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元号(和暦)の改良案小考:元号に数字を加える

 元号には西暦(あるいは皇紀)に比して不便な所があると言われます。まあ近年のインターネットなど情報技術の拡大を考えれば、検索一つで調べたり計算したりできる話でもありますが、そういうちょっとした動作が覚えた不満を大きくしてしまうものであります。ここで筆者は元号ばかり用いている身として、その不便さを4つばかし検討します。まあ、まともに検討しているのは2つくらいです。特にその内一つについて最大の問題であると考え、改良案を提示します。

1、日本独自であって国際標準でない

 まず第一に、和暦は、元号は、本朝独自の制度であって国際標準でないという点です。確かにその通りで、本朝に理解のない外国や外国人と関わる上で不便な場合もありましょう。ここでは、それがそのまま本朝の文化的魅力ともなるという点を指摘するにとどめます。

2、和暦に於ける現在が分からない

 現代の元号や、和暦で今がいつの何年が分からないという人がいます。令和6年です。筆者の身近にもそういう人がいます。これは単に元号を使わない生活をしているというだけであります。筆者は今年が西暦2024年だということが信じられず、未だ西暦2023年あたりの気分なのですが、これはその逆であります。これについては年表記法が複数ある限りどうしようもないものです。結局、完全に和暦を用いないではいられない故に和暦が面倒という感想も思いつき、むろん廃止は問題外ですから、むしろ慣れるのが良いと思われます。スマートフォンやパソコンには大抵の場合、年の表記法で和暦を用いる機能がついているのでこれを利用することをお勧めします。

 現在を表記するという点で言えば、どうしようもないものだということは重々承知ですが、筆者にとっては元号や西暦よりも日付の確認の方が面倒に感じられます。

3、2つの事件の間の時間が分かりにくい

 元号方式では、紀元方式では原則として単に二つの数字の引き算を行えばよい、ある二つの年の間の時間的距離がわかりにくいということを指摘できます。なるほど、慶長8年から慶応3年まで何年か、というのは調べなくては分かりません。しかし、果たしてある事件甲から別の事件乙までの間に何年かかっているという情報はそれほど重要なものでしょうか。勿論、甲から乙までの時間的距離の感覚が、あるいはそれを表す言葉が、それへの好奇心は不要だというつもりではありません。しかし、厳密に甲から乙まで何年間、場合によっては何日間という情報を誰よりも必要とする歴史家などの専門家は、元号からその何年間何日間という情報を得る能力を持っていると見なせます。また元号が変わっていなければそのまま数字で、また元号が変わっていても、たいていの場合、計算せずとも「元号が変わって」とか「元号をいくつ挟んで」という説明で十分に時間的距離を説明することが出来るものであります。この点については、元号方式に致命的な問題があるというわけではないと考えられます。

4、どの元号がどの元号に対してどこにあるか

 年を示す名前が改元の際に変化するということ、そしてその時の諸々の手続が面倒くさいということについては取り敢えず言いだしたらキリがないこととして知ったことではないと考えれば、元号の煩わしさの最大の問題は、どの元号がどの元号に対してどこにあるかが分かりにくいという点にあるよう思われます。「平成」は「昭和」の次の元号でありますが、「平成」が「昭和」の次であるということは、それを知っていなければわかるはずもないものです。

 といっても、次のようなことが考えられるかもしれません。和暦にせよ西暦にせよ、原則として通常生きている人間が触れるのはその中で極めて限られた一部だけです。今生きている人のほとんどは大正以前の元号を現在を表記するために用いたことがありません。西暦にしてもそうであります。更に言えば、多くの場合最も用いるのは現在、即ち今年を意味する年表記であって、前年も翌年も今年に比べると意識することがずっと少ないのです。和暦であれ、西暦であれ、多くの年表記を用いるということは歴史に触れる場、歴史叙述の場に於いて顕著であります。故にまた、どの元号がどの元号に対してどこにあるかが分かりにくいという元号方式の問題点は、その歴史の場に於いて特に現れるものであり、それ以外では特に問題にならないとも言えるものでしょう。脇道にそれるような形ですが、例えば学校の授業における「歴史」という意味では、暦法を問わずいわゆる年号を覚えることは学徒学童にとって大変なものですが、本朝の歴史上の事件の少なからずが元号を用いて呼称されており、その意味ではこの問題は限定的です。なお更に雑談ですが、年号という言葉の辞書的な意味を引くと、基本的には元号と同じなのですが、俗に、和暦であれ西暦であれ、ある年を意味するものとして使われているようで、ここでもその意味で年号という言葉を用いました。

5、4に絡めての改良案

 筆者としては、元号に数字をつけることを提案するものです。そういう制度を新設する、という謂いが説明として適当になるのかしらん。例を挙げれば、大化に1、白雉に2,天平神護に14、といった具合です。

 これは、原則として既存の元号に数字を振るだけでよいものです。

 あとは多様な元号を同時に扱うことのある人間、特に史家が勝手に元号にその数字を併せて表示することになることでしょう。史家にしても、これはあって不便な制度ではありますまい。

 またこの制度下に於いては元号を全て数字で表すことが可能であって、パソコンなどでの処理も簡単になることでしょう。

 ただしこの元号に数字を振るという制度には問題点がいくつかあります。

 まず、どの元号に何番の数字を振るかという問題があります。それは種々の私元号をどう扱うかや、一部の時代における政権の正統性の問題でもあります。よってこれは国あるいはそれに準じる全国的機関が主導してやるべきことです。文部科学省で教育の便宜上有益なものとして作る、というようなことでも良いとは思いますが、元号の問題である以上、出来ればもう少し上の段階で作成するの宜しいよう思われます。

 次に、表記の問題であります。元号の後ろに数字をつけると数字の意味が分かりにくく、判別できない場合も少なくないのです。例えば「白雉2」とすると、2つ目の元号である白雉なのか、白雉2年なのか分かりません。既に存在している多くの元号と数字を用いた年表記と紛らわしくない表記の規則が必要でしょう。筆者としては、元号の前に数字を置く「14天平神護2年」というような表記法を提案しておきます。

 ちなみに、文化の次が文政なのはまだわかりやすく覚えやすい例ですから、解決法として、ひとつ前の元号に似たような元号とする、というような方法もありましょう。すべてこんな調子であれば似たような元号ばかりになって区別が困難になります。半ばこの方式を採用しつつ区別を明白にする方法として、天平時代のように四文字元号を採用する方法もあるかもしれません。しかしこれならば、筆者の提案のように数字を添付した方が便利であるよう思われます。

令和6年7月2日

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