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物語の主人公にとってもっとも大切な要素は「主体性」である!

物語の主人公は、その物語にとって特別な存在である。
なぜなら、物語は「その主人公を描くためにあるもの」だからだ。
主人公の魅力、人間性、主人公が経験すること、考え、思ったこと、感じたこと、行動したこと、主人公の生き様を描くのが、物語の本分なのである。

この主人公を生み出し、描いていくうえで、物語の主人公にとって非常に重要な要素がある。
それは「主体性」である。
「主人公」の「主」は「主体性」の「主」であると、筆者は考えている。

今回は、この主人公にとって大事な「主体性」について考えていきたい。

「主体的な主人公」と「受動的で従属的な主人公」、あなたはどっちの主人公の物語を読みたい?

物語のほとんどすべての主人公が備えていなければならない要素、それは「主体性」である。
主体性とは「自らの考えを持って、自分の意志や判断で、自ら責任を持って、自分から主体的に行動する性質」のことである。
物語に登場するほとんどの主人公にはこの主体性があり、主体的に行動していく。

それに対して「巻き込まれ型」と呼ばれる主人公がいる。
この主人公は次のような特徴を持っている。

・決して自分から行動を起こそうとしない。
・何かの出来事に巻き込まれるまで行動をしない。待っている。
・何らかの出来事に巻き込まれても、自らの考えや意思を持って行動することはなく、常に周囲のこと気にし、周囲の影響に促されて、流されて行動する。
・常に誰かからいわれて行動する。
・自分で考えたり、試行錯誤したり、探し求めたりしない。
・他人に用意されたもの、与えられたものを使う。何かをやるときでも、誰かの後をついていく。
・自分の意志や目標、目的を持っていない。
・自分で道を切り拓こうとしない。
・失敗を恐れるあまり、挑戦をしない。困難に立ち向かわない。

いわば「巻き込まれ型主人公」は、「受動的(受け身)、従属的」な特徴を持っているといえる。

さて、皆さんは「主体的に、自分の意志で自分から行動していく主人公」「常に受け身で、自分の意志ではなく誰かや周囲に流されるままに行動する、人の後ろをついて行くだけの主人公」の2人がいたら、どちらの主人公の物語を読みたいだろうか?

筆者は、主体的に行動する主人公の物語に魅力と面白さを感じる。そんな主人公がいたらその行動や判断の行方が気になりますし、壁にぶち当たったり、失敗、敗北してしまうときに深い共感を覚え、また必死に何としてもその行動を成功したいとがむしゃらにがんばる姿の主人公を応援したい気持ちになる。

それに対して、受動的、従属的で、誰かから何かをいわれ、指示や強制されないと行動しないような自分では何もできない、しようとしない「“待っている主人公」には、読者として何の魅力も感じないし、心も動かされない。その主人公の行動の行方を知りたいとも思わない。
なぜなら、主人公の行動にその主人公らしさ、気持ち、意思がないからである。
そして、それは「ロボット」と同じだ。
当然、自分の言葉や行動にはいっさい責任を取ろうとしない。ゆえに、その行動もいい加減なもの、中途半端なものとして読者の目に映り、そんな主人公では読者の興味を引くことなどできない。誰がそんな主人公の物語を読みたいと思うだろうか。

物語の大前提として、主人公の「行動」を描かなければ、主人公の魅力を描くことはできないのである。

人気作品の主人公は、全員「主体的」である!

プロのつくる主人公、とりわけ人気作の主人公を注意して見てみると、全ての主人公が明確な自分の意志を持ち、自分の目指す目標のために自分から行動に打って出ているのが分かる。
決して、誰かから強制されて仕方なく行動するような人物などいない。「待っている主人公」はプロの作品にはいないのである。これはプロの作品の持つ特徴の1つでもあるのだ。

もちろんプロの物語でも、受動的なキャラや消極的なキャラは登場する。
しかし、そういったキャラは、主人公ではないポジションに限られている。
主人公がそうであってはいけないのだ。
そういうキャラは主人公には向いてないし、主人公を務めることもできない。なぜなら、そういう主人公では物語が面白くならないからなのだ。

消極的で主体性がない人物を主人公にすると、作品が破綻する!

消極的で主体性がない、受動的、従属的な人物を主人公に据えて物語をつくろうとすると、作者が大変苦労する。
多くの場合、物語は完成に至らない。ハッキリいって、地獄を見ることになる。
なぜなら「消極的、主体性がない、受動的、従属的」な人物像の主人公は、自分から行動を起こそうとしてくれないからなのだ。いくら作者が事件や出来事を起こしたりしても、主人公は進んで行動を起こさない。だってそういうキャラだから。
そんな主人公を無理に行動させようとするとキャラの人格が破綻し(言ってることとやってることが乖離し、主人公の人物像がぐちゃぐちゃになり)、結果、物語全てがウソになってしまうのだ。
かといってキャラの性格を尊重して「何もしない主人公」を描こうとすると物語が始まらず、主人公が積極的な行動を拒否して物語が進まず、結果的に作品制作がストップしてしまうのである。
それでも、何とかしようとしてその作品に長い時間をかけて取り組んできた場合、それまでの時間がもったいなくて途中で制作を辞める決断もできず、かといって進められず、そうして5年も10年も永遠に答えの出ない1つの作品をこねくり回して苦しみ、結果的に完成せず、作者が力尽きて制作が「止まる」のだ……。

もしウソだと思うなら「主体性がない主人公の物語」を書いてみると、痛感できるだろう。もちろん、オススメはしないが……。

一応、消極的で主体性がない主人公を動かす方法はあるにはある。
それは、「もう1人、積極性と主体性を持った人物を登場させ、その人物に物語を進めてもらう」という方法である。
これなら物語は進む、……が、その物語はもはや「当初の主人公の物語」ではなく、「もう1人の後から登場した人物を描くための物語」にしかならない。バディものやラブストーリーとして何とか成立させることはできるかもしれないが、やはり作品的には弱くなってしまうので、できれば避けた方がいいだろう。

「じゃあ、ライトノベルとかに登場する主体性がない主人公は何なの?」という意見もあるだろう。
じつはライトノベルでよく見かける主人公には、ある「細工」が施されているのだ。その細工の内容を見ていこう。

ライトノベルなどの主人公は「巻き込まれ型」ではなく「一見巻き込まれ形に見えるが、主体性を発揮して行動を始める主人公」だ!

主人公は主体的でなければならない、巻き込まれ型ではいけないと書くと、「いやいや、ライトノベルなどでは、人気作でも『事件に巻き込まれる主人公』は、いるじゃないか」とおっしゃる方もいるかもしれない。

しかし、その主人公をよく見てほしい。
確かにライトノベルの主人公は、最初は、何もやる気がない、覇気のない、事なかれ主義でめんどくさがり、自分からは行動しようとしない、何事も後ろ向きな人物として描かれている場合が多いだろう。
しかし、何らかの事件や出来事が起きた場合、その人物は自分の目的を持って、主体的に行動を始めているはずだ。
誰かからいわれたり、流されたり、誰かの後をついて行くなどして行動はしていない
ことがほとんどだ。
そこが、「巻き込まれ型主人公」と、ライトノベルなどでよく登場する「一見巻き込まれ形に見えるが、主体性を発揮して行動を始める主人公」との根本的な違いなのである。

たとえば『千と千尋の神隠し』の主人公「千尋」は、始めは消極的で無気力で、ザ・現代っ子という感じの人物だが、不思議な世界に迷い込み、始めは目の前の現実が受け入れられずに逃避しようとするも、親切な青年ハクや千尋を助けてくれる仲間と出会い、豚になった両親を救うために、自分の意志で恐ろしい魔女のもとへ向かい、労働契約を勝ち取る。
その後は、次第に積極性を発揮し、数々の困難や難題に立ち向かい、最後には大切な友人を救うために危険を顧みずに自分からもう1人の魔女のもとに赴いていくのだ。

主人公は、巻き込まれた状況にあっても、決して受動的、従属的なのではなく、始めは右も左もわからずあたふたするかもしれませんが、目の前で苦しむ人がいたり、おかしなことに巻き込まれて大変なことが起きそうになっていたら、自分で何をなすべきかを考え、判断し、その目標や目的を持ち、主体性を発揮して自分から行動を始めていくのである。

ライトノベルの主人公は「受け身な人物だ」という意見は、あくまで読み手の意見、印象である。
なぜなら、作者が苦労して「そう見えるようにつくっている」からなのだ。

しかし、つくり手側にいる方は、受け身な人物では面白い物語はつくれないことは経験から知っている。
つまり、典型的なライトノベルの主人公は「本当は主体性を持ち、自分で行動できる人物だが、読者の共感を集めるために『一見受動的で後ろ向き、めんどくさがり』に見えるようにつくられた人物」なのである。
これが、ライトノベルの主人公に施された「細工」なのだ。

一般文芸でもライトノベルでも、主人公は主体的に行動する時に「輝き」を放つのである。
人からいわれて不承不承行うような人物より、自ら率先して行い、自分で道を切り拓き、しかも決してそれをひけらかさないような人物に、私たちはより魅力を感じるのだ。
余裕ぶって全力を出さない、本気になれない人物よりも、泥だらけになっても必死でがんばる人物に私たちは共感するのである。

どんな物語でも「主体性」「主体的に行動する」、これが魅力的で読者を引きつける主人公を生み出し、描くうえでのもっとも大切な要素なのである。

「行動する人物」「行動しなければならない人物」を主人公にする!

これまでに述べたことから、物語では「行動する人物」「行動しなければならない人物」を主人公にすることがポイントになることが分かる。
行動しなければならない理由を「はじめから持っている」か、「物語の途中で得る」かに関わらず「行動する必要性がある人物」こそが、主人公として描かれるべき人物なのだ。その「行動」を描いたものがストーリーだからである。
行動する必要性があれば、人からいわれてではなく、自分から主体的に行動を開始する。それこそが“主人公”なのである。

主人公は、一生懸命になれる「目的や目標」、必死にやらなければならない「動機」を持っている!

主体的な主人公をつくり、主体的に主人公を行動させるうえで、鍵を握っているのが、主人公が持つ「目的や目標、願い、動機」である。
これは、主人公をつくる際に、主人公の人物像や性格と深く関係する「もっとも大切な要素の1つ」だ。

拙著『シーン書き込み式物語発想ノート』の中で述べたように、主人公は目的や動機がなければ行動することができない。そして、行動することができなければ、主人公は物語の世界で存在することはできないのである。

私たち人間が主体的に自ら行動を起こすときは、その行動を促す強力な「動機」が必ずあるのだ。
つまり、主人公が主体的に行動するには、主人公が何としても達成したい目的や目標、願いや、何を置いてでもやらなければならない動機、大事な理由を主人公に持たせることが大切なのである。

たとえばスポーツマンガでは、ほとんどすべての主人公が次のような動機を持っている。

・「試合で勝ちたい、大会で優勝したい」という強力な目標、目的を持っている。
・しかも、何のために勝ちたい、誰のために優勝したいのかという動機や理由も設定されている。
・そのために何が必要か、どんな行動をしなければならないかを主人公が自分で考え、判断し、自分がやるべき行動を主体的に始め、その信じた道を突き進んでいく。

スポーツマンガで、主人公が「別に試合に勝とうが負けようが、どっちでもいいよ~ん」という人物なら、作品の魅力が半減してしまうだろう。主人公が熱くなれなければ、読者も決して熱くなれない。

また、ミステリなど推理ものの主人公でも、やはり次のような動機を持っている。

・謎を解き、事件を解決しなければならないという「特別な事情、理由、強力な動機」が設定されている(誰かを助けるためには、謎を解かなければならない等)。
・刑事や探偵など、「謎を解かなければならない職業」についている。
・謎を解かなければ大切な何かを失う、大きな損害を被る、命を失うという「謎を解かなければならない状況」に置かれることが多い。

たとえば親友が無実の罪で逮捕されようとしている場合、その親友を救うために主人公は何が何でもその事件の謎を解いて真犯人を捕まえたいと思うはずだ。
推理ものでも、主人公が必死で謎を解かなければならない、自分から主体的に謎を解こうとする理由、動機が必要なのである。

だから、もし自分の作品で主人公が主体的に行動しない場合は、無理にストーリーの既定路線に合わせて主人公を動かそうとせず、まず「その主人公が何としても達成したい目的や目標、必死にその行動をしなければならない動機、理由」を持っているか確かめよう。
もし、そのような動機を持っていなければ、主人公に与えみよう。すると、主人公は水を得た魚のように自分から動き出すだろう。
これが、プロがよくいう「キャラが勝手に動く」といわれる状態なのである。

ストーリーは常に白紙であり、主人公の行動がストーリーになる!

ストーリーづくりでもっとも大事なポイントの1つは、「ストーリーを、主人公の行動によってつくる」ことである。ストーリーというものは“常に白紙なのだ。
キャラを作者の意のままに“動かそう”としてはならない。どう動くかは、“キャラが決める”ことだからなのだ。

作者は主人公の人物像と目的や願いを設定し、主人公の行動の種類を決め、その主人公が置かれる状況や事件を引き起こしたら、後は具体的にどんな行動を主人公が取ろうとするのかを「主人公の身になって考えていく」のだ。
これが、ストーリーづくりでもっとも大事なことなのである。

物語では主人公が自分で行動、判断できるように、常に主体性を持たせて描こう!

主人公が主体的に行動するのを描くうえでは、大きなポイントがある。それは、ストーリーの中で起きる出来事に対して、主人公を常に主体的に自分で判断、行動するように描くことである。
これは、言葉を変えれば「誰かにいわれて主人公が動く」という展開を改善することである。
作者は、主人公が「誰かにいわれて受動的、従属的に行動していないか」を確かめ、万一そうなっていれば改善する必要がある。
目的や動機を持っている主人公でも、作者が油断すると誰かからいわれて作者の意のままに主人公を行動させ、ストーリーの駒にしようとする意識が出てきがちだ。しかし、そうしてはいけない。それをすると主人公の主体性がどんどん失われていくからなのだ。
だから、誰かから何かをいわれてやるようなシーンがあったら、そこを主人公が自発的に考え、行動するようなシーンに変えてみよう。
また、他の登場人物は主人公に働きかけたり依頼、お願いすることはあっても、その依頼を受けるかどうか、お願いを聞くかどうか、頼まれたことに対して具体的に何をするかは、主人公が自分で考えて決定するように描写しよう。
もし困っている人がいたら、助けるかどうかを決めるのは主人公だし、助ける場合もどのように助けるか、その行動を決めるのも主人公なのだ。
できるだけ、主人公が自発的に、主体性を持って自分から何でも行うように描いてみよう。

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主体性を持った魅力的な主人公をつくり、主体的に主人公を描くうえで、また、主人公の主体性の源となる「目的、目標、願望、動機」について、以下のテキストではくわしく解説しています。
ご興味がある方は、よろしければお読みください。


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