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ある窓とどんぐり

同じ窓が無限とも思えるくらいに並んでいる光景を眺める度に、僕は『ノルウェイの森』の小林緑のことを考える。彼女はワタナベの寮の全男子が、それぞれに自慰行為にふける様子を想像するのだと語っていた。

かくいう僕も大学生の頃は全員男子の寮に入っていて、それぞれの窓を眺めながら、僕自身もそんな窓のうちの一つを形成していた。男子寮の窓窓において自己と他者のアイデンティティの差異は消滅し、全ての窓は「男子寮の窓」として一体化した存在になる。僕らは一つの窓の景色を形成しているようでいて、男子寮そのものになっていた。

僕の部屋の隣には、当時まだ数少なかった音声配信を毎晩毎晩垂れ流すうるさい男が住んでいた。彼の放送内容は「サボテンの花が咲いた」とか「クジラの潮吹きを顔面で受け止めたらどうなるか」とか「キェルケゴールとたんぽぽ」といった、その脈絡をどのように名状するのか理解に苦しむ内容だった。

ある日、いつものとおり深夜二時頃に彼が放送している内容が壁越しに聞こえてくるのに嫌嫌耳を傾けていると「隣の男について話そうと思います」との台詞が聞こえてきた。「隣の男」というのは僕のことかもしれないし、あるいはもう一方の隣にある誰かも知らぬ男のことかもしれない。

彼は続けてこう言った。

「隣の男なんですけどね、その、僕が住んでいる寮の隣の部屋に住んでいるおそらく20歳目前くらいの奴なんですがね。アイツには僕は一目置いているんです、ほんのところ」

僕はベッドに横たわりながら読んでいたプラトンの『饗宴』を閉じ、壁に耳を押し当てた。

「僕はアイツが、日吉駅の地下ホームにあるベンチに座って、見事な手つきでどんぐりを三つ爪楊枝に刺すのを見たんです。それはもう凄くてね、あんなに確固とした意志をもつ硬いどんぐりを爪楊枝にぶすぶすと刺すことができるのは、冬眠前のリスくらいなものですよ。僕は彼のプロフェッショナルなどんぐり捌きに見惚れてしまって、乗るはずだった通勤快速を乗り過ごしてしまったんです。でもそんなことは全く気にならないくらいのどんぐり捌きなんですよ、実に」

僕はちょっとだけ誠実になり、自分が駅のホームのベンチに座りどんぐりを爪楊枝に刺したことがあるのかどうか考えてみた。けれど、そこには一切の記憶も興味もわかなかった。どんぐりと爪楊枝?

「皆さんもどんぐりを爪楊枝に刺すならね、二つじゃなくて三つです。絶対に三つでなくてはなりません。四つでも駄目。三つなんです。それでは御機嫌よう、さようなら。よい夜を」

そうして、その日の男の放送は終了した。その次の日の放送の題目は「アリエールの不可逆性について」だった。

その日以来、僕はどんぐりを爪楊枝に刺す機会を探し求めているがなかなか邂逅できずにいる。秋のよく晴れた日にシマリスと出会う機会があったなら、少しだけ検討してみようと思う。

(ある窓とどんぐり)