現実と非現実の境目

小学生の時の話である。
当時私は、関東の田舎で暮らしていた。
家がある場所は、別荘地帯や観光地帯ではなく、
地元の人の民家と畑や田んぼ、そして林がある場所であった。
実に田舎だ。

ある日のことだ。
私は、近所の農道で遊んでいた。
妹と一緒に、クリスマスプレゼントにもらったばかりのローラースケートで遊んでいた。
小学生2人が、ローラースケートで遊んでいるため、笑い声や子供特有の甲高い声も絶えない。

すると、農道脇の家の人が外に出てきた。
怖い顔をしたおじさんが、大声で言った。
「ここは遊園地じゃないぞ!騒ぐな!」
小学生の当時は怖くてそのまま家に帰った。
後で聞いた話だが、そのおじさんは都会の人で、別荘として農道脇に家を構えたという。

大人になった今、思い返せば、考えさせられる体験である。

おじさんからしてみれば、非現実的世界を求めて、農道脇の別荘で過ごしていた。
しかし、小学生とはいえ地元民から見れば、その農道は現実であり、小学生の遊び場であった。

農道を現実だと捉えている側からすれば、のどかな世界を求めているならば、ちゃんと別荘地帯に家を構えて欲しい。
別荘地帯には地元民が少ないため、農道を「現実」や「遊び場」と捉えている人も少なくなる。
別荘地帯ではなく、その土地の人と同じ生活を送りたい、という思いで、農道脇に家を構えたのであれば、
地元小学生の遊び場がそこであることを知って欲しい。
自分の理想を他人の現実に押し付けないで欲しい。
一言でいえば「郷に入っては郷に従え」だ。

何も理想を追い求めるのが悪いとは言っていない。理想を実現化するには、ふさわしい場所がある。その場所選びを間違えないで欲しいだけだ。

しかし、今回の主題は、おじさんの考えが甘い、ということではなく、
人によって同じものを見ても捉え方が違うということだ。

同じ「田舎の農道」を見て、「現実」と捉えるのか「非現実」と捉えるのか、大きな違いがある。
またその違いを生むのは、捉える人のバックボーンによる。

相手のバックボーンを少しでも知ろうすることで、相手との衝突を少しでも和らげることができるのではないかと思います。

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