太平洋サウダージ、
門司駅からも歩いて行ける海峡レストラン「ぶぜん」さんの裏には、えも言われぬ夕景と出会える海岸スポットがある。北九州は山もあり海もあるが、とくにこの門司側から見る小倉のやさしい景色は心惹かれるものがある。
日本海側にも太平洋側にも住んだことがあるけれど、どちらの海にももちろん良さはある。ただ、うまくは言えないのだけれど、それぞれの海にはそれぞれの海のため愉しみ方があるような気がしている。それは果たして行動様式なのかマインドセットなのか、僕には今のところ判然としないのだけれど、とにかく太平洋側の海と日本海側の海とではそれをどう捉えるかという人間側の心がまえのようなものが異なるというのが僕の数少ない信条のうちの一つだ。
そんなわけで、僕は静岡に住み始めた初めての夜に石田街道の南端にある浜辺に出て海を見た時、どうもももち浜やベイサイドプレイスなんかとはぜんぜん違う海の様子に戸惑ったものだった。
そこには何か、アート・ブレイキーすらも知らないのにジャズ・バーに来てしまったみたいな、あるいは大豊のことも知らないのにひと昔前の阪神を語らなくてはいけなくなったような、そんな気まずさがあった。
だから僕は、初めて過ごすわが町のものとしての太平洋の海での過ごし方に困り果てた挙げ句、ポルノグラフィティの『サウダージ』を延々と歌い続けるはめになった。
何を許してほしいのかもわからぬままに、僕は遠くマリアナ海溝に眠る笠貝のことを思いながら歌ったのだ。風にのせた歌声は一度高く舞い上がったかに見えたけれど、はずかしそうに砂浜へ潜り込んでしまった。
(太平洋サウダージ/Saudade del Pacífico)