初めて見た葬式がVtuberの生前葬になった話
生まれてこのかた葬式に呼ばれたことがない。
身内が死んだ知らせが来ても(おそらく学校を休ませたくないとかであろうが)呼ばれることもなく、葬式というイベントは、自分の中で半ば非実在のものとなりかけていた。
[2024追記:去年祖父が亡くなったがコロナで動けず四十九日もしんどくて別れを言いそびれた、まだ祖父がいるかのような言動を悲しみを伴わずにしそうになることがある]
で、そんな中「初めて行った葬式」。
お、おぉ……。
黛灰を知ったのは引退の話題から。
そもそもVtuberをちゃんと漁り始めたのもかなり最近である。
ENのLuxiemが面白いらしいぞという話から切り抜きを見始め、するとおすすめにJPの切り抜きも現れる。そこから色々見て、メッシャーズに辿り着いた辺りで黛灰に気付いた。
声が低い、喋りが静か、あんまり笑わない、ツッコミが冷静。自分の見た範囲では初めて見るタイプだった。
なので、第一印象は「ダウナー野郎」。
とはいえ、彼も「生きている」からには違った面が出ることもある。
闇落ち状態でCARRIONやるとか負けたら地獄のように治安が悪くなるペックスとか、急に始まるやたら似てる物真似とか。
この辺りで「もしかしておもしろ野郎か?」と印象が変わった。
そして、気になったVtuberができたらとりあえず非公式wikiを見に行くようにしている。例に漏れず黛灰のwikiも見て、「黛灰の物語」の項目で頭を抱えた(ネタバレ全開ということで畳まれていたので内容は割愛)。
生前葬の話に戻る。
なんだこれ、遺影めっちゃ動くやんけ。
いやまあ、生前葬というていの凸待ちらしいので動いていてもいいんだろう。多分。多分?
自室で葬式を見るという不思議な感覚もありつつ、参列者と黛灰の会話を眺める。Vtuber仲間やリアルのゲーマーたちが来るのはそれはそうなんだろうなと思いつつ、一見何繋がりかわからないリアルの人間も参列していた。
しばらくしてくるとなんだかしんどいような気持ちになってきた。
「観測できなくなっても人生は続いている」ということだが、いま画面の中で繰り広げられるのは「もう会えなくなる奴との会話」だ。そう思うとしんどさが募り一度配信を閉じた。
そうして生前葬配信が続いている間も、こちらの生活はなんら変わらなかったし眠気には抗えなかった。
日時は変わって「何も準備できてない」と題された配信。
締めくくりはチャンネルの動画一覧を映しながらのメッセージ。
そして、「黛灰宛のメッセージに付く既読」。
ロード中のグルグルが出ても尚流れ続けるコメント欄、ものの試しでF5を押すとぽんと現れるおすすめ一覧。
あぁ、終わったんだな、と。
けれど、一連の出来事で泣けるほど彼についてよく知らないし、追ったと言えるほどの時間も費やしていない。
幸い、黛灰はチャンネルの動画もツイッターも残してくれるということなので、気が向いたタイミングで彼の足跡を辿って、それからまた、生前葬なり最後の配信なりを見て何かを感じようと思う。
そういった行為はきっと、故人の著書や伝記、あるいは手記を読む行為にあたるのかもしれない。でも黛灰自身は生き続けるから、この表現もどこか間違っているかもしれない。
それでも、誰かがいなくなった後もその誰かについて知る機会は存在している。
というのが、「初めて行った葬式」で思ったことだ。
何はともあれ、
黛灰へ、
どっち側にいたって本気度サイコーにTOKIMEKI感じて生きていってください。
今はまだこれだけで。