遅刻王の僕が、今では一度も遅刻をしない理由

私は遅刻魔だ。
いや、遅刻魔王と言って差し支えないくらい遅刻をする。

まず、中学の時、校内放送で職員室に同学年の3人の生徒が名指しで呼び出しを受けることがあった。
1人はY君。
Y君は小学校の頃に私と一緒に空手教室に通っていたが、
そこまで仲が良いというわけではなかった。
なぜなら、私はカースト最底辺の真面目男子だったのだが、
Y君は学年の番長的な立場だったからだ。
もう一人呼び出しを受けたのは、O君。
O君は茶髪で背が高く、Y君とも仲が良いいわゆるヤンキーだ。
しかし、どちらかというと一匹狼で群れることをしなかった。
後に彼が、校舎の裏でタバコを吸っているのを教師に咎められ、
その教師をボコボコにするのはまた別の話だ。

そして、呼び出しを受けた3人目はなんと、この僕だ。
勝木豪志が呼ばれた。
一瞬耳を疑った。
しかし、その校内放送で、名前は二度繰り返された。
「カツキ ツヨシ」という珍しい響きを聞き間違えるはずはない。
Y君ともO君とも一緒につるんだことはなく、
一緒に呼び出しをされる云われはない。
なぜ呼び出されるのか自分でも分からない。
きっと、Y君とO君にとっても不思議だったはずだ。
「なんで勝木が一緒に呼ばれるんだ?」と。
こういうときは大抵、
3人で悪さをしたから呼び出されるか、
3人のうち誰かが犯人だと思われる何かのことで呼び出されるか、
3人が何かを知っている何かについて事情聴取をされるか、
くらいだ。
しかし、この3人に共通点などあろうはずもない。

職員室に入ると、先生はご機嫌が斜めのようだった。
少なくとも、我々3人が警察に表彰をされるようなことを行い、
例えば、
行方不明だった認知症のおばあちゃんをちゃんと保護した、とか
近所の川で溺れている男の子を3人で協力して助けた、とか
そういう類の話ではないのは雰囲気で分かる。
先生は開口一番、
「お前ら、まだ二学期が始まったばかりなのに、遅刻が多いぞ」
と言った。
全ての疑問が僕の中で溶けた。
真夏の太陽に照らされすっかり溶けてしまったアイスのように、
しっかりと真実の棒が僕には見て取れた。
しかし、Y君とO君は多少面を食らったようだ。
「え?この真面目腐った勝木が?」という感じだろう。
そして、次に先生が告げた。
「Y!お前1学期だけで、17回も遅刻しているぞ。」
「O!お前は22回だ。」
「勝木!お前は28回。」
YとOが驚いて一瞬、僕の顔を見た。
僕は驚かなかった。
ヤンキーの彼らの遅刻は、昼に給食を食べにくるとか、
好きな体育の授業の時だけ来るとか、
そういう感じだ。
僕の遅刻は、1時間目の授業の前に完遂する。
8:40から朝のホームルームがあり、
9:00から1時間目の授業が開始する。
僕の遅刻は決まってこの間に行われた。
だから、ヤンキーの二人には僕の遅刻に気付くはずもなかった。
ただただ、一昔前の芸人の女癖くらいだらしがなかっただけなのだ。

高校に入り、それはより悪化した。
中学は徒歩圏内だった。
だから走ればギリギリ間に合うこともあった。
高校に入り、バスを2本乗り継がなければならなくなった。
しかもたまにバスは遅れることがあり、
そのお陰で僕は間に合うこともあった。
バスが遅れることで、間に合うのだ。
僕はバスの遅れを毎回期待して、
時間通りにバスが来ると憤った。
そうなるとほぼ遅刻確定なのだ。
転機をくれたのは高校3年生の担任の竹田先生だ。
とても素晴らしい先生だった。
それはいつも教師をこき下ろし馬鹿にする僕の両親でさえ、
「良い先生だな」と感心するほどだ。
竹田先生は放課後、教室に残るように僕に命じ、
真剣なまなざしで遅刻を止めるように言った。
残り数カ月しかない学校生活を遅刻なしで乗り切ろう、と。
社会に出る前に変わろう、と。
(僕は大学には行かず、吉本興業で芸人になるつもりだった)
僕は固く決意をし、今でも手に感触をありありと思い出せるほど、
竹田先生と熱い握手を交わした。
そして、その翌日、僕はいつも通り遅刻をした。
竹田先生は何も言わなかった。
決意など、何の意味もなかった。
約束はすぐに破られた。

そして、私は1964年の東海大学付属第四高等学校開校以来の遅刻の新記録を打ち立てた。
恐らく、それは校舎も学校名も変わっていしまった今も、
破られていない記録ではないだろうか。
その後も遅刻や寝坊が原因でバイト先をクビになったり、
就職した会社でも遅刻を繰り返した。

ところが39歳になった今日現在。
会社を遅刻したことは一度もない。
定時は9時出社なのだが、遅くとも8時30分前には着いている。
早い時は7時前に会社に着き、仕事をしている。
これは自分で起業して責任感を持てば変わるという、
そんな説教じみた話ではない。
私は中学の頃から何も変わっていない。
今も遅刻魔のままだ。

私は自分のコンフォートゾーンをズラしたのだ。
単に出社時間を自分との約束で朝の7時にしただけだ。
ただ、実際に7時前に会社に着くのは月に1回くらいで、
7時5分のときもあれば、7時20分のこともあれば、
大遅刻をして8時過ぎることもある。
特に、この冬になってからは寒くて朝にベッドから出られず、
二度寝三度寝をしてしまうことが多い。
暖かい頃は、月の3分の1は、7時前に出社できていた。
それでも月の3分の2は遅刻だ。
そして、この冬になってから約束通りに会社に到着できたのは、
月に1回だけだ。
私は今も変わらずに、時間にルーズだ。
それは初回の結婚時の陣内智則さんの女癖以上のルーズさだ。
しかし、毎日会社には一番乗りで出社をしている。
自分を変えようとするのは大変だ。
人間そうそう変われない。
特に、決意とか約束とか、そういうものが一番危うい。
決意になど何の価値もない。
やるかやらないか、それだけだ。
私は私に対して、出社時間を7時に設定した。
それだけだ。
もちろん、他の全社員の定時は9時のままだ。
今の私の姿を見たら、恐らく竹田先生は感動するに違いない。
人が変わったようだというだろう。
「結婚したからだ」
「子供ができたからだ」
「起業したからだ」
など、人は思うだろう。
しかし、私は今でも変わらず遅刻魔だ。
いや、遅刻魔王だ。
大事なのは自分の性質を変えようとするのではなく、
自分の性質をよく理解し、
どうすればアウトプットを変えられるかだと思う。
大切なのは行動なのだ。
そして行動こそが唯一未来を変え得る力を有している。
2024年からは定時を6時にしようと思っている。

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