいなものだからなその動きは当然だ。しかし他の勢力が黙っていないだろうな」 

 カウラはその政治的な結末を淡々と受け入れた。

「一番頭にきてるのは同盟会議の反主流派の国ね。同盟会議の声明文に連名で名を連ねているものの、声明文が準備されている段階ではこんな大変なことになるとは思ってなかったでしょうから。金は出したのに何でこんなおいしい情報をこれまでよこさなかったのか……ってね。それと地球圏ではフランスとドイツが声明文の黙殺を宣言したし、インド、ブラジル、南アフリカ、イスラエルもヨーロッパ諸国の動きに同調するみたいよ」 

「まるで核兵器開発時の地球のパワーゲームみたいだな。『法術』はもっと質が悪いな。下手な核兵器よりも製造が簡単で、持ち運ぶも何も足が生えてて勝手に歩き回るからな」 

 アメリアの解説を聞いて、かなめはようやく冷静に現状分析を始めた。かなめの表情が険しくなる。同じくカウラも複雑な表情を浮かべた。

「でも……こいつがか?そんな国家間の大問題を引き起こした英雄だなんて……」 

 そう言うとかなめはまじまじと誠の顔を眺める。

『かなめさんのタレ目が近い……』

 不謹慎にも誠はそう思う。さらに『特殊な部隊』一番の胸のボリュームに自然と視線が流れる。

「アタシもさあ。実際、間近で見てて凄いなあと驚いたんだけど……やっぱり普通のゲロを吐く生き物じゃん」 

 かなめの言葉が誠の心を砕いた。口からよく何かを吐くのは事実なので、誠にその言葉を否定することはできなかった。

「誠ちゃんが口から『重力に逆らえないエクトプラズム』を吐くことがあるのは知ってるからでしょ?知らなきゃただの英雄よ」

 アメリアの身勝手な誠に対する論評も事実だけに、誠は何も言えなかった。 

「まあそうなんだけど。こいつが叔父貴と同類の法術師?信じられねえよなあ」 

 かなめはさらにじろじろと誠の全身を観察し始める。

「西園寺!イヤラシイ目で神前を見るな!」 

「誰がイヤラシイ目で見てるって?オメエがそう見てるからアタシも同じ目で見てると妄想するんだろ?」 

 苛立つカウラをかなめは難なくかわして見せた。そしてそのままハンガーへ向かう通路を歩き続けた。


第196話 英雄の登場



「誠ちゃん、着いたわよ!」 

 アメリアはそう言って笑った。ハンガーの出入り口には宴会場の設営の為に動き回る各部隊員が出入りしている。

「ヒーローが来たぞ!」 

 椅子を並べる指示を出していた司法局実働部隊の制服を着た男性将校の一言に、会場であるハンガーが一斉に沸く。

 それに合わせて一升瓶を抱えたランが誠達に歩み寄ってくる。

「いいタイミングだな。酒を選ぶのに悩んだが……『クエ鍋』だかんな。やはりここは日本酒の伏見の『辛口』で行こーと思うんだわ。西園寺!ラム一ケースあるがどうする?」 

 いくら『不老不死』とは言え、どう見ても八歳女児が『日本酒伏見の辛口』などと言っている姿に違和感を覚えながら、誠はカウラと一緒に宴会場である格納庫の冷たい床を進んだ。

「糞餓鬼!アタシのラムは誰にもやらねえよ!まあ『御褒美ごほうび』としてなら誠にあげても良いかも知れねえがな」

 かなめはそう言うとランが指さした木箱に向けてそそくさと走り去った。

「誠ちゃんはそこに座って!」 

 りんとした調子でアメリアが誠達に声をかける。そこは上座らしくちっちゃなラン用の座椅子が置いてある。誠はそのまま手を差し出すアメリアに導かれてそのテーブルに引かれていく。

「アタシ等はどうするんだよ!」

 木箱から一本のラムの瓶を取り出してきたかなめが口をとがらして抗議した。 

「かなめちゃんはどこか隅っこにでもゴザを敷いて座れば良いじゃない。庶民の気持ちがわかるかもよ」 

「殺すぞテメエ」

 かなめは誠の予想通り銃に手をやる。

「ただの暴力馬鹿が……」

 何気なくつぶやくカウラの一言に、さすがのかなめも銃から手を離した。

「これがメインの『クエ』三匹分です!サイズは40キロ、38キロ、36キロと食べごろサイズですよ!」 

 先ほどの軍医が部下に大皿を持たせて現れた。誠から見ると彼はどう見ても板前の格好をしていた。その隣には同じく割烹着姿の医務室の天使と呼ばれる神前ひよこが大皿を手に立っていた。その上には白身の魚の切り身が並んでいる。その他、次々とどう見ても日本料理屋の店員にしか見えない司法局実働部隊・艦船管理部、通称『釣り部』の隊員が鍋の具材を配って回る。

「技術部の兵隊!全員食材及び酒類の配置にかかれ!」 

 くわえタバコの島田の一言で、つなぎ姿の整備員が一斉に動きだす。

「ここは多めの奴くれよ!」 

 箸で小皿を叩いて待ち構えているサラを横目にかなめは叫んでいた。

「はい!これが一番多いですよ!」

 そう言ってひよこが大皿をかなめに手渡した。

「さあ……入れるぞ!」 

 かなめはさっそくクエの身のほとんどを土鍋の中に放り込む。同時にひよこの表情が曇るのが誠にも見えた。

「普通だしが先じゃないのか?」 

 カウラは鍋の隣に置いてあった小鉢に入ったいかにも『だし』だとわかる液体を指さした。

「なんだこれ?」 

 自分のした間違いを認めたくないかなめは白々しくそう言った。

「クエのアラで取っただしを入れないとおいしくないですよ!」

 ひよこはそう叫んで急いでクエのアラで取っただしを鍋に投入した。

 誠が隣の鍋をのぞき見ると、いつの間にか現れた嵯峨が、鍋に隣に置いてあった『クエのだし』を入れているところだった。

「正確な判断力に欠けて、感情に流される。西園寺の悪いところだな」 

 同じように嵯峨の行為を見ていたカウラはかなめに向けてそう言い放った。

「うるせえ!腹に入れば同じだ!」

 かなめが怒鳴る。カウラは呆れたような表情で黙り込んでいる。そしてアメリアは早速、かなめの鍋を見限って他の鍋への襲撃を考え始めているようだった。島田とサラは馬鹿なのであまりカウラの言葉が分かっていないような笑みを浮かべていた。ひよこは少し呆れたような笑みを浮かべてそのまま他のテーブルに向かっていった。

「まあ良いじゃないですか。ビール回ってますか」 

 誠がなだめるように顔を出した。

「割に気が利くじゃねえか……」

 誠の気遣いで少しばかり怒りを沈めたかなめが缶ビールを受け取った。


第197話 意外な現象と周りの反応


「私ももらおうか?」 

 カウラのその言葉。周りの空気が凍りついた。

 誠から見ても誰もが酒を手にするカウラを見るのが初めてだということは理解できた。

「おい、大丈夫なのか?」 

 さすがのかなめも尋ねる。

「正人……カウラちゃんがビールを飲むんだって」

 具の乱切り大根とシイタケ、水菜を鍋に投入しているサラはそう言って隣の島田の肩を叩く。

「まさかー。そんなわけないじゃないですか!ねえ。いつもの烏龍茶を運ばせますから」

 烏龍茶は会場に用意が無かったので、気を利かせて島田が部下に声をかけようとする。 

「いや、ビールをもらおう」 

 カウラのその言葉に島田の動きも止まった。

「カウラが酒を飲む?大丈夫か?お前。なんか悪いものでも喰ったのか?それとも……神前と何かあったのか?」 

 にらむ先、かなめの視線の先には誠がいた。誠は何もできずにただ愛想笑いを浮かべていた。

「僕は何もしてないですよ!」 

 そう言い返すほかに誠にできることは無かった。

「だろうな。テメエにそんな度胸は無いだろうし」

 かなめはそう言って缶ビールを空にして、次の缶に手を伸ばした。あっさりそう言われるのも誠は癪だったが、事実なので仕方なかった。カウラはと言えばこちらも別に気にするようでも無くビールを待っている。

「まあ飲めるんじゃないの?基礎代謝とかは私達『ラスト・バタリオン』はほぼ同じスペックで製造されているから」

 乾杯の音頭も聞かずに飲み始めているアメリアがそう言った。人造人間の規格がほぼ同じであろうことは誠も想像がついていたので、いつも月島屋でビールを飲んでいる程度の量はカウラも飲めるであろう。

「じゃあいいんですね」

 誠はそう言うと運ばれてくるビールのグラスに目を向けた。


第198話 手慣れたご発声で始まる宴会


「静粛に!では、隊長!ご発声を」

 ランの『空気を読んだ』その声に、周りのものが嵯峨のテーブルを見る。既に嵯峨は甲種焼酎のお湯割りにカボスの汁を垂らしたものを飲んでいるところだった。

「すまん。いつも言ってるけど、俺そう言うの苦手なんだわ。ラン頼むわ……お前さん『偉大』だし」 

 やる気がなさそうに嵯峨はランに丸投げした。

「じゃあ失礼して」 

 ランが周りに普通の声で挨拶する。その態度はいつも繰り返されていることのようで初めての誠にもあまりに自然に見えた。

「総員注目!」 

 ランが座椅子からかわいらしく立ち上がるのを見ると島田が大声で叫んだ。土鍋を前にしてじゃれ付いていた『特殊な部隊』の隊員達は居住まいを正してランに向き直る。

「実働部隊隊員諸君!今回の作戦の終了を成功として迎える事ができたのは、貴君等の奮闘努力の賜物であると感じ入っている!決して安易とは言えない状況下にあって、常に最善を尽くした諸君等の働きは特筆に価するものである!私は諸君等の奮闘に敬意を、そして驚愕の念を禁じえない!」 

「いつもの事ながら上手いねえ」 

 はきはきとした口調で隊員に訓示するランを、かなめは感心した調子で眺める。

「西園寺さん。普通これは隊長の台詞じゃないんですか?」 

 ニヤつきながらビールをあおるかなめに誠は小声でささやいた。慣れた島田の段取りから見ても、この部隊の最高実力者がランであることは明らかで、こういった席でも仕切るのは彼女なんだと誠にもわかった。

「今回の作戦では『那珂』内部の制圧作戦時に三名の負傷者が出たのが残念であったが。三人とも軽傷であったことは幸いであると言える。今後、予想されるさまざまな状況の変化に対応すべく諸君等は十分に……」 

「長えな」 

 鍋の水菜を食べながらぼそりと嵯峨が呟くのを見て、ランは手早く挨拶を切り上げる決意をした。

「実力を発揮して部隊の発展に寄与する事を期待する!では杯を掲げろ!」 

 誠、かなめ、カウラ、アメリア、サラ、島田が杯を掲げる。他のテーブルの面々もコップを掲げている。嵯峨もめんどくさそうにグラスを持ち上げる。

「乾杯!」 

『乾杯!』 

 全員がどっと沸いて酒をあおる。

 サラがテーブル全員のコップと乾杯をすると、さらに隣のテーブルに出かけていく。島田はタバコを吸いながらその後に続いた。

「乾杯!」

 サラは一人一人そばによっては乾杯をせがむ。

「元気だねえ……」

「隊長も!」

 猪口を軽く上げる嵯峨にサラはグラスを差し出して乾杯した。場は完全に宴会モード一色に染まった。


第199話 カウラの起こした『奇行』



「大丈夫か?ってカウラ!何してるんだ!」 

 コップを空にした誠が、かなめの声に気づいて、その視線の先を見た。

 カウラが一息でコップの中のビールを空けていた。誠、かなめ、アメリアはじっとその様子を観察している。

「慣れないビールなんて飲んだらすぐ潰れると思っていたが……大丈夫みたいだな」

 かなめはカウラの初めてとは思えない飲みっぷりに息をのみながらそうつぶやいた。

「舐めるな西園寺、別にどうと言う事はない。なるほど。これがビールか」 

 カウラには特に変化は見られなかった。ごく普通に座っている。

「もう煮えたんじゃないの?」 

 アメリアはそう言うと土鍋の中を箸でかき回してクエの身を捜す。

「お前は野菜を食え!」 

「かなめちゃんが食えば良いじゃない」 

「クエを入れたのはアタシだ」 

「釣ってきたのは『釣り部』じゃない!」 

「うるせえ!バーカ!」 

 かなめとアメリアはいろいろ言い合いながらも、土鍋をつつきまわしていた。

「じゃあ水菜を足しますね」 

 とりあえず二人の対立を何とかしようと誠は皿に乗った水菜の残りを足そうとする。

「神前、気が利くじゃないか?それと豆腐も入れろ!」 

「かなめちゃん、豆腐苦手じゃなかったの?」 

「馬鹿言うな!鍋の豆腐は絶品なんだ!っておい!」 

 かなめはカウラを指差して叫んだ。自分用に注いでいたラム酒をカウラが一息で空にした。エメラルドグリーンの髪の下。白い肌がみるみる赤くなっていく。そして彼女を中心としてしばらく奇妙な沈黙が流れる。

 誠にはしばらく時が止まったように感じられた。あたりを沈黙が占める。

「なるほろ。これがラム酒ろいうものなろか?」 

 そこにはろれつが回っていないカウラが出来上がった。アルコール度数40度のラム酒をグラス一杯開けたカウラがふらふらし始める。

「神前!支えろ!」 

 かなめがふらふらとし始めたカウラを見てすぐに叫んだ。誠はカウラの背中に手を当て支える。カウラは緩んだ顔をとろんとした緑の瞳で誠を見つめる。

「神前。貴様……気持ち良いのれ、ふらふらしちゃってますれす」 

 完全に出来上がっている。頬を赤く染めて、ぐるぐると頭を動かすカウラを見て誠は確信していた。

「大丈夫ですか、カウラさん」 

「大丈夫れすよ!大丈夫!おい!そこの悪のサイボーグ!これに何をれらのら!」 

「それはアタシのグラスだ!テメエが勝手に飲んだんだろうが!」 

「駄目よかなめちゃん。酔っ払いをいじめたら」 

 かなめは睨みつけ、アメリアはそれをなだめる。初めての状況だと言うのに二人は完全に立ち位置を決めていた。そして当然、誠は介抱役になった。 

「カウラさん!しっかりしてくださいよ!」 

「貴様!何を言うのら!ベルガー大尉と呼ぶのれす!」 

 そう言うとカウラは今度は急にしっかりとした足取りで立ち上がる。

「何!どうした……って!カウラ!西園寺!オメーだろ!こいつに飲ませたの!ひよこ!ひよこはどこだ!」 

 騒ぎを聞きつけたランがやってくる。そして呼ばれたひよこが空いた皿を手にランの後ろを急ぎ足で歩いてくる。

「姐御!アタシじゃねえよ!あの馬鹿が勝手に飲んだんです!それにひよこが必要なほどじゃないですよ!」

 ランのまん丸の鋭い眼光は、まるでかなめを信じてないと言う色に染まっていた。 

「こりゃーかなり出来上がってんな。まーひよこの力が必要なほどじゃねーな。神前、介抱しろ!これも新入りの仕事だ」

 ランはそう言うとそのまま軍医を探しに消えて行った。

 騒ぎを聞きつけた嵯峨がお湯割りの焼酎の入ったグラスを手に近づいてきて誠達を眺めた。 

「どんだけ飲んだんだ?ベルガーは」 

 呆れた調子で嵯峨がかなめにめんどくさそうに尋ねた。

「ラム酒をコップ一杯」

 かなめも策士で叔父である嵯峨に聞かれたら正直に答えるしかなかった。 

「まあ同じ量でアメリアが潰れたこともあったしな。それにしても情けねえ話だな」 

 嵯峨はそう言うと手にしていた焼酎の入ったグラスをあおいだ。こちらはまったく顔色が変わっていないのに誠は驚かされた。これで自分が先輩達のおもちゃにされることは回避されたことだけが、誠にとっての『救い』だった。


第200話 動揺するサイボーグ


「隊長にお願いしたい事がありますれす!」 

 カウラはそう言うと急に背筋を伸ばし敬礼した。かなめとアメリアはいかにも嫌そうな顔でカウラの動向を見る。

「何?聞きたくねえけど、仕方ねえから聞いてやるよ」 

 完全にどうでもいいという表情の嵯峨がそう尋ねた。

「わらくし!カウラ・ベルガー大尉はなやんれいるのれあります!」 

 嵯峨の表情がさらにうんざりしたものに変わり、そのまま右手の端で鍋からクエの身を取り出して酒をあおった。

「悩んでるんだ……へー……」

 薄情な嵯峨の言葉がカウラの言葉を翻訳する。

「何言い出すんだ!馬鹿!」 

 かなめが思わずカウラを止めようとするが、『駄目人間』とは言え人生の先輩の嵯峨はすばやくその機先を制する。

「そう。じゃあ隊長として聞かなければならねえな。続けていいよ」 

 話半分にシイタケをつまみに焼酎を飲みながら、嵯峨は話の先を促した。

「はいれす!わたひは!その!」 

 またカウラの足元がおぼつかなくなる。仕方なく支える誠。エメラルドグリーンの切れ長の目がとろんと誠を見つめている。

「何言いだすつもりだ?この酔っ払い!」 

 カウラから奪い取ったグラスにラム酒を注ぎながら、かなめはやけになって叫んだ。しかし、誠から離れたカウラの瞳がじっと自分を見つめている、自分の胸を見つめている事に気づくと、かなめはわざとその視線から逃れるように天井を見てだまって酒を口に含む。

「このドSサイボーグが神前をたぶらかそうとしれるのれあります!」 

 かなめはカウラの突然の言葉に思わず酒を噴出す。そんなかなめを見ながら、アメリアはカウラの言葉に同調してうなづく。

「たぶらかすだと!なんでアタシがそんな事しなきゃならねえんだ?まあ、こいつが勝手に、その、なんだ、あのだな、ええと……」 

「たぶらかしてるわね……支配して調教しているわね……銃で」

 いつの間にかこのテーブルにやってきていたライトブルーのショートカットのパーラ・ラビロフ中尉がそう言った。

「確かに俺達には命令口調ばかりの西園寺中尉が神前が相手となると口調が少し柔らかくなるからな……うらやましいというかなんと言うか」

 パーラの発言を聞いて鍋を見回ってきていた島田がそう言った。島田と一緒にやってきたサラも同意するように頷いている。

「テメエ等!なにふざけたこと抜かしてるんだ!無事に地面を踏めると思うなよ!この糞野郎!」

 顔を真っ赤にしてかなめは激高して反論する。 

「正人の言う通りよ」 

「やっぱりさっきの発言、取り消せませんか?西園寺中尉」 

 あっさりとパーラの言葉を受け止めたサラと、かなめの殺気を野生の勘で察して逃げ腰の島田がそこにいた。


第201話 人造人間の苦悩



「じゃあ聞くわ。ベルガー。この『女王様』とそこの馬鹿がくっつくとなんかお前さんにとって困る事があるの?」 

 ほとんど鍋の具を一人で食べきった嵯峨がそう尋ねた。

 そして、誠と同い年ぐらいに見える割には四十六歳らしい老獪ないやらしい笑みを浮かべた嵯峨はカウラを眺めた。誠は助けを呼ぼうと周りのテーブルを見回した。

 技術部の島田の兵隊達やアメリアの部下の運航部の面々は、完全にこの『特殊』な状況を面白がるというように無視を続けていた。

 軍医を探しに行っていたはずのランですら、嵯峨の居た上座の鍋を占拠して誠達を一瞥することもなく箸を鍋に突っ込んでいた。

「それはれすね!西園寺のような『女王様』に苛められると、神前がMにめざめるのれす! そうするとアメリアがその様子を盗撮してネットにながすのれす!困るひとはわたしなのれす!」 

「神前がMに目覚める?そいつはまずいなあ……ねえ、『偉大なる中佐殿』」 

 意味不明なカウラの言葉に嵯峨はそう言って話題をランに振った。

「違法じゃなきゃいーんじゃねーか?まーそう言う趣味の人もいるみてーだし。他人に迷惑かけなきゃそれもアリなんじゃねーか」 

「ちっちゃいのに何てこというんですか!」

 今のところはMに目覚めたくない誠はやる気のないランの言葉にそう叫んで反論した。

「なるほどねえ……かなめちゃんが、誠ちゃんに餌をやったり芸を仕込んだりするところを撮影してネットにあげれば……結構儲かるかも」 

 アメリアは糸目をさらに細くして満足げな笑みを浮かべる。

『誰か止めて!』 

 しかし誰も止めるつもりは無い。それでもまだカウラの演説は続く。

「わたしは!見過ごせないのれす!神前がタレ目女王様として覚醒を迎えるのを見過ごせないのれす!ですから隊長!」 

 急にカウラは直立不動の姿勢をとる。

 その時嵯峨は〆のうどん玉を鍋に投入している最中だった。また自分に話題がやってきたことに驚きつつ、嵯峨は仕方なく作業を中断する。

「だからなに?」 

 さすがに飽きてきたのか、嵯峨の口調は投げやりだった。

「こういう状況で何をするべきか、それをおしえれいららきたいのれす!誠!わらしはなにをしたらいいのら!」 

「ベルガーが何をしたらいいのかねえ……って神前支えろ!」

 嵯峨の言葉を聞いて誠はまた仰向けにひっくり返りそうになったカウラを支えた。その誠の頭をぽかぽかとカウラは柔らかいこぶしで殴る。パーラ、サラ、島田の三人は呆れるものの、次のカウラの絡み酒の標的になる事を恐れて退散するタイミングを計っている。

 一方、アメリアは誠がぶっ壊れて意味不明なことを言い出さないので苛立っているように見えた。 

「そりゃあ、愛って奴じゃねーの?」 

 ボソッとランがつぶやいた。

 その場にいた誰もがランの顔を見る。

 ランは自分でもつまらない事を言ったなあと言う表情を作る。隣でクエの身を頬張っていた軍医は彼女にかかわるまいと他人の振りをする。そして、また直立不動の姿でかかとを鳴らして敬礼したカウラに全員の視線が集中した。

「サラ!サラ・グリファン少尉!」 

「ハイ!大尉殿!」 

 その場にいた誰もがカウラに絡まれることが決定したサラに哀れみの視線を投げた。特に島田は彼女を助けに行けない自分の非才を嘆いているような顔をした。

「愛とはなんなろれす?サラ。おしえれもらうしか、ないのれす?」 

「教えろったって……ねえ……ひよこちゃんに聞けばいいんじゃない……あの子のポエムの題材とかに有りそうだし」

 サラの表情は明らかに危険を感じており、すぐにでも逃げだしたいように見えた。ただ、誠は彼女と島田の日常を知っていたので、二人の意見が全く参考にならないということを知っていたので力を込めて立ち上がった。

「カウラさん休みましょう!さあこっちに来て」 

 誠はサラに絡もうとするカウラを両腕で抱え込んだ。

「もっとするのら!もっとするのら!」 

 次第にアルコールのめぐりが良くなったようで、全身の関節をしならせながらカウラが叫んだ。

「こりゃ駄目だ。神前、ベルガーを部屋まで送ってやんなよ」 

 クエのだしの効いた鍋でうどんを茹でながら嵯峨がそう言った。

「神前が変な気起こすと面倒だからな……アタシが運ぼうか?」

 そう言いながらかなめが自分を見る瞳に殺意がこもっていることを誠は理解していた。

「そうよね私も手伝うわ。それとそこの林軍曹!福島伍長!」 

 巻き込まれたアメリアがゆっくりと動き出す。島田の兵隊では体格がいい林と福島は素早くカウラのそばに立った。

「クラウゼ少佐……本当に自分達でよろしいんでしょうか?」

 二人の目がカウラの細身の躰を舐めまわすように見ているのに気が付いた誠は、この二人を指名したことがアメリアのカウラへの嫌がらせであることをなんとなく察した。

 二人は誠の両脇に走り寄って自分の『女神』であるカウラに手を伸ばそうとする。

「林!福島!目が邪悪すぎる!神前!オメーは体力あんだから一人でなんとかしろ!」 

 隊を知り尽くす『偉大なる中佐殿』であるランの一言に二人はひるんで立ち尽くした。

「そうなのら!タレ目とつまらない奴はひっこんれるのな!神前!いくろな!」 

 そう言うと壊れたようにカウラは笑い始める。
 
 誠は彼女を背負って、そのまま宴会場であるハンガーを後にした。


第202話 嘘をつくカウラ、気遣う誠


 誰も居ない通路、よろけながら歩くカウラを支えつつ、誠はエレベータホールにたどり着いた。

「大丈夫ですか?カウラさん」 

「ああ、大丈夫だ」 

 カウラがうって変わった静かな口調で話し出した。その変化に誠は戸惑う。

「半年前はアメリアがあのような醜態をさらす事が多くてな。それを真似ただけだ」 

「じゃあ酒は飲んでなかったのですか?」 

 あっけに取られて誠が叫んだ。

「飲んだ事は飲んだが、この程度で理性が飛ぶほどヤワじゃない。来たぞ、エレベータ」 

 カウラを背負ったまま誠はエレベータに乗り込む。

「それじゃあ何であんな芝居を?」 

 そうたずねる誠だが、カウラは黙って答えようとはしなかった。

 二人だけの空間。時がゆっくりと流れる。僅かなカウラの胸のふくらみが誠の背中にも分かった。

「何でだろうな。私にも分からん。ただ西園寺やアメリアを見るお前を見ていたらあんな芝居をしてみたくなった……それも酒のせいかな」 

 すねたような調子でカウラがそう言った。エレベータは居住区に到着する。

「しばらく休ませてくれ。やはり酔いが回ってきた」 

 やはりそれほど酒の強くない人造人間のカウラはエレベータの隣のソファーを指差して言った。

「そうですね」 

 誠はそう言うとカウラをソファーに座らせた。

 静かだった。この艦の運行はすべて遼州星系では普通の『アナログ式量子コンピュータ』のシステムで稼動している。作戦中で無ければすべての運行は人の手の介在無しで可能だった。誰一人いない廊下。運行関係者で業務上飲酒ができない人間は自室で『釣り』ゲームに興じていることだろう。彼等はみな『釣りマニア』なのだから。

「悪いな。私につき合わせてしまって。これで好きなのを飲んでくれ」 

 カウラはそう言うと誠にカードを渡す。誠はソファーの隣の自販機の前に立った。

「カウラさんはスポーツ飲料か何かでいいですか?」 

「任せる」 

 そう言うとカウラは大きく肩で息をした。強がっていても、明らかに飲みすぎているのは誠でもわかった。誠は休憩所のジュースの自販機にカードを入れた。

「怒らないんだな。嘘をついたのに……それとも西園寺の下僕の地位が気に入ったのか?」 

 スポーツ飲料のボタンを押し、缶を機械から取り出す誠を眺めながらカウラが言った。

「別に怒る理由も無いですから。それと下僕にはなりたくないです。僕は『甲武国』の国民でも無いですし、一応市民なんで」 

 そう言うと誠は缶をカウラに手渡す。

「本当にそうなのか?お前のための宴会だ。それに西園寺やアメリアもお前がいないと寂しいだろう」

 コーヒーの缶を取り出している誠に、カウラはそう言った。振り返ったその先の緑の瞳には、困ったような、悲しいような、感情と言うものにどう接したらいいのかわからないと言う気持ちが映っているように誠には見えた。

「カウラさんも放っておけないですから」 

「そうか、私は『放っておけない』か……」 

 カウラは誠の言葉を繰り返すと静かに缶に口をつけた。カウラの肩が揺れる。アルコールは確実にまわっている。だが誠の前では毅然として見せようとしているのが感じられる。その姿が本当なのか、先程の自分で演技と言った壊れたカウラが本物なのか、誠は図りかねていた。

「やはり、どうも気分が良くない。誠、肩を貸してくれ」 

 飲み終わった缶を誠に手渡しながら、カウラは誠にそう言った。

「わかりました、大丈夫ですか?」 

「大丈夫だ」 

 そうは言うもののかなり足元はおぼつかない。誠はカウラに肩を貸すとゆっくりと廊下をカウラの部屋に向かい歩く。

 静まり返った廊下。二人の他に人の気配はまるで無い。上級士官用の個室。そこに着くとカウラはキーを開けた。

「本当に大丈夫ですか?」 

「すまない。ベッドまで連れて行ってくれ」 

 カウラは何時もは白く透き通る肌を赤く染めながら誠にそう頼んだ。やはりカウラの部屋は士官用だけあり誠のそれより一回り大きい。室内にはパチンコの機械が並び、誠の部屋よりは大きいはずなのにどこかしら狭く感じた。

「とりあえずここでいい少し疲れた。もう大丈夫だから帰って良いぞ。西園寺が暴走すると厄介だ」 

 そう言うとカウラはそのまま横になった。誠は静かに立ち上がり、ドアのところで立ち止まる。

「お休みなさい」 

「ああ」 

 カウラは優しく返す。誠はそのまま部屋を出た。廊下が妙に薄暗く感じる。エレベータが上がってきていたが、構わずハンガーに向かうボタンを押した。


第203話 いらぬ詮索をする外野達



 エレベータが開くとそこにはかなめ、アメリア、サラ、島田、そしてランとひよこが乗っていた。

「あのー。何してるんですか?」 

 少しばかり呆れて誠は口走っていた。

「アタシは……その、なんだ、何と言ったらいいか……オメエが変な気を起こさないかどうか確認しにきたんだ」 

 かなめは照れるようにうつむいて言葉を搾り出す。

「そう言う展開はアタシ達は遼州人である以上、『人口爆発阻止』の観点に基づいて指導しなきゃね」 

 アメリアそう言うとかなめがその顔を睨みつける。サラと島田はなぜか二人して原材料不明のジャーキーを食べながら缶ビールを飲んでいる。

「カウラさんが僕と二人っきりになるために芝居をしてたって知ってたんですね!何を期待してるんですか!あんた等!」

 誠は叫びたかった。『僕にもプライバシーがあるんです!』と。しかし、平和な世界に慣れた遼州人は意地でも『愛』の現場に乱入しなくては気が済まない習性があるので、誠も同じ状況なら現場に踏み込んでいただろうと思って、その言葉を静かに飲み込んだ。

「愛を語るにはテメーは未熟!まー『人類最強』のアタシを倒せたら、そん時は考えてやる」 

 さらりとランはそう言って良い顔をして笑った。ひよこはおろおろしながら周りを見回していた。

「そう言えばカウラも何を考えているのかしら……ひよこちゃんの見た感じどう?」

「ベルガー大尉は純粋な人ですから……ちょっと妬けちゃいます」 

 サラとひよこまで誠とカウラの関係を疑ってくる。

「それにしても、アイツがねえ……初恋って奴か?」

 そう言うとかなめはラム酒瓶をラッパ飲みする。

「初恋!素敵な言葉ですね!カウラさんの心境をポエムにして良いですか?」

 ひよこはそう言って柔らかな笑みを浮かべた。

「そんな……カウラさんはただの気まぐれだったと言ってましたよ」 

 かなめ達の闖入にようやく落ち着いたかなめに誠は尋ねる。

「気まぐれねえ……どうだか。アタシには関係ないね」

 かなめは誠を突き放すようにそう言うとグラスのラムを口に含む。 

「かなめちゃん。それはどの口が言うのかしら?アタシや中佐を殆ど拉致みたいにして引っ張ってきたじゃない」

 アメリアは冷やかすような調子でかなめの耳にささやいた。 

「アメリア!外に出て真空遊泳でもして来い!もちろん生身でな!」 

「助けて!誠ちゃん!」 

 機会があるとまとわりついてくると言うアメリアのネタも読めてきたが、一応上官であると言うところから黙って誠はアメリアに彼女に抱きつかれた。

「今度はアメリアが相手か?良かったな。神前。オメエこれで本当に童貞喪失ができそうだ」

 素っ気ない口調の割にかなめの顔は怒りにこわばっていた。

「でもなあ、神前」 

 先ほどの鋭いボディーブローのことは忘れたというように島田が心配そうにつぶやいた。

「一応、俺の部下ってことになってる技術部の士官に情報通がいてな、そいつがオメエとベルガー大尉が変なことをしたというような画像をでっちあげて、ベルガー大尉のファンに配って回るという事態は想定できてるよな?」 

 島田はまた妙なことを言い始めた。

「そんな!盗撮なんて!」

 誠は半分泣き声でそう叫んだ。

「それ、ありそうね。私もそれもらおうかしら。いいネタになるかもしれないし」

 にやにや笑いながらアメリアが誠の弱みに付け込んでくる。 

「安心しろ。アイツには『前科』が有るからな。そんなことをしたらアタシの『殺人機能付き文化財』で斬首するって言ってある」 

 にこやかに、そしてかわいらしくつぶやかれたランの言葉が何となく恐ろしく感じて全員がその士官のこれから起きるだろう不幸を哀れんでいた。



第204話 いたずらとそれに対する罰則


「カウラは大丈夫だった?」 

 ハンガーのある階で止まったエレベータが開くと、心配そうな顔をしたパーラが待ち構えていた。

「ああ、アイツはそう簡単にくたばらねえよ。それより、パーラ。まだクエはあるか?」 

 そう言いながら、一向に誠から離れようとしないアメリアをかなめが引き剥がした。

「クラウゼ大尉。よろしいですか?」 

 いつもの二十歳に満たないような感じの技術部員である西が日本酒の瓶を持ってアメリアに話しかける。

「なあに?お姉さんに質問か何か?」 

 上機嫌でアメリアが答える。若手技術部員とかなめと島田がアイコンタクトをしている事実に気づいて、誠は何が企まれているか分かった。

「今回も見事な操艦ですね。背後を取られても全く動じない。司法局実働部隊の誇りですよ」 

「褒めたって何にもでないわよ。第一、ここに作戦目的を達成した本人がいるのに」 

 誠を指さしたアメリアは空いたコップを若手技術部員に突き出した。若手技術部員はランが選んだらしい高そうな日本酒を注ぐ。

「そんなに飲めないわよ!」 

 そうアメリアが言うのを聞きながらも、わざとらしくコップに8分ほど日本酒を注いだ。

「おい、何してんだ?」 

 わざとらしく島田が近づいてくる。上官である彼に若手技術部員が直立不動の姿勢で敬礼する。

「なるほど、上司にお酌とは気が利いてるじゃないか。じゃあ一本行きますか!総員注目!」

 島田が大声を上げる 彼の部下である技術部整備班員が大多数を占める宴会場が一気に盛り上がる。

「なんとここで、今回の功労者クラウゼ少佐殿が『一気』を披露したいと仰っておられる!手拍子にて、この場を盛り上げるべく見届けるのが隊の伝統である!では!」 

 アメリアが目を点にして島田を見つめる。してやったりと言うように島田が笑っている。さらにアメリアはサラ、パーラ、そしてかなめを見渡す。

『嵌められた』 

 ここで初めてアメリアは自分の陥った窮地を理解したような表情を見せた。全員の視線がアメリアに注ぐ。引けないことに気づいたアメリアが自棄になって叫ぶ。

「運航部長!アメリア・クラウゼ!日本酒一気!行きます!」 

 どっと沸くギャラリー。島田の口三味線に合わせてアメリアは一気に日本酒を腹に流し込む。

「おい!今回はオメエがんばったよ。アタシからの礼だ。受け取れ」 

 そう言うと今度はかなめがアメリアの空けたばかりのコップに、若手技術部員から奪い取った日本酒を注いだ。もう流れに任せるしかない。そう観念したように注がれていくコップの中の日本酒をアメリアは呪いながら眺めていた。

 その様子をひよこは楽しそうに眺めつつビールを飲んでいた。

「オメー等!クラウゼを殺す気か!」

 最初は和やかな雰囲気だと見過ごしていたランも、かなめ達のたくらみに気づいてそう叫んだ。

 島田、かなめ、サラ、パーラはさすがに身の危険を感じたのか人影にまぎれて逃げ出した。

「大丈夫ですか、アメリアさん」 

 180センチを超える長身が売りのアメリアもさすがにふらついていたので、誠が声をかけた。

「だいじょうふ、だいじょうぶなのら!」 

「大丈夫って……そうは見えないんですけど」

 誠はついそうつぶやいていた。今度は本物の酔っ払いである。いつもなら白いはずの肌が真っ赤に染まっている。呂律の回らなさは、典型的な酔っ払いのそれと思えた。

「まことたん!まことたんね。あたしはね!」 

 アメリアはネクタイを緩めた。

「苦しいんですか?」 

「ちがうのら!ぬぐのら!誠ちゃんにアタシの美しいボディを見せるのら!」 

「いきなり脱ぐんですか!」

 驚きのあまり誠は叫んでいた。ネクタイを投げ飛ばしさらに襟のボタンまで取ろうとしているので、思わず誠は手を出して止めた。

「知らねえよ……俺は」

 各鍋を回って〆のうどんを肴に焼酎を飲んでいた嵯峨がこの光景を見てひとりごとを言った。

 そんな中、修羅の形相のランは人垣に隠れようとした島田を見つけて、周りの整備員に合図を送った。

 隊の尊敬を唯一集めている幼女の威光には勝てず、島田はあっという間に取り押さえられた。続いてサラ、パーラが捕まって引き出されてくる。三人を見て事態を悟った実行犯の若手技術部員だが、これも瞬時に捕まりランの前に突き出された。

 悪知恵の働きそうなかなめはすでに姿を消していたようで、技術部員や運航部の女子も彼女の捜索のためにハンガーを出て行った。

「西園寺の馬鹿は後で『処刑』すっか」 

 あっさりそう言うとランは引き立てられてきた四人を見下ろして、誠がこれまで見た事が無いような恐ろしい表情を浮かべていた。

「よっぱらったのら!」 

 アメリアが手足をばたばたさせて叫ぶ。ランは竹刀を技術部員から受け取って、アメリアのほうを向いた。

「オメーはしゃべんな。それ以上酔っぱらったら面倒だから」 

「そうれはかないのれす!わらしは酒のちかられ!」 

 そう言うとアメリアは誠に抱きついてきた。

「なにすんだこの馬鹿は!」 

 天井からかなめが降ってきて、アメリアを誠から振り解こうとする。しかし、運悪くそこにランの振り下ろした竹刀があった。

「痛てえ!姐御、酷いじゃねえか!」 

「主犯が何言ってんだ!隊長。こいつ等どうします?」 

 ランは冷酷にかなめに竹刀を突きつけて、後ろで騒動を眺めていた嵯峨に尋ねた。

「俺に聞くなよ。まあ一週間便所掃除でいいんじゃないの?」 

 うどんを食べつくした嵯峨はそう言うと何時ものようにタバコを吸い始めていた。

「じゃあそう言う訳で。神前はアメリアを送って……」 

「姐御!そんなことしたらこいつがどうなるか!」 

 かなめが叫んだのはアメリアが誠に抱きつくどころか手足を絡めて、そのまま押し倒そうとしていたのを見つけたからだ。

「サラ、パーラ。オメー等はクラウゼの監視を頼むわ。便所掃除は免除してやっから。それと念のためひよこも付ける……運用艦の艦長が急性アルコール中毒で倒れたなんてなったら『特殊馬鹿』の汚名返上の機会がパーだ」 

 サラとパーラは技術部員から解放されてほっと一息ついていた。いつの間にか割烹着を脱いで制服姿に戻っていたひよこがその後ろについていく。

 ランのめんどくさそうな叫びで宴は終わった。誠は二人の手でアメリアから引き剥がされてようやく一息ついた。

「大変だったねえ」 

 嵯峨がどこから持ってきたのかわからないサイダーを誠に渡してきた。

「まあ、そうですかね」 

 技術部員の痛い視線を浴びながら、誠は大きく肩で息をした。

「まあ、いつもこんなもんだよ。うちは」 

 誠の肩を叩いた後、嵯峨は去っていく。誠はいかに自分が『特殊』な環境に根付いてしまったのかを考えながらサイダーを一気に飲み干そうとし咽た。



第四十五章 再開する日常


第205話 『変革』後の休日を終えて



 見慣れた菱川重工豊川工場。その連絡道路をこの工場としては珍しい大仕事である大型掘削機の鉱山用ドリルを積んだ大型トレーラーが、轟音を立てながら走る。誠はその後ろにくっ付いてスクーターで走る。

 昨日までは東和帰還後の休暇だった。誠にとっては初めての一週間の長期休暇が終わって、いつものように司法局実働部隊の通用口に到着すると、そこでは警備の担当の技術部員が直立不動の姿勢でパーラの説教を受けていた。この『特殊な部隊』の警備任務中である。きっと花札でもしてサボっていたのだろうと想像しながら誠はそのゲートを通り抜けようとした。

「おはようございます!」 

 誠の挨拶にパーラが待ち焦がれたというような笑顔で振り向く。サボっていたらしい警備担当者はようやくこの部隊ではレアな真面目で責任感のある隊員であるパーラから解放されて一息ついていた。

「昇進ですか?」

 大尉の階級章をつけた司法局実働部隊の制服姿のパーラに誠が声を掛けた。 

「……ああ。そんなところだけど……でも神前君は……」

 しかし、誠に出会った時の笑顔はすぐに消えたパーラはあいまいな返事をしてその場から逃げるようなそぶりをしていた。

 普段ならこんな事をする人じゃない。パーラはこの部隊の隊員の中では数少ない気遣いのできる女性である。誠はパーラの態度を不自然に思いながら無言の彼女に頭を下げてそのまま開いたゲートをくぐった。

 『特殊な部隊』らしく暇ができると小遣いを稼ぐために全員で栽培しているグラウンドの脇に広がるトウモロコシ畑はもう既に取入れを終えていた。その売り上げの大半をピンハネしている島田が部下を動員して休みの間にやったのだろう。

 誠はその間を抜け、本部に向かって走った。そして駐輪場に並んだ安物のスクーター群の中に自分のを止めた。なぜかつなぎ姿の島田が眼の下にクマを作りながら歩いてくる。

「おはようさん!徹夜も三日目になると逆に気持ちいいのな」 

 そう言うと島田は誠のスクーターをじろじろと覗き込む。

「大変ですね」 

「誰のせいだと思ってるんだ?上腕部、腰部のアクチュエーター潰しやがって。もう少しスマートな操縦できんのか?」 

 どうやらトウモロコシの取り入れをしたのは島田達では無いらしい。島田達整備班が珍しく真面目に仕事をしていたところから考えて今回のピンハネの主役がアメリアで、運航部の女性陣が取り入れを行ったらしいことを誠は察した。

 疲れた表情に無理して笑顔を浮かべながら島田がわざとらしく階級章をなで始める。 

「それって准尉の階級章じゃないですか?ご出世おめでとうございます!」

 以前までの曹長のラインの入っていない階級章に替わり、そこには赤いラインの入った准尉の階級章が輝いていた。 

「まあな。それより早く詰め所に行かんでいいのか?西園寺さんにどやされるぞ……『新米の分際で長期休暇の後に遅刻しやがって!』とか言って」 

 恐ろしいすべてを銃で解決するかなめの名前を聞いて、誠はあわただしく走り始めた。

「おはようございます!」

 気分が乗ってきた誠は技術部員がハンガーの前で島田と同じように疲れた表情を浮かべながら徹夜明けの気分転換にキャッチボールをしているのに声をかけた。技術部員達は誠の顔を見ると一斉に目を反らした。

 何か変だ。

 誠がそう気づいたのは、誠から目を逸らした彼等が誠を見るなり同情するような顔で、お互いささやきあっているからだった。しかし、そんな事は誠にはどうでもよかった。長期休暇の間、部屋に籠って買い込んだ戦車のプラモを作ることに熱中して十分に英気を養っていた誠は元気よく一気に格納庫の扉を潜り抜け、事務所に向かう階段を駆け上がり管理部の前に出る。

 そこでは予想していた今回の事件『近藤事件』の間、部隊で留守番をしていたカウラのファンの『ヒンヌー教徒』菰田邦弘の怒鳴り声を聞く代わりにかなめとアメリアが雑談をしているのが見えた。アメリアの勤務服が特命少佐のそれであり、かなめが大尉の階級章をつけているのがすぐに分かった。

「おはようございます!」 

 元気に明るく。

 そう心がけて誠は二人に挨拶する。

「よう、神前って……その顔はまだ見てないのか、アレを」 

「駄目よかなめちゃん!その話は禁句だって隊長から言われてるでしょ!」 

 そう言うとアメリアはかなめに耳打ちする。

「西園寺さんは大尉ですか。おめでとうございます!」 

「まあな。アタシの場合は降格が取り消しになっただけだけどな」 

 不機嫌にそう言うとかなめはタバコを取り出して、喫煙所のほうに向かった。

「そうだ、誠ちゃん。隊長が用があるから隊長室まで来いって」 

 アメリアもいつもと違う少しギクシャクした調子でとそう言うと足早にその場を去る。周りを見回すと、ガラス張りの管理部の経理班の班長席でニヤニヤ笑っている嫌味な顔をした菰田主計曹長と目が合った。何も分からないまま誠は誰も居ない廊下を更衣室へと向かった。

 実働部隊詰め所の先に人垣があるが、誠は無視して通り過ぎようとした。


第206話 奇妙な現象とその原因


「あ!神前君だ!」 

 肉球グローブをしたサラが手を振っているが、すぐに島田の部下の技術部員達に引きずられて詰め所の中に消える。他の隊員達はそれぞれささやき合いながら誠の方を見ていた。気になるところだが誠は隊長に呼ばれているとあって焦りながらロッカールームに駆け込む。

 誰も居ないロッカールーム。いつものようにまだ階級章のついていない尉官と下士官で共通の勤務服に袖を通す。まだ辞令を受け取っていないので、誠の制服には階級章が無かった。

「今回の件で出世した人多いなあ。それだけのことを僕達はやったんだ。凄い話だ」 

 誠が独り言を言いながらネクタイを締めて廊下に出た。先程の掲示板の前の人だかりは消え、静かな雰囲気の中、誠は隊長室をノックした。

「開いてるぞ」 

 間抜けな嵯峨の声が響いたのを聞くと、誠はそのまま隊長室に入った。

「おう、すまんな。何処でもいいから座れや」 

 机の上の片づけをしている嵯峨。ソファーの上に置かれた寝袋をどけると誠はそのまま座った。

「やっぱ整理整頓は重要だねえ。俺はまるっきり駄目でさ、ときどき娘が来てやってくれるんだけど、それでもまあいつの間にかこんなに散らかっちまって」
 
 愚痴りながら嵯峨は書類を束ねて紐でまとめていた。

「そう言えば今度、同盟機構で法術捜査班が設立されるらしいですね」 

 多少は組織の常識が分かってきた誠は何気なく嵯峨にそう言って見せた。

「ああ、俺の娘も俺と同じ『法術師』ってことがばれてたから上級捜査官にしようって話があんだ。ここだけの話だが、娘から相談受けててね。本人は結構乗り気みたいだからできるだろうが……まあこれまでは『法術』って力はみんなで寄ってたかって『無かった』ことになっていた力だ。そうそう簡単に軌道に乗るとは思えないがな。まあ父親としてはフリーの弁護士よりは安定したお仕事につくんだ。歓迎してやらなきゃね」 

 目の前のどう見ても若すぎる『不老不死の駄目人間』、司法局実働部隊隊長嵯峨惟基には娘がいる話は聞いていた。

 今回の事件。『近藤事件』と名づけられた甲武国のクーデター未遂事件に対する司法局実働部隊の急襲作戦により、法術と言うこれまで存在しない事にされてきた力が表ざたにされた。

 遼州同盟は加盟国国民や地球などの他勢力の不安感払拭のために、司法局直下の『警察特殊部隊』である特務公安隊の拡充を発表した。矢継ぎ早に法術犯罪専門の特殊司法機関機動部隊の発足を決めたニュースは、すぐに話題となった。そしてその筆頭捜査官に嵯峨茜と言うどう見ても『駄目人間』の身内の名前が挙がっていることは誠も知っていた。

「それにしてもよくここまで汚しますねえ」 

 誠がそう言いたくなったのはソファーの上の埃が手にまとわりつくのが分かったからだ。

「ああ、そう言えばすっかり辞令の事忘れてたな。今渡すよ」 

 そう言うと嵯峨は埃にまみれた一枚の書類を取り出した。誠は立ち上がって、じっと辞令の内容が読み上げられるのを待った。

「神前誠曹長は司法局実働部隊での勤務を命ず」 

 嵯峨はそう言った。

『曹長?』 

 誠は聞きなれないその言葉に、体の力が抜けていくのを感じた。

「あの、もう一度いいですか?」 

 誠は確かめるために嵯峨に頼む。

「ああ何度でも言うよ。神前誠曹長」 

『曹長』と聞こえる。

「あのソウチョウですか?」 

「まあそれ以外の読み方は俺も知らないが」 

 そう言うと嵯峨はにんまりと笑う。 

「廊下に今回の事件での昇進者とお前さんの配属のお知らせが張り出してあったろ?掲示板見ていなかったのか?」 

 そこで通用門から続いていた微妙な視線の意味が分かった。

「確かにお前さんはパイロット幹部候補で入った訳だけど、一応適性とか配属部隊で見るわけよ。それを勘案しての話だ。まあ、お前さんには似合うんじゃないの?鬼の下士官殿」 

 ガタガタとドアのあたりで音がするのも誠には聞こえない。聞こえないと思い込みたかった。

「でもまあ曹長は便利だぞ。まず今住んでる下士官寮の激安な家賃。さらに朝食、夕食付き。士官になるとそこ出て下宿探さにゃならんからな」 

「でも何人か将校の男子もいますよ?」

 誠は休暇の間にもいつもは任務で関わり合いになることが少ない情報系の男性大尉や技術系の専門職の士官達とすれ違って彼等が下士官寮にいることを不思議に思っていた。 

「ああ、それぞれ事情があんじゃないの?あそこの全権は寮長の島田にあずけてあるから。あいつと『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐の指導の下、人権を全面的にはく奪して立派な『漢』になるまで出さねえって方針でやってるみたいだよ、あそこ」 

 誠は足元が覚束なくなってきているのを感じた。幹部候補で入った同期は例外なく少尉で任官を済ませている。しかし誠は候補生資格を剥奪されての曹長待遇。ただ頭の中が白くなった。

「ああ、確かに階級は曹長になるけど今回の実戦で法術兵器適応Sランクの判定が出たから給料は逆に上がるんじゃないかな」 

 そう言うと嵯峨は掃除の続きを始める。

「でも原因は?なんで尉官任官ができないなんて……」 

「本当に心当たりないか?」 

 嵯峨が困ったような顔をして誠を睨む。思いつくところが無く天を仰いでした誠に嵯峨はため息をついた。

「お前……なにかっつうと吐くじゃん。あれ、問題なのよ、将校としては。他の将校の方々が一緒にされると迷惑なんだって。俺はプライドゼロの男だからどうでもいいんだけどね……それと何度か逃げようとしたじゃん。それもマイナス要因……でも士官は残業手当出ねえからな……逆にうらやましいくらいだよ。今回の出撃でも士官は出ない『危険手当』が付く。今月振り込まれる給料が楽しみだろ?」 

  嵯峨はそう言うと本当にいい笑顔を誠に向けた。


第207話 最高功労者の降格



 ゴトリとドアの向こうから音がした。

 嵯峨は誠にしゃべらないよう手で合図するとドアを開く。

 かなめ、カウラ、アメリア、パーラ、サラ、そして島田がばたばたと部屋の中に倒れこむ。

「盗み聞きとは感心しないねえ」 

 六人を見下ろして嵯峨が嘆く。

「叔父貴。そりゃねえだろ?神前の下の世話はアタシがやるから!飼い主の責任は果たすから!せめて准尉扱いぐらいにしてくれよ!こいつ」 

 かなめは泣きつくように嵯峨にそう訴えた。どうやら誠はかなめの頭の中ではこれからもかなめに飼育されることは決定しているようだった。

「そうなんだ。じゃあ今回の降格取り消しの再考を上申するか?上申書の用紙ならあるぞ?たぶん握りつぶされるだろうけどね……俺達上に信用ねえから」

「そうじゃねえ!アタシは今回の事件の一番の功労者が降格処分ってのが納得いかねえんだ!」 

「無駄だ、西園寺。上層部の決定はそう簡単には覆らない。それに給料は少尉より多く貰えるようになる。良いことじゃないか」

 立ち上がって埃をはたきながらカウラはそう言った。 

「カウラちゃん薄情ねえ。もう少しかばってあげないと……カウラちゃんが望んでる貴方の好きなパチンコでいう所の激熱リーチはかからないわよ」 

 アメリアが立ち上がって糸目でかなめをにらみつけた。複雑な表情の彼らの中で、島田だけは顔に『よくわかんねえ』と書いてある。

「まあいいや、神前軍曹!これからもよろしく」 

「西園寺さん、曹長なんですが……」 

「バーカ。知ってていってるんだ!」 

 かなめがニヤリと笑った。

「それよりアメリア。いいのか?今からここを出ないと艦長研修の講座に間に合わないんじゃないのか?」 

 嵯峨が頭を掻きながら言った。

「大丈夫ですよ、隊長。ちゃんと東和宇宙軍本部からの通達がありました。今日の研修は講師の都合でお休みです」

「なんだよ。今回の出動のご苦労さん会に来るのかよ……せっかく一人分部屋が広くなると思ったのによ」 

 愚痴るかなめをアメリアは満面の笑みで見つめている。

「かなめちゃんなんか文句あるの?」 

 馬鹿騒ぎの好きなかなめの言葉にアメリアが釘を刺す。

「別に」 

 かなめが頬を膨らましている。

 誠は彼等が相変わらず『特殊な部隊』の愛すべき馬鹿であることを再認識して少し優しい気分になった。


第208話 愛称『ダグフェロン』


「でだ、話を変えると実は05式特戦の愛称が決まったんだわ。必要あんのか知らないけど上が愛称をつけろってうるさくてね」

 突然話題を変えた嵯峨に全員が丸い目を向けた。

「なんだ?愛称って」

 かなめは明らかにやる気が無いようにそう尋ねた。

「あってもいいだろうな。現東和軍主力シュツルム・パンツァーにも『ストロングファイター』と言う愛称がある。その方が親しみが持てる。軍も民間人に好感を持たれようと必死なんだ。察しろ」

 カウラは頷きつつ嵯峨の言葉に耳を貸した。

「02式のはなんだかつまらない名前だけど、05式のは……面白い奴だといいわよね」

 アメリアと言えば、とりあえずギャグになるかと言うことばかり考えているようだった。

「僕のせいで法術使用を前提とした名前とかつきそうですね。呼びにくい名前や長い名前は嫌ですけど」

 誠はおずおずとそう言った。誠が遼州人にしかない能力である『法術』を使用してしまったために遼州同盟の『特殊な部隊』の使用シュツルム・パンツァーに変な名前がついてしまうことに少し気後れしているのは事実だった。

「まあな。あんな化け物みたいな力を出したってんで、前々から決まってた名称の正式決定が出たのは事実だから」

 嵯峨はそう言うといかがわしい雑誌の下から長めの和紙を取り出す。

「じゃーん」

 相変わらず『駄目人間』らしいやる気のない言葉の後に嵯峨はその和紙に書かれたカタカナを見せびらかした。

『ダグフェロン?』

 全員が合わせたようにそう叫んだ。

「『ダグ』は古代リャオ語で『始まり』の意味。『フェ』は……ようするに日本語の『の』って感じの意味。そして『ロン』は『鎧』って意味なんだ。この遼州星系にやってきたと言う神が乗ってた『始まりの鎧』って意味。わかる?今は失われた遼州語で付けたんだ。遼州ならではの力を使った神前の影響が無かったとは言えないな」

 嵯峨の出来の悪い子供に教え諭すような言葉に誠達は大きく首を横に振った。

「嫌いか?まあいいや、お前さん達の好き嫌いなんてどうでもいい話なんだから。どうせこんなお上(かみ)が決めた名前なんて浸透するわけねえし……これまで通り05式でいいじゃん」

 身もふたもない嵯峨の言葉を聞いてかなめ達は飽きたというように隊長室を出て行った。

 『脳ピンク』な嵯峨と取り残された誠はただ茫然と嵯峨の持っている『ダグフェロン』と書かれた和紙を眺めていた。

「お役所仕事ね」

「まあ、我々は公務員だからな」

 アメリアとカウラは納得したようにうなづく。

「なんでもカタカナにすりゃあいいってもんじゃねえだろうが……姐御は知ってんのか?」

 かなめはそう言って嵯峨に詰め寄った。

「アイツは愛称なんて別にどうでもいいんだって。どうせ自分の機体は『紅兎』って呼ぶんだからってことらしいよ」

 嵯峨のめんどくさそうな返答にかなめは口をへの字にゆがめてうなづいた。

「『ダグフェロン』……」

 誠は嵯峨の書いた文字を見つめて感慨深げにそうつぶやいた。

「いよいようちに染まることが決定してきたね……神前、今が逃げる最後のチャンスだぞ」

 嵯峨は誠がかなめ達と出て行かない様子を見てそう言った。

「何度も言いますけど隊長は僕に逃げてほしいみたいな言い方しますね」

 少し馬鹿にされたような感じがして誠はそう答えた。

「じゃあ俺も何度も言うけど逃げるってのはね。逃げないよりも長生きする可能性が上がるんだ。そうすると少しは『頭を使う』必要が出てくる。だから辛いことも多い。俺は逃げる人間の方が勇気がある人間だと思うわけ」

 嵯峨はそう言いながら出した和紙を静かにたたんだ。

「逃げる方が勇敢だとでもいうんですか?」

 誠の問いに『駄目人間』嵯峨は素直にうなづいた。

「そうだね。逃げたら死なないからね。あの世に逃げ出す機会を失うわけだ。あの世に逃げれば恥はかかないわ、それから先の苦労は考えずに済むはいいことずくめだわな。だから臆病な人間ほど『逃げない』んだ。『逃げちゃだめだ』なんて考えてるなら迷わず逃げなって。その方がよっぽど勇敢だよ。あの諸葛孔明だって、逃げ出したら敵が『孔明の罠だ!』ってビビッて敵が追ってこないんだから。素直に逃げた方がまし」

 嵯峨の『諸葛孔明』の話は歴史に知識のない誠にはわからなかったが『駄目人間』の意見がかなり『特殊』であることは想像ができた。

「でも……僕は逃げ場なんて……」

 誠はそう言って静かにうつむいた。

 そう言う誠を嵯峨は腕組みをして見上げた。



第209話 『駄目人間』から明かされるこの部隊の『異常性』



「そりゃあ、お前さんが『高偏差値』の薄ら馬鹿だからわからねえんだな。まず、『偉大なる中佐殿』の教育方針がかなり『パワハラ』を帯びてる段階で、なんでお袋とか大学の就職課に連絡しなかったの?」

「あ……」

 嵯峨に指摘されて初めて誠はこの『特殊な部隊』からごく普通に逃げ出す方策に気づいた。

「それってありなんですか?」

「ありも何も……普通の社会人ならそのくらいの常識はあるだろ……自分の置かれている環境が異常だったら人に言う。そのくらいの発想ができないとこの世にうんざりして来世に救いを求めちゃうようになるよ……新興宗教でも入っとけよお前さんは……あれはいい金になるみたいだね、俺は興味ないけど」

 あっさりと嵯峨はそう言って誠を同情を込めた瞳で見上げた。

「でも……一応、東和宇宙軍は公務員なんで。安定してるんで」

 誠はそう言って嵯峨に食い下がろうとした。

「そうなんだ……それもね、実のところ俺やランに『ここは特殊すぎるんで』と言えば何とか逃げられたんだ……」

 あっさりと嵯峨はそう言ってにやりと笑った。

「逃げるって……どこに?」

 誠は嵯峨の言葉が理解できずに戸惑ってそう言った。

「だって……うち、『お役所』だもん。いろんな取引先とか、隣の『菱川重工業』との取引とかあるわけだ。そうするとね、うちで要らない人材とか欲しがるわけよ……あっちもいい人材の確保には苦労してるから。危険物取扱資格の一種を持ってる人材なんて喉から手が出るほど欲しがるだろうな。だから、『出向』と言う形で、とりあえずこの『特殊な部隊』から外れて、他の生きる道を探せる人生があるの」

 驚愕の事実を嵯峨はさらりとさも当然のように言い放った。

「そんな……僕の友達もそんな話はしてませんでしたよ!僕の大学は理系では私大屈指の難易度の大学ですけど!」

 反論する誠に嵯峨は明らかに見下したような視線を浴びせた。

「そんなもん、大学の難易度と就職先のレベルは比例しないもんだよ。『ベンチャー』の小さな会社や経営者が『独裁者』している会社は別だけど、普通に株式を上場している会社ならそんな『出向』なんて話は普通だよ。当然うちは『お役所』だもん。うちの水が合わなけりゃ他にいくらでも生きるすべはあるんだ。自分の置かれた環境がすべてだなんて考えるのは『お馬鹿』の思い込みだね。お前さんにも『倉庫作業員』や『体力馬鹿営業』以外にも、『技術の分かる経営顧問のサブ』なんかの引き合いは今でもあるんだ……どうする?今からでもそっちに『逃げ出す』ことはできるけど……」

 嵯峨はあっさりと誠の社会経験不足の裏を突く大人の事情を誠に告げた。

「でも……西園寺さんは僕を認めてくれていますし……カウラさんはなんか僕を成長させることに生きがいを見出したみたいですし……アメリアさんはツッコミとして僕が必要みたいですし……島田先輩は舎弟の僕を見逃してくれるはずもなさそうですし……」

 誠は思っていた。もうすでに自分はこの『特殊な部隊』の一員になっていると。

「そうなんだ……お前さんの奴隷根性はよくわかった。まあ、お前と心中するつもりのパーラの名前が出てこなかったのは本人に直接伝えておくわ」

 またもや嵯峨はとんでもない発言をした。パーラがそれほど自分を思ってくれているはずは無いと思っていた。行きつく先が『心中』だということは、遼州星系では愛する男女が『心中』するのがごく普通なことだという地球人には理解不能な事実を認めたとしても、それはそれで自分は死にたくないので嫌だった。

「僕は逃げません!」

 誠の宣言に嵯峨は本当にめんどくさそうな顔をした。

「逃げてもいいのに……本当に逃げないの?今からでも遅くないよ……東都警察はお前さんを交番勤務の剣道部の部員として欲しがってるんだから。ああ、東都警察のパワハラはよくニュースになるな。あそこはやめておいた方が良い」

 相変わらずなんとか誠をこの『特殊な部隊』から逃げ出すように仕向けたい『駄目人間』の意図に反したい誠は首を横に振った。

「あっそうなんだ。まあ、逃げたくなったら言ってよ。俺や『偉大なる中佐殿』は出入りの業者なんかにいつも『使える人材はいないか』って聞かれてばっかで疲れてるんだ。そん時はよろしく」

 そう言って嵯峨は誠に出ていくように手を振った。

 誠は嵯峨の馬鹿話に疲れたので敬礼をしてその場を立ち去った。


第210話 駄目人間の『逃走宣言』


 誠達が出ていくと嵯峨は静かにため息をついた。

「新米社会人は『勝つ』ことしか考えねえんだな……世の中『負け』ばっかなのに……逃げることすら知らねえ実業界や官界を知らない『アホ』が偉いことを言う軍や警察は……変わらねえかな?いつまでも」

 嵯峨はそう言って隊長室の机の引き出しに手を伸ばした。

 そしてそこから一枚の写真を取り出した。

「『廃帝ハド』……この宇宙の知的生命体すべてから『逃げ場』を奪うことを目的に復活した化け物か……」

 嵯峨はそこに写っている二十歳前後に見える長髪の美男子を見つめてそう言った。嵯峨もまたそのくらいの年齢に見えるので、その光景は極めて奇妙なものに見えた。

「人間は逃げていいんだよ。俺はできねえけどランはいつでも逃げられるよ。死なねえし、『跳べる』からな。この130億年かけて育った宇宙の外の食い物と空気がある『別の世界』に逃げられるんだ……ランはね」

 そう言いながら嵯峨は頬杖を突く。その面差しには少し寂しげな表情が浮かんでいた。

「でもな、ランはもう逃げたくないって言うんだ。あいつは逃げるのはもうこりごりだって言うんだ。そのために『体育会系縦社会』のうちの伝統を作ってぶっ叩いて部下を育てて『逃げる必要のない』世の中を作りたいっていうんだよ……どう思う?すべてを支配しようとする『不死の王』さんよ……」

 嵯峨はそう言うとポケットからタバコを取り出した。

「あいつも俺も死なねえんだ。死にたくても死なねえんだ。あの世に逃げ出すっていう人間本来の逃げ方すらできねえんだよ」

 タバコに火をつけながら嵯峨はほほ笑んだ。

「『不完全な生き物』だな。終わりがあるから生き物は生きているって言うんだ。この宇宙が始まって130億年。でも俺達遼州人はどうやらその前に『始まりの鎧』に導かれて他の宇宙からこの宇宙に来てしまった、哀れな『死ねない』知的生物みたいなんだわ。俺もアメリカ陸軍に『実験動物』にされている間、何回死んでるかわからねえくらい死んでるが……今でも死にきれずにこうして『特殊な部隊』の隊長をやってるんだわ」

 煙が隊長室に充満する。嵯峨はなんとも困った表情で写真の若い男を見つめた。

「俺はたった四十六年しか生きてねえんだ。『廃帝』さん……お前さんは200年生きてるらしいな……でもな、この宇宙のひ弱な生き物はそれ以下の寿命でも満足して死んでいけるんだ。俺やランやあんたみたいな『不完全な生き物』では無くてちゃんと死ねる生き物なんだ。うらやましいな『死ねる』ってことは。終わって責任を次の世代に繰り越せるんだ。うらやましいんじゃねえのかな、あんたも」

 嵯峨はそう言ってほほ笑んだ。その微笑みに悲しみが混じっていることは彼の『不死』の宿命からしてあまりにも当然の話だった。

「死ねてはじめて『人間』なんだ。昔、ゲーテとか言う詩人が、俺やランみたいに死ねなくなった『ファウスト』博士と言う人物を描いた詩を書いたんだ。博士は『世界は美しい』と言えれば死ぬことができた。そして、博士は望み通りに心からの言葉としてそう言って死んだ」

 そう言うと嵯峨は静かに写真を目の前にかざした。

「俺は言いたいね、『世界は美しい』ってな。そして、静かに終わりたい。世界が美しくない限り、生き物が逃げられる宇宙を作りたいんだ……それを阻むお前さんや『ビッグブラザー』に言いてえんだ……」

 嵯峨は静かに正面を見据えた。

「俺は逃げ場を作り続ける!永遠に撤退戦を戦い抜くつもりだ!そのためにこの部隊を作った!俺は……永遠に『逃げる!』」

 そんな嵯峨の宣言はむなしく隊長室の『駄目』な雰囲気に呑まれていった。


第211話 誠の持つ『力』


「隊長……ほっといて良いんですか?」

 隊長室を出てパイロットの詰め所の自分の席に座った誠はそう言ってランに目を向けた。

「いーんだよ……あのおっさんも大人だからな。それよりオメーだ」

 ランはそう言うと少し照れたように頬を掻いた。

「僕が……なにか?」

 戸惑ったような誠の問いにランは仕方ないというようにため息をついた後、語り始めた。

「お前が生まれた時から全部わかってたんだ。オメーがあんな化け物じみた力を持ってることはな」

 ランの言葉は半分は予想のついた言葉だった。こんなにパイロットに向かない自分にパイロットをやらせるには何か理由があるとは誠も感じていた。

「母さんから聞いたんですね……僕が普通とは違う力を持ってることを」

 誠は一語一語確かめるようにしてランにそう言った。

 誠が剣道をやめたのは竹刀で物が斬れてしまうという自分でも信じられない現象を目の当たりにしたからだった。それは一回だけのことで単なる偶然だとして誠の記憶の奥底で忘れ去られていた。

「そーだ。オメーは実はかなり前から遼州同盟の加盟国や地球圏の政府から目をつけられてたんだ。ひでー話だが、オメー生まれた時からプライバシーゼロの環境に置かれていたんだ」

 少し悲しげなランの言葉に誠は驚きを隠せなかった。

「考えてもみろ。たった一撃で戦艦を撃破できる能力や、瞬時に移動できてしまう『干渉空間』を展開する能力。どっちも悪用しようとすれば大変なことになる。だから、どの政府もその存在を公にせずにひそかにその能力者を監視していた……」

 確かにランの言うとおりだった。あのような力があちこちに野放しになれば戦争どころの話ではないことくらい誠にも考えが付く。

「オメーの親父がオメーに剣道を辞めさせたのが八歳。それを進言したのが隊長だ」

「隊長が?竹刀で物を斬ったりできる能力を使えば余計目立つようになるからですか?」

 誠はそう言って難しい顔をした。

「まず第一に危ないだろ?気合で面を入れたら対戦相手が真っ二つになったなんてのはシャレにならねーだろ?今のオメーは05式乙の法術増幅装置無しではただの無能だが、いずれはそれなしに法術を発動できるようになる……」

 静かなランの言葉だが、誠にはその言葉の意味が分かりすぎるくらい分かった。

「実は、最近こうして各政府が追っていた『潜在的法術師』が行方不明になる事件が多発してるんだ。誰かが何かを目的として『法術師』を集めている……としか思えねー」

 ランの表情が厳しい色を帯びてくる。

「一つの勢力じゃねーな。実際、同盟司法局も『潜在的法術師』を集めていたのは事実だし……例えばオメーな」

 そう言ってランは腕組みをしながら誠を見上げた。

「そんな勢力の中で一番ヤベーのが……『廃帝ハド』だ」

「『廃帝ハド』?」

 誠はその言葉に聞き覚えがあまりなかった。

「かつて遼帝国建国後二百六十年の鎖国を解かせた暴君……奴を遼州の大地に封じて国が開いたときは遼帝国は見る影もなく荒れ果てていたという話だ……」

「暴君」

 ランの力強い言葉に誠は息をのんだ。

「奴の理想は力のあるものが力のないものを支配する帝国を作ること。遼帝国一国ではできなくても遼州圏や地球圏を巻き込んで多くの国の利害の隙間を縫うように立ち振る舞えばできねー話じゃねーんだ……そのために法術師を集めてる」

 そんなランの恐ろしい言葉に誠は身震いした。

「隊長はオメーには逃げろって言うかもしれねー。アタシもそれは当然だと思う。しかし……アタシ等じゃ対処しきれねーこともある。神前!力を貸してくれ!」

 かわいらしいランは強い眼力で誠をにらみつけながらそう叫んだ。

 誠は静かにうなづきながら自分が持って生まれてしまった力の重さについて考えていた。

「中佐……」

 誠は小さなランの真剣な表情に心打たれながらそう言っていた。

「なーに。オメーを簡単に死なせるようならアタシは『人類最強』なんて名乗ってねーよ。それに……ヤバくなったら隊長がオメーの代わりに05式乙に乗る。あの人も一応は『法術師』なんだ。伸びしろはゼロだけどな」

 ランはそう言ってにやりと笑った。

「でも……僕よりは役に立つんじゃないですか?僕はパイロット適性ゼロだし」

 そんな誠の言い訳にランは静かに首を横に振った。

「パイロット適性?オメーは運動神経はいーじゃねーか!大丈夫だよ!アタシが仕込んでやる。胃腸の方も慣れれば吐かなくなる。気にすんな!それにオメーのが自分の持つ力を自在に操れるようになれば向かう所敵無しだ!」

 満面の笑みでちっちゃな中佐殿はそう叫んだ。


第212話 無情にも聞こえる『非恋愛宣言』


「だがな、言っとくことがある」

 ランはそう言ってまじめな表情を浮かべた。

「アタシは見た通り『八歳女児』だ」

 ここで誠は思わずこけるところだった。飲酒が趣味の八歳児など聞いたことがない。それ以前にランの態度は八歳のそれでは無かった。

「八歳女児の部下っていえば、当然上司に配慮するべきだな……うん、うん」

 なぜかここでランは大きくうなづいて一人納得していた。

「どんな配慮をすれば……」

 誠はどんな無理難題を押し付けられるかを気にしながらちっちゃな上官の顔色を窺った。

「そんなの決まってんじゃねーか!」

 ランはカッと目を見開いて誠を指さした。

「一人前になるまで恋愛禁止!ちっちゃい子の前で変なことして教育上よくねーとか思わねーのか?」

 『自称三十四歳』とは思えない発言に誠は唖然とした。

「今は相手がいないから問題ないですけど……でも結構うちは美人が多いじゃないですか」

 誠の言い訳にランは全く耳を貸さなかった。

「すべては一人前の『漢』になってからの話だ。それまではひたすら技術を磨け、心を磨け、学べ、考えろ!そん時はアタシがオメーにふさわしい女を紹介してやる。うちの女共はどうかしている。アタシのメガネにはかなわねえ!」

 もうこうなると禅寺の修行の境地である。

「クバルカ中佐無茶苦茶言いますね……でも隊長は一人前なんですか?駄目なとこだらけじゃないですか。あの人だって結婚してたんだから僕が恋愛したっていいじゃ無いですか!」

 誠は腑に落ちないというようにそう口答えをしてみた。

「あの駄目人間を見てアタシは悟ったの!あーなっちゃダメなの!それにあれでも一応アタシの上司だし、娘に管理されて、何とか人並みの生活を送れているんだから……とても参考にはならねーだろ?『女好き』のお守は一人で十分!これ以上面倒は見れねー」

 そう言ってランは立ち上がる。

 彼女は静かに扉の所まで行くと、勢いよく扉を開いた。

 そこには当たり前のようにかなめ、カウラ、アメリアの三人が立っていた。

「と言うわけだから。こいつにちょっかい出すのは加減しろよ、オメー等も」

 そう言ってすたすた去っていくランを見ながら三人は顔を赤らめた。

「なんであんなこと言うんだ?神前はアタシの下僕なんだぞ?なんで下僕にそんな感情を持つんだよ」

 かなめはそう言いながら椅子に腰かけている誠に近づいてくる。

「私は指導をしてやっているだけだ。神前に気があるとか……そういうことは絶対にない!」

 カウラはそう断言してかなめに続いて部屋に入ってくる。

「私は……面白ければ全部ОKなんだけど!誠ちゃん!改めてよろしく!」

 笑顔のアメリアを見上げながら誠は大きくうなづいた。

「つー訳だから……よろしく頼むぞ!神前」

 ランはそう言いながらいい顔で笑った。

『特殊な部隊』での誠の『特殊な戦い』が今始まろうとしていた。
 

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