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私だけの物語

夢見る15歳だった私は気付いたら誕生日を過ぎていて、着実に成人の日が近づいている。

18歳成人施行の年代で、私は大人になるのが嫌だった。こちらは18歳で成人させてくれなんて言っていないのに、弊害を語られ悪者にされることは目に見えていて、そして自分が害の側の人間にならない保証も無かった。高校生になった私は他己評価が転落し、努力の方法も目標も目的も、未来にモザイクがかかるようになった。自分の感情は知らない。ただ、14歳の私は早く大人になりたかった。15歳の私は子供のままでいたかった。

ミスiDを見つけた。女の子が好きだった。小さい頃も神様はいなかった。尊く神聖な彼女達と同じ土俵で認められたなら、好きなことを生きる意味に出来るかもしれないと思った。私はアイドルになりたかったはずだ。保育園の文集でみんなが将来の夢にアイドルと書いたから、ひねくれ者の私には到底言えなかったけれど。

2021年4月11日 ミスiDを卒業した。
席に着きふと隣の番号を見ると、互いの間に30程の差があって、自分が"いる"ことの重さに恐怖した。人に酔い腰痛の吐き気に死にそうになりながら生きていた。

アメイジングミスiDになった。大好きな人と同じ賞だった。何も理解出来ないという経験は初めてだった。呼ばれてから5時間は思考回路がショートした。嬉しいもありがとうも、理解出来ていないということさえも、何もかもわからなくなった。わからない状態でしたスピーチは過去最高に最低で、あのとき言葉に表せる感情が好きな人に対するものしか無かったから、どんなに気持ち悪い人間に見えたとしても必死に伝えたいと思った。帰宅してからやっとお腹が痛いことや脚が疲れていることに気付き、泥のように眠った。

私は自分の賞を受け入れた。理解した。客観視した。私は惨めだった。12人の中で一番可愛くないと思えた。歴代の中で一番綺麗じゃない。一年間の集大成に付随する劣等感。一年間育んだのは強い負の感情だった。私はそれを知っていた。私は自分を可愛いと思える精神を欠いていた。単純な自信ほど美しいものは無くて、それほど武器になるものは無い。出来ないならやるしかないのだ。15年間優等生で居続けたように、優等生になったように、私は美しくならなければならない。

今度は私のために。

選評はあまりに私のハードルを上げた。私は女優に向いていると言われた。それに対して希望も絶望も覚えることは無く、不安と、恐怖と、せざるを得ない決心だけを抱えた。私は未来を期待されることがこの世の何よりも怖かった。ずっと。出来なかったときの辛さは私しか持てないものだから。しかし、私は何者にもならず終わるつもりは無くなった。諦められるほど馬鹿じゃない。ミスiDである以上承認欲求だって溢れている。私はなりたい私になる。

何物でもない私へ

一年間ありがとう。
これからもよろしくね。

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