Watcher #7
左右の目の、極端な視力差が、幻覚を見る原因になっていることもあるらしい。
多い人は、日に数回も見るという。
おれの右目は円錐角膜というもので、視力が低い。
だから、視力差での幻覚を、おれも見ることはある。
はじめて“あれ”をみる以前から、見ていた。
見るといっても、おれの場合、年に一度みるか見ないかだけど。
視力差の幻覚と“あれ”は、全くちがう。
視力差の幻覚は、幻覚というより、目の錯覚とか、見間違い、と言ったほうが、ニュアンス的にしっくりくる。
視界のはじに、一瞬ネコが見えて、そっちに顔をむけて見るとネコはいなかった、とか、そんなんだ。
“あれ”みたいに、ずっと見えてることなんてない。
しかも、おれは“あれ”を見ているとき、落ち着いている。
幻覚は強い不安や恐怖、混乱のなかで経験されることが多い。
“あれ”は、平常心で持続的に見てえている。
おれみたいに、複数の幻覚を同時に体験する例は、探しても見あたらなかった。
少なくとも、おれがネットで検索できた範囲では。
複数の幻覚というのは、たとえば、幻視と幻聴と幻触を、ということだ。
さらに、それらがバラバラじゃない。
幻視で見ているモノの足音として幻聴があったり、幻視に触れると幻触を体験する。
整合性がある。
幻視と幻聴とでは、原因が異なったりする。
幻視はアルコール依存だったりで、幻聴は統合失調とかで···と。
けっこう強い雨が降っているにもかかわらず、おれはコンビニに向かった。
どうしても甘いモノが食べたくなったのだ。
自分のさす傘に、雨粒が当たる音をきいていると、少し眠くなる。
傘の内側って、パラボラアンテナのようだろ。
だから同じように、雨音の焦点がちょうど、さしている人間の頭のあたりなってるんじゃないかって···
で、音が心地よくきこえるから眠くなるんじゃないかって、勝手に思ってる。
黄色いものが見える。
子供だ。
黄色の雨ガッパを着た。
もう0時だぞ。
おれの足がとまる。
子供の奥に“あれ”がいた。
黄色の雨ガッパばかりに目がとられて、気づくのにおくれた。
“あれ”の大きさは、2メートルくらいはある。
がっしりとしていて、古木のようにも見える。
子供へ危害を加えないか?
そう頭によぎった。
しかし、少し近づくと、そうはならない、という思いにいたった。
“あれ”の頭のというのか、顔というのか、そこへ傘がついているのだ。
ビニール傘が。
一部、骨が折れていて、心もとないけど、子供を雨から多少しのいでいた。
でも、0時ちかくに、子供がひとりでなにしてるんだ。
おれは、子供へ声をかけるか考えてるうちに、「あっ」となった。
あの子供も“あれ”なのではないかと。
おれは自分をが、“あれ”とそうでないものの区別がつくと思い込んでいた。
あの子供は“あれ”なのだろうか。
幻覚と、現実が曖昧になってきている。
その事実を確かめるのを嫌うように、おれは子供と“あれ”を無視した。
そしてコンビニへ向かった。
コンビニで焼き菓子を買う。
帰り道、袋を開けて、食べながら、傘をさしながら、あるいた。
あとは、脳なんだよな···
幻覚の原因で、残っているのは。
そういえば、脳のエネルギーは糖だけだって。
手に持った菓子を、ぼんやりみつめた。
焦点が焼き菓子を通りぬけて地面へ。
濡れたアスファルトが、緑から黄色に、黄色から赤へ。
信号機のあかりを映していた。
眠い···
冬の夜の雨。
脳か···