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自己プロデュースで舞台公演を敢行.4

2000年代のニューヨークにて、とある有名サパークラブでパフォーマンスすることが決まった。オーディションを受けたその日の夜から自分の出番が組まれ、ほとんど何も聞かされず僕と相棒のビートボクサーは、深夜1時のパフォーマンス舞台に上がる事となった。演目は5分だったものを急遽2分半に短縮というか新しく最初から作り直した。プロデューサーなのか監督なのかわからないが、彼からの指示は、ビートボクサーは舞台袖ではなく舞台の下。僕は刀を振りながら踊り、途中でやられて倒れ、合図がなったら起き上がれ。それだけ指示されただけである。

深夜、楽屋に着くと、他のパフォーマー達が煙まみれの部屋でゲラゲラと笑いながら、おのおの順番待ちをしている。アルコール片手に賭けトランプをやっている人達もいて、なんだかよくあるギャング映画のようだった。


そんなこんなで自分の出番がやってきた。

前のパフォーマーが舞台をインクまみれに汚しまくっていて、これは滑る・・と思っていたが、僕の出番前になるとカーテンが閉まり、4人のスタッフが大急ぎでインクをふき取った。

カモン!!と若干焦っているスタッフにうながされ、

大急ぎスタンバイすると、袖でダンサー、セットというスタッフの声が聞こえた。

カーテンがゆっくり開きはじめた。

それと同時に相棒のビートボクサーがホーミー(モンゴルの伝統的な歌唱法)を始める

ヘリからのサーチライトのような照明が僕に当たる。

僕は動かずただ止まっている。

日本で言う阿吽(あうん)の呼吸が生まれた。

高価なソファーに腰かけたお客さん達が、ワイングラスを片手に息を飲んでいるのがわかった。突然曲が変調し、アップテンポのビートが始まり、僕は刀を抜いて演舞し始めた。

歓声が聞こえ、時にコミカルに笑いを交えながら演舞し、指示通り倒れた

おおおお…と残念そうなお客さんの歓声。これで終わりかと思ったらしい。

その時、後ろの生バンドのドラマーがつたない日本語で「イチ・ニ・サン・シ!!」と発した。

僕は反射的に跳ね起きた。

生バンドが僕の演舞に参加してきた。

なんて最高な日なんだ。

さて3月公演に向けて、スケジュール調整中。

昔のように演者を拘束し、時間を沢山使って舞台を創ることが出来なくなっている。

上手く彼らの日程を調整し、最小限のリハで本番が迎えられるようにするのが今の常識である。そんな都合よくはいかないのである。リハが少なくなると、作品は劣化する。劣化しないまでも真を食わないどこか薄っぺらい作品となる。ではどうするか。自分が時間を割いて、自ら出向き、今回のメンバー達に演技から立ち回り、ダンスを事前に教えていけばいい。高い領域でリハを迎えられるよう、ワークショップを開催すればいいのである。

そして技術をあげていくことと同時に、楽しむ事も感じてもらえればいい。

現在一部のメンバーに試験的に自分の持っている全てのスペックを教えている。

とはいえ、あまり持っていないのだが‥

舞台で彼らが「なんて最高な日なんだ。」とお客さんと一緒に思えるように、それに向けて努力を惜しまないで行こう

25歳の僕

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