【メキシコで娼婦に就職】
23歳の時、ロサンゼルスへダンス留学した際、私は週末のホリデーを使ってメキシコに行くことにした。
しかし、それはとんでもない旅になることを当時の私はまだ知る由もなかった。
生きた心地がしなかった週末。
留学においての1つのストラテジーでもあった
「メキシコ旅行」
色々下調べするも、おぞましいことばっか出てくる。
・メキシコは娼婦の街で、ワンコインでコトに及べる。
・コトの円滑化をするため、履いてるジーンズに穴をあけてスタンバイ。
・ストリートごとに娼婦のレベル分けがされている。
1st streetには美女、5th streetにはブス。的な。(顕著)
下調べが娼婦に関することばかりなのは何故。
当時の私はパソコン持っていなかったので全て聞き込みの結果。
とにかく、危ない匂いしかしないのでぜひ行ってみることにした。
陸続きではあるけど、アメリカからすると異国には変わらないこの地。
もちろん、
パスポートとI-20という、アメリカでの留学生には不可欠な書類を持参しないといけない。
(※I-20:『在留資格証明書』や『入学・在学資格証明書』のようなもの)あとは金さえあればなんとかやっていけると確信。
ラテンな国に胸躍らせ、いざ出陣。
旅費を削減するために、破格の中国人ツアーに潜り込んだ。
バスを2時間ほど走らせて、国境をこえる直前で
中国人ガイドのおっちゃんに
パスポートとI-20の提示を強いられた。
私は、母の手術のため日本に一時帰国をしていたため、
I-20は新しいものを取り直していた。
もちろん、古い方はいらないと判断し、
部屋の片隅においてきた。
すると・・・
「このI-20…君、メキシコには入れても、
LAに帰ってこれない確率大ネ。
私はただのツアーガイドだから
移民関係は無関係。
帰ってこれなかったら自分でなんとかしてネ。」
え…!!!(あんぐり)
つつつつ、冷たい!
ハートに知覚過敏!
あと、カタカナの「ネ」が腹立つ。
「僕は、君のような学生をたくさん見てきてるネ。週2回、アメリカとメキシコを横断するツアーをしているからネ。悪いことは言わないネ。今ここでバスを降りて帰って方がいいネ。」
メキシコに入るときは審査がないけど、
アメリカに再入国するときは厳しい審査がある。
ガイドさん曰く、再入国可能指数激薄。
でも、バスはどんどん進むし、何が何でも私の気持ちはラテンモードやし、
「明日のことは明日の自分が何とかしてくれるやろ」精神で
「(アムロ)行きます!」
そして、あっさり国境を越えてやった。
今思うと、ようやったなって思う。
でも、「今日の夕飯寿司やで〜」って言われたのに
やきそば出てきたらなんか違うでしょ?
こちとらラテンモードやのにやっぱアメリカで。
って言われたら不服!ふふふ!
ぺろりと国境を越えた瞬間、貧富の差が目に見えて確かで胸が痛みつつも
その雰囲気が自分の中でホームに感じられた。
空は犯罪的に青くて、
メキシコ人は
うさんくささを存分にかもし出しつつも、
LAにいるメキシコ人と違って
さわやかな陽気さと
金と女に対する貪欲さ120%を兼ね備えてた。
街を歩けば
「hola! amigo!」よう、フレンド!なノリ。
夜になれば、
ギターやドラムを片手に10000ペソの笑顔で
自分らのルーツの音楽奏でてる。
フレンドリー極まりない!
「1度会ったら友達で毎日会ったら兄弟」という方程式ここに有。
夜道にはジャンキーな奴と娼婦のオンパレード!
注射器を自分の腕にピャンピャン打ち込む次第。
娼婦は男性を誘い込むけど女は見て見ぬふりなので私は結構安全だった。
噂通り、1stから5thと奥にストリートを下るごとに
娼婦の質が落ちていく!(コラ)
友達と危ない街を深夜まで歩き続け、
BARを三軒はしごした。
それにしても不安は襲う。
「明日、ホンマにLAに帰れるんやろか?」
入国できない可能性のが圧倒的に高い。
平気なふりしてても生粋のチキンハート。
全然お酒も飲まれへんのに、酒は飲むわ(3杯だけ)、
自分の親指より太い葉巻も吸うわ。
もはやあの太さは象牙。
だけど、国境を越えれんってだけで、命はある。
私の中で「死ぬこと以外はかすり傷」っていう精神があるから、
生きてく選択肢を現実的に考えてた。
1、ルームメイトに電話して、I-20を持ってきてもらう。(しかし、国をこえてるため携帯が繋がらない。)
2、I-20をどっかのホテルに郵送してもらい、2~3日はメキシコを旅し続ける。(しかし、金もない。国境付近はハイパー治安悪い。)
3、強行突破。
不備があったのはUSAのせい。
「ワタシ、悪クナイ。」の一点張りで、必殺YAKEKUSO。
4、娼婦としてこの地にとどまる。
何を思ったのか、あろうことかこの選択肢4が一番現実的に思えてきて、日本にいる母に遺書(?)を書いた。
「ごめん、アメリカ留学が娼婦留学になってもうた。」
書き出しはもはやギャグ。
しかも、その日はいていたズボンがたまたまジーンズで、穴を開ければすぐに現場に立てるなんて、もはや運命さえ感じてきた。
留学中はたいがいジーンズだったくせにそこに運命を感じてる時点で精神的に追い詰められてたんでしょうね。
なんなら変な闘争心さえ燃えてきて、
「どうせ娼婦になるなら1stストリートに立ちたい」とさえ思うようになっていた。
入国審査前で闘志もやしつつも、やっぱりアメリカにも日本にも帰れるもんなら帰りたい。
ポッケに入っている日本のお守りに100ドルをへそくりして罰当たりながらも、どの神様にお祈りしていいかわからないので
ジーザスジーザス言いながら
神様の困惑承知でお守り握って拝む。
アメリカに帰れますように・・・
アメリカに帰れますように・・・
アメリカに帰れますように・・・
自分の入国審査の番が、数百人いた列のよりによってその日の一番最後で、
よだれをたらしたドーベルマンと怪物みたいに太った警官の視線が鋭利に突き刺さる!
おそるおそるビザを手渡すと・・・・
「ハイ、OK」
ohwehfjiwehfjklshflkjshfijwehfijeshfi?!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
軽っ!!!!
通れた!!!
国境越えれた!!!
ジーザスジーザス!!
ガイドのおっちゃんは
「よく通れたね!君は僕が今まであった中で一番ラッキーな女の子や!」
とhugしてくれた。
お母さん、私は生きてるよ。
娼婦になる決意をしかけた私をどうか許して。笑
ていうか、中国人ガイドのおっちゃんのジョークやったんかな・・
いや、でも違うっぽい。
ほんまにそのI-20のしかるべきところにハンコがなかったから。
どこからどう見ても不備・・。
私の硬い決心を返して!
象牙みたいな葉巻を吸って失った私のピュアな体を返して!
母に出そうと書いた手紙はその場で破り捨てた。
この旅で、
私は前回の何十倍もパワーアップしました。
国を挙げてのトラブルもスルーした私はもう
何も怖くないです。
日本帰ったら納豆にもチャレンジします。
この話を、姉に話しました。
そして彼女は一言。
「あ〜あ、残念。妹はメキシコで身売りで生計たててます。
って友達に言えるチャンスやったのに。」
この言葉を聞いた瞬間、まじで生きた心地がしませんでした。
oh, ジーザス!
※良い子のみんなは真似しないでね!
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