極楽とピーナッツ・バター
肉寿司が過大評価されているなんてポストをXで見かけたけれど、まあそんな考えを持っている人のことをわからなくもない。でもまあ、僕としては美味い肉を上等な食べ方で米と共にたいらげることができて、そこにサッポロの赤星があれば何も言うことはない。
「これが極楽というやつさ」と僕は並本に言った。並本は卓にやってきたばかりのその日7杯目のレモン・サワーを中空を見据えながら半分くらい一息に飲み干し、聞き返した。「極楽?」
「頼めば頼むだけ新鮮な肉が、ちょっと前までは佐賀だか宮崎だかの牧場で元気にやっていた牛たちの肉が手元にやってくる。僕たちはそれをサッポロと共に身体の中に収める。口のなかにはわずかばかりの罪悪感と、牛たちがあるいは身体から落とさなくてはとダイエットに励んでいたかもしれない脂身の味が残る。おかげで僕はもう一杯の日本酒を呑みたくなる」
「なあ、ちょっと飲み過ぎやしないか」と、彼は自分を棚に上げて指摘する。彼は二口でレモン・サワーを三分のニまで飲み干そうとしていた。
「そういう日もあるさ」とだけ、僕は言った。もろきゅうを一つ食べ、脂が染みて変色したメニューを見て、店員に福島の酒を注文した。できるだけ九州から遠い風を感じたかった。
「極楽の定義はなんだ?」と並本は言った。「世の中にはいろんな極楽がある。サンスクリット語でいうところのスカーヴァティーに起源をもとめるのがいいのかもしれないけれの、お前はさ、極楽をどんなものとして設定しているんだ」
「極楽の設定」と僕は言った。店員が日本酒を持ってきて、僕の左肘をカウンター・テーブルからのけ落とすように枡を置き、グラスへ注いだ。ほんの少しだけグラスからあふれた日本酒のことを押し付けがましく言及したその店員に、僕はチップを払うべきかどうか戸惑ってしまった。ここは日本だろう、畜生。
「極楽とは酒か?」
並本の言葉に、僕はすぐに首を振る。酒なんて好きで呑んでいるわけじゃない。できることならばずっと、コーラを飲んでいたい。それもペプシのダイエット・コークがいい。コカ・コーラではいけない。
「そのさ、スカーヴァティーというのはどんな意味なんだい。極楽ということだけど、その原語的ニュアンスみたいなものはあるのかな」と僕は訊いた。
ドイツ語の講義みたいだ。北九州のカウンター寿司屋で、サンスクリット語のニュアンスについて話す人々は世界でも僕たちだけだろう、たぶん。
「幸せ、みたいなとこだろうか。幸せそのものというよりは、幸せの存するところというほうが良いかもしれない。場としての善さがあって、そこにいることが正しくて、心地よくなれるようなさ」
並本の解説を聞き終わり、僕は日本酒を啜った。酸味の強い爽やかな酒だった。でもそれは、極楽にはほど遠い味だった。極楽と酒を同値とできるようになるには、僕たちはきっと『ルバイヤート』を何千回も読みこなす必要があるだろう。
「ピーナッツ・バターだな」と僕は言った。
「ピーナッツ・バター?パンに塗る?」と並本はレモン・サワーを飲み干しながら訊き返した。
「極楽であれ地獄であれ、僕はピーナッツ・バターが無い世界にはいきたくないね。毎朝僕は通販で買った馬鹿でかいピーナッツ・バターの瓶から大さじ三倍のピーナッツ・バターをほじくり出して、パンに塗るやら何やらして食べないと気がすまないんだ。僕は必ず、死んだあとのどこかしらにも持っていくよ。あの世にだってアマゾンは通じているさ」
「ふうん」と並本は言い「次はハイボールにしようか。スコッチはあるかな」と話題を急変させた。もう彼の世界には、極楽もピーナッツ・バターも存在していないみたいだった。
僕は忘れ去られたピーナッツ・バターの瓶のことを思い出し、明朝は二日酔いで食べられないかもしれないなと思った。ピーナッツ・バターがなくたって、正直なところ、誰も困ったりなんかしないことは判っているのだ。
それでもなお、ピーナッツ・バターがある極楽というのは悪くない気がした。さやえんどうの極楽、ベジマイトの極楽、シナモンの極楽、天然木積み木の極楽、政治資金の極楽、酒池肉林、レモン・サワーに福島の酒。それらすべてより、総体としてみるとピーナッツ・バターというのはかなり納得できる極楽の在り方のように思われた。
「それで極楽にはさ…」
並本へ話しかけようとしたが、そこにもう彼は居なかった。手にしていたクラッチバッグも、IQOSも共に去った後だ。
「そういうことね」と、僕は肉寿司に話しかけた。その肉の持ち主がかつて感じていた風をたしかめようとしてみたけれど、一切が静止した店内において僕はただただ時間をもて余すばかりだった。
ピーナッツ・バターを極楽へ持っていく日も、そう遠くはないのかもしれない。
(極楽とピーナッツ・バター/Peanut Butter in 'Sukhavati')