Watcher #23
怪談大会になってしまった、プチオフ会で三木さんの話に出てきた、トマソンというものが気になった。
調べてみたら、アートの言葉であることがわかった。
おれは美術館へは、まず行かない。
だけどおれには、好きな“現代”アートというやつがある。
ひとつだけだ。
他は知らない···
ウォーホルが現代アートなら、ウォーホルは知っている。
でも、よくは知らない。
ちなみに、好きな作品と言いながら、おれはその作品を観たことがない。
検索して、画像では見たけど···
なぜ好きになったかというと、その作品の話を聞かせてもらったからだ。
教えてくれたのは、数度オフ会に来た女性だ。
彼女は若手の美術家だった。
おれは“美術家”になんて初めて会った。
彼女に教えてもらったのは“偽薬”という作品だった。
作者はフェリックス・ゴンザレス=トレス。
おれは、この作者をフルネームで言えるのが少し自慢だ。
偽薬には形がない。
偽薬はキャンディでできている。
銀色の包み紙につつまれた複数の飴玉だ。
それは、美術館の床一面へ広げたり、展示室の角にこんもりと盛られて展示されていた。
その飴は来場者が持ち帰っていいのだ。
というより、持ち帰ってもらう。
そういう作品だ。
それを聞いたとき、前衛的すぎて、おれにはわからないと思った。
そんなおれに、彼女はさらに詳しく偽薬のことを教えてくれた。
飴の総量の重さは、作者トレスの亡くなった恋人の体重と同じだという。
トレスはゲイで、亡くなった恋人のロスはHIVだった。
HIVは、いまでこそ薬によって症状をおさえれる様になったが、トレスの活躍した90年代、HIVはまだ不知の病だった。
恋人のロスと同じ体重のキャンディーを来場者が持ち帰って、展示場から作品はなくなる。
恋人、ロスの喪失を再現している。
何故そんな作品を作ったのか?
トレスはインタビューで答えていたそうだ。
トレスは、痛みをコントロールするためだと言った。
恋人のロスを失った痛みを。
恋人を亡くして失うことを作品で再現することで、痛みをコントロールするのだと。
それで作品のタイトルが偽薬なのか···
そう思っていたおれに彼女はつづけた。
「トレスは偽薬で痛みのコントロールはできていなかったと思う」と。
おれもそう思った。
なぜなら、偽薬は偽薬とわかっていたら、偽薬効果は得られないはずだ。
彼女は、
「私が勝手に思っていることなのですが···」
と、前置きをして言った。
トレスの辛さが紛れていたとするなら···
それは“偽薬”の影響ではなくて、もうすぐ自分も死んでしまうという予感だったのかも···
ロスの元へ行けるという予感が、トレスの辛さを紛らわしていたんじゃないか、と。
彼女はそう言った。
トレスもHIVに感染していた。
38歳で亡くなっている···
おれに“偽薬”を教えてくれた、その美術家の彼女は、もうオフ会に顔を出していない。
最後に来たとき、彼女はおれに、ある想いを打ち明けていた。
「私には、本当は才能があるのに『“凄いこと”をいつも思いつき損ねてるだけだ』っていう感覚があるんですよね」
おれは、いまいち彼女が何を言ってるかわからなかった。
さらに、
「バカですよね···」
と。
小さくつぶやいてたので、ほとんど聞こえなかったが、たぶんそう言っていた。
つづけて、
「そう思わないとやってられないんです···」
とも言った。
彼女はそのあと、同期の美術家の話をした。
美術大学で、彼女と同級生の女の子の話だ。
その同級生の女の子はとても美人だったという。
彼女と同級生の女の子、ふたりは美大を卒業したあと、美術家になることにした。
美術家として活動するのに、最もスタンダードな方法は、ギャラリーと契約するものだそうだ。
ギャラリーのオーナーにアポを取って、ポートフォリオを持って売り込みにいく。
実績のない若手が契約にこぎつけるのは難しい。
彼女はいくつものギャラリーを回ったそうだ。
けれど、ギャラリーと、契約できることはなかった。
なので、アルバイトをしながらコンペへ応募し、実績を作ることにした。
生活費だけでなく、コンペの参加費も作品の材料費も稼がないとならない。
コンペへ出品する作品は、大型のものばかりだそうだ。
送料だけでもバカにならないという。
かといってバイトばかりしていたら作品は作れない。
苦労をしていたそうだ。
一方、同級生の女の子は、老舗ではないが、勢いのある有名ギャラリーと契約をあっさり取りつけた。
第一希望がそのまま所属ギャラリーになったそうだ。
そのあとも、雑誌で紹介されるなどされて、トントン拍子で売れっ子美術家になった。
一方彼女は、小さなコンペで、たまに入選などはしていたそうだ。
けれど、ギャラリーとの契約の決め手になる実績は、なかなか得られなかった。
同級生の女の子を横目に、バイトに時間をついやし、もどかしい思いをしていたという。
制作がしたいのに、思うように時間が作れない。
いっそ美術をやめてしまおうか、という思いがわいては、かき消して、過ごしていた。
そんななか、同級生の女の子は、有名キュレーターとの結婚を機にあっさりと美術をやめてしまった。
彼女は、同級生の女の子が、何でやめてしまうのかと憤ったそうだ。
私の方が美術を好きなのに、何故その気持ちが報われないのか、と。
でも同時に、その気持ちをはっきりと正当化もできない。
同級生の女の子がどんな選択をしようが自由だ。
同級生の女の子は美人だから報われて、私は不美人だから、報われない···
たしかに正直、彼女は見た目で得することはないだろうなと、おれは思ってしまった。
そんな風に妬んでしまう自分が嫌だと、彼女は言った。
彼女は真面目だ。
おれなら、開き直って、その同級生の女の子は、作品じゃなくて顔で選ばれたって、決めつけるけどなあ···
同級生の女の子の幸せを祝福したいのに、負の感情がわいてくるのを抑えれなかったという。
それが苦しいのか···
それで“自分には才能があるのだけど、たまたま凄いことをまだ思いつけていないだけだ”という、願望なのか···
そうであってほしいという願いは、言ってみたら彼女の偽薬だ。
トレスは偽薬を偽薬だとわかっていたが、彼女の言う通りなら、別の救いがあった。
それは、迫りくる死期だったのだけれども···
彼女の“凄いことを思いつき損ねてるだけだ”という思いは、彼女の苦しみに対してちゃんと効果を発揮しているのだろうか···
おれは彼女に、なんでこんなオカルトめいたオフ会に来たのかと訪ねた。
彼女は、おれの発想が凄いからだと言った。
おれがSNSに書いている“あれ”のことを読んで凄い発想だな、と思ったそうだ。
つまり彼女は、“あれ”をおれの創作だと思っていたということだ。
そう思われても、何とも思わない。
いちいち、そうじゃないと釈明しようとは思わない。
説明しようにも、おれ自身が“あれ”がなんなのか、何も確信していないのだから。
どんな人なのか、見てみたかったと···
それでオフ会へ顔をだしたのだと、彼女は言った。
おれに思いの丈を打ち明けたのを最後に、オフ会で彼女の姿を見ることはなくなった。
SNSでやりとした覚えはなかったが、彼女とはつながっているはずだ。
彼女のアカウントがあった、外部リンクが貼ってある投稿がされていた。
リンクを開くと小説投稿サイトだった。
彼女が書いた、フェリックス・ゴンザレス=トレス目線の小説だった。
おれはそれを読んで、彼女は願望以外の救いを見つけたんじゃないかと予感した。
あっそうだっ、この前見た“あれ”は、アートっぽかったな···
おれの頭に、あんな発想はない···