Watcher #18
おれは、“あれ”が見えることについてSNSへ投稿した。
もしかしたら自分と同じような体験をしている人がいるかもしれない、と思ったからだ。
おれの体験を面白がって人が集まってきた。
オフ会メンバーは、そのなかで仲良くなった人達だ。
おれをウォッチャーと呼んで持ち上げている、いわゆる“信者”とは別だ。
“信者”がいれば、当然その反対の“アンチ”もいる。
アンチがおれに対して、言うことはだいたい「ウソつき」だということだ。
おれだって、おれがした経験を、人の体験談として聞いていたらウソだと思っただろう。
わざわざ「ウソつき」とコメントを送りつけたりはしないけど···
いっぽう、信者がどういう気持ちでおれを持ち上げているのかはわからない。
信者よりアンチの心情のほうが理解できるのは、皮肉だ。
とはいっても、アンチのコメントを目にすることはない。
指定したアカウントの投稿を表示しないようにできる機能をつかっているからだ。
有用なコメントを、アンチコメントに埋もれさすわけにはいかない。
さらに、設定したワードをふくむ投稿が表示されないようになる機能が追加された。
そこでおれが設定したワードは「ウソつき」とかだ。
快適にSNSを使用できている。
あるときオフ会であいさんが、あるユーザーの名前を出した。
そしたら、その場が「あー、やらかした」という空気になった。
おれには何のことかわからなかった。
話を聞くと、あいさんが出したユーザー名は、強烈なおれのアンチらしい。
だけどおれは、そのユーザーを知らなかった。
SNSの非表示機能はちゃんと仕事をしてるようだ。
そのアンチは、おれの投稿へのコメントや、おれに関する投稿が酷いらしい。
酷いというのは、内容もさることながら件数の多さも、だそうだ。
あまりにも酷いので、信者やオフ会メンバーがSNSの運営へ通報していたとのこと。
そのアンチは、アカウントを停止されたことが何回かあるらしい。
「何回か」というのは別のアカウントを作って戻ってくるから、だそうだ。
その度に、同じユーザー名、同じアイコンを使っているとのこと。
停止されても、別のアカウントで戻ってくるので、きりがなかったらしい。
オフ会メンバーは、おれが非表示機能を使っていることを知っている。
なので、いちいち通報するのはやめたそうだ。
一方、信者たちは、こう解釈して沸いていたらしい。
“おれがそのアンチに何を言われても動じないのは、おれの言っていることがウソではなく真実だからだ”
おれは、信者の投稿も“あれ”に関係なさそうなものは読んでいない。
だから、そんなことになっているとは知らなかった。
最近は皆、そのアンチをほぼ放置しているらしい。
おれは、そのアンチの投稿欄を三木さんのスマホで見せてもらった。
全て、おれに対する誹謗中傷だ。
それ以外なにも投稿していない···
流石にここまでとは予想していなかった。
「にしても、何でこんなことするんですかねえ?」
オフ会メンバーのひとりが、三木さんに話を振るように言った。
三木さんの面白い話が聞けるかもしれないと期待したのだと思う。
そしてその期待は応えられた。
三木さんいわく、最近の研究では、人の悪い噂をするのは生存本能とされているという。
しかもそれは、時に食欲や睡眠欲を上回るものだそうだ。
農耕がはじまる前後の時代の人間の骨を調べたら、ある傾向があったらしい。
頭蓋骨の左のこめかみ部分に穴が空いたものが多くあったという。
これは肉食動物に襲われてついた傷ではない。
明らかに人が石器など道具を使ってつけた、致命傷だそうだ。
その時代は、群れにとってお荷物だと思われた人間の間引きが行われていたという説が濃厚だとのこと。
こめかみに穴の空いた遺骨は、全体の2割近くだという。
この割合は、飢えによる死亡率より高い。
ここから導きだされることは、“群れにとって有用な者であると思われたい”という欲求が食欲に勝る生存本能であってもおかしくないということらしい。
群れの他のメンバーからの評価が生き死にへ直結していたわけだから···
いわゆる承認欲求と呼ばれているものがそれにあたるそうだ。
そしてさらに、“次に間引かれるべきなのはあいつだ”と、間引きの照準を自分以外にむけさせるために、他人の悪い噂を流す本能を人間は持っているのではないかと言われているそうだ。
そして、人間の脳はその時代から進化していないとも。
間引きがほとんどない現代では、人の悪い噂を広める本能は不要になっている。
にも関わらず、それは悲しいくらい本能としてそこにあるそうだ。
最後に三木さんは、
「まあ、それが本能であることは、その本能に負けてしまうことの免罪符にならないけど···」
と、つけ足した。
これはおれに気を使って、というより、そのアンチを擁護する意図はないと、仲間内へ自分のスタンスを示したのだと思う。
オフ会の終りがけに、三木さんがおしえてくれた。
むかし流行ったが、今では廃れてしまったSNS···
そこに、そのアンチとまったく同じアイコン、ユーザー名のアカウントを見つけたと。
三木さんはそのリンクを送ってくれた。
帰る途中、気になってリンクを開いた。
確かにあのアンチと同じユーザー名、アイコンだ。
そのアカウントは誰にもフォローされておらず、そこには一つだけ投稿があった。
投稿したのは、かなり前のようだ。
誰も俺を相手にしない。
俺は本当に存在しているのか?
おれは、見てはいけないものを見てしまった気がした。
いっさい光の届かない闇を覗いているような。
それから、少し遅れて胸がつまった。
この人は、自分の存在すら疑うほど、誰にも相手にされていないと感じていた···
この人にとって、信者がいるようなおれの状況は、自分の状況と真逆で、強く望んでも得れないものだ···
そして、この人から見たおれは、自分が望んでも得れない状況を、ウソをついて不当に得た許せないやつなのかもしれない。
おれに対するコメントや投稿は、嫌がらせではなく糾弾なのだ。
正直な自分は誰からも相手にされず、卑怯なおれが得をしている···
自分が正しいのに、誰も味方がいない···
そんな状況を想像したら、ぞっとした。
そう言えば、さっき三木さんのスマホで見せてもらった、この人のSNSの投稿欄は、おれに関する投稿しかなかったな。
誰にも相手にされていないと感じながら過ごす···
もしかしたらこの人には、投稿にあたいする日常がなかったのかもしれない。
おれへの糾弾のみが投稿にあたいして、ほかに書くべきことが何ひとつない。
誰にも相手にされず。
何もおこらない。
そんな日々。
スマホを持った手···
おれの指先は少し震えていた。
おれは思わず、廃れてしまったSNSの、この人の投稿へコメントしようとしていた。
コメント入力欄を探しても見つけられず、一瞬混乱した。
そうか···
おれは、廃れてしまったSNSのアカウントすら持っていない。
登録してログインしないとコメントできないのか···
落ち着こう。
スマホから視線をはずし、辺りをながめた。
街頭に設置された、消火器の収納箱に目がいった。
なかには“あれ”がいた。
口を開け、もの言いたげにしている。
だけど、声にならず口をつぐんだように見えた。
何かを諦めたのか···
おれは指先はまた少し震えていた。