
【短編小説】記憶
ひいおばあちゃんがいよいよ息を引き取りそうだという連絡を受けて、僕ら家族はおじいちゃんおばあちゃんの家に行った。奥の和室でひいおばあちゃんは眠っていた。天井の低い、障子と畳の部屋の中で、白い介護用のベッドが異様な存在感を放っていた。ひいおばあちゃんは最近は言葉を発する元気もなく、一昨日から食事もとらなくなったという。
明日100歳の誕生日ということもあって部屋の中は決して暗いムードではない。一人娘のおばあちゃんはいつも通りめちゃくちゃに喋りながら家事に奔走している。おじいちゃんは、普段と変わらずニコニコしながらマイペースに僕ら孫の写真ばかり撮っている。孫といっても僕は20歳、兄は23歳なのだがおじいちゃんにとっては可愛い孫のままなのだろう。
ひいおばあちゃんは5年前から老人ホームに入っていた。ここにはその間も何度か来たが、ひいおばあちゃんに会ったのは5年前、入所前日に会ったのが最後である。
当時15歳だった自分は、この家に到着して早々、誰もいない2階に上がってつまらなそうにスマホをいじっていた。
途中おばあちゃんが来て、精一杯おどけた感じで
「悠太さん、いらっしゃいませ」
と話しかけにきた。声の緊張感と言い終わった後の息が抜けたような笑い方で、おばあちゃんが自分に気を遣っているのだと理解した。
夕食の時間になり居間に降りると、ひいおばあちゃんは皆より先にご飯を食べて、おばあちゃんの手を借りながら寝る準備に入っていた。おばあちゃんは部屋に入ってきた僕に気がつくと、
「お母さん、いつ死んじゃうか分かんないんだから、皆さんに一枚写真撮ってもらうよ」
と、耳の遠いひいおばあちゃんの為に耳元で、大きな声で言った。
それを聞いて母は率先して僕らをソファに座らせ、おじいちゃんは三脚にカメラをセットした。おばあちゃんに導かれ、ひいおばあちゃんは「すみませんね、若い人達」と言いながら僕と兄の間に座り、おばあちゃんは兄の背中側から手を通してひいおばあちゃんの体を支えた。おじいちゃんはシャッターのタイマーを押して僕の隣に座った。
一枚目の写真を見たおじいちゃんが「おい、悠太、笑ってないじゃないか笑」と言いながらカメラを自分に見せてきた。それを聞いた母は「じゃあもう一回、はい、もう一回」と言い、僕の肩をトンと叩いた。自分で言うのも変な気がするが、僕の反抗期は別にそこまで酷いものではなく、両親も特に気を遣ったりする事はなかった。
ウザイと吐き捨て、ソファを立ちテレビの前の椅子に座り、揚げ物をつまみながら野球中継を見た。母が「悠太、戻りなさい!」と言ってきたが「うるせーよ、めんどくせぇな」と返し、その時点で、もう自分ではどうする事も出来なくなってしまった。母や数秒前の自分に対する苛立ちはすぐに後悔と気まずさに変わり、そこから徐々にひいおばあちゃんやおばあちゃんに対する申し訳なさがに湧き出てきた。テレビに映る打席に頭を持っていきたいが、それも難しかった。
おばあちゃんが気を利かせて「お母さんももう寝なきゃ行けないからね」と言ってひいおばあちゃんを寝室に連れていこうとした。
その時である。ひいおばあちゃんが、部屋を出る前におばあちゃんの手を離れて僕の方にゆっくりと歩いてきた。全員の目が自分に集まる。
「悠太くん、今日は話せなかったね、また明日、遊びましょ」
嗄れた、しかしはっきりとした声でゆっくり喋っていたのをよく覚えている。
野球中継を恨めしそうに睨みながら、不機嫌そうに「うん」と答えるしか出来なかった。
翌朝、老人ホームに向かうひいおばあちゃんを皆が見送ってる声を聞きながら、僕は寝室で1人、冴え切った目を固く瞑っていた。
「5年ぶりに会いに来てくれましたよ」
おばあちゃんがひいおばあちゃんに語りかけるが当然返答など無い。
目の前に横たわるひいおばあちゃんは今どんな夢を見ているのだろう。5年前の自分が、ひいおばあちゃんの頭の中に少しでも残っているのだろうか。何かしらの答えが欲しくておばあちゃんに聞いた。
「今ってひいおばあちゃん何考えてるんだろう」
「昔のいい思い出を思い出してるのよ、死ぬ前は悪い思い出は全部なくなっていい思い出だけになるの」
そうであればいいなと思った。
みんなでひいおばあちゃんのベッドを囲み、おじいちゃんが何枚か写真を撮った。
写真を撮る間、ひいおばあちゃんの手を握った。100年の歴史を感じる硬さと、死を目の前にした弱々しさに狼狽えた。頭の中で話しかける。
5年前はごめんなさい。反抗期です。今、ひいおばあちゃんの頭の中が、楽しい思い出で溢れていますように。楽しい思い出で溢れていますように。あと、出来ればもう一度だけ目を覚まして。
少なくとも、最後のお願いだけは通じた。
夕食が終わり、ひいおばあちゃんの様子を見に行ったおばあちゃんが僕らを呼んだ。急いで行くと、ひいおばあちゃんが5年前と変わらぬ様子でベッドに座っていた。
何を言うべきか分からなかったが、気づいたら「久しぶりです」と言っていた。ひいおばあちゃんはピンと来ていないようだ。
「お母さん、聡太と悠太達が来てくれましたよ!
ひ孫達ですよ!」
「あらそう、でももう私分からないよ笑」
ごめんなさいね、若い人たち、と笑いながら言うひいおばあちゃんを見て皆愛おしそうに微笑んでいた。おばあちゃんがフォローするように言った。
「忘れちゃってるように見えても頭の奥の方で思い出が蓄積されてるのよ、天国で全て思い出すの」
暫くしてひいおばあちゃんはまた眠ってしまった。
居間に戻り、皆がひいおばあちゃんの思い出話に花を咲かせる中、アイスを口に運びながら考えた。
ひいおばあちゃんの僕に関する記憶は5年前の写真撮影の時から更新される事はないのだろう。天国に持っていく写真にはつまらなそうに俯向く自分が写っている。
悔しさか哀しさか申し訳なさか、理由は分からないが涙が溢れそうになった。涙を抑え込もうと固く目を瞑ると、ひいおばあちゃんと交わした最後の会話を思い出す。
隣に座っていたおじいちゃんに「なんでお前泣いてんだよ」と笑われた。両親や兄が囃し立てて笑う中、おばあちゃんが
「悠太さんは昔から優しい人だからね」
と呟いた。
暫く静かな時間が流れて気づけばだいぶ遅い時間になっていた。おじいちゃんがソファを立ち「もうじいちゃん寝るからな」と部屋を出ようとする。思い出したように振り返って時計を見て、
「おっ、あと一分だ」
と言いソファに戻った。
隣の和室では、ひいおばあちゃんがもうすぐ100歳の誕生日を迎える。
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