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日本人が一度は訪れるべき中国東北部の地、ハルビン。

日本人として、一度は訪れたいと思っていた侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(以下、731部隊博物館)と周辺の遺跡へ行ってきました。

中国ハルビンに存在した大日本帝国陸軍731部隊施設の跡地に建設された戦争祈念施設は、北京から高铁で5時強、中国東北部をめぐる旅となりました。

日本人は太平洋戦争における「加害者としての歴史」を詳細に学ぶことは少ないため、『731部隊』自体が私たちの世代には馴染み薄いように思います。しかし、2024年8月13日に元少年隊員の清水英男氏(94)が慰霊訪中したことで日中のメディアが注目したため、両国国内での知名度は上がっているのではないでしょうか。直近およそ1ヶ月間北京にいる私は、現地で中国国民の反応を観察していました。その感想は別途話そうと思います。

731部隊とは、中国を舞台に残酷な人体実験を行った日本軍の一部です。部隊長は石井四郎、京都帝国大学出身の軍医でした。そのため同機関は、『石井機関』とも呼ばれています。

この地で一体何が起きたのか、思想の問題ではなく、現実に起きてしまった事実として、日本人は真正面から受け止める必要があります。ここでは一つ、その回想録を紹介します。

731部隊の「ロ号棟」で衛生伍長をしていた大川福松は、2007年4月8日、大阪市で開かれた国際シンポジウム「戦争と医の倫理」に出席し、

「子持ちの慰安婦を解剖した、母が死んだ後にその子どもは凍傷の実験台に使用した。」

と証言しました。

以下、具体的に何が行われたのか、大阪市立大学『第4回 日本軍による人体実験』レポートより引用します。
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 日本軍によって行われた人体実験(生体を用いた殺人的実験)には、次のようなものがあります。

(1) 手術の練習台にする
(いわゆる「手術演習」。生きた人を使って戦傷などの手術[虫垂切除、四肢切断、気管切開、弾丸摘出など]の練習をして殺す)

(2) 病気に感染させる
(ペスト、脾脱疽【炭疽】、鼻疽、チフス、コレラ、赤痢、流行性出血熱など。その目的は、未知の病原体を発見するため、病原体の感染力を測定するため、感染力の弱い菌株を淘汰し強力な菌株を得るため、細菌爆弾や空中散布の効果を調べるため、など、さまざま。被験者は死後に解剖されたり、感染確認後に生きたまま解剖されて殺されました)

(3) 確立されていない治療法を試す
(手足を人為的に凍傷にしてぬるま湯や熱湯で温める[凍傷実験]、病原体を感染させて開発中のワクチンを投与する、馬の血を輸血する、など)

(4) 極限状態における人体の変化や限界を知る
(毒ガスを吸入させる、空気を血管に注射する、気密室に入れて減圧する、食事を与えずに餓死させる、水分を与えずに脱水状態にする、食物を与えずに水や蒸留水だけを与える、血液を抜いて失血死させる、感電死させる、新兵器の殺傷力テストを行う、など)

 (1) は上述のように軍医教育の一環として、各地の陸軍病院などで行われました。一方、(2) (3) (4) は七三一部隊をはじめとする石井機関で主に行われました。実験経過は記録され、映画フィルムに撮影されて、軍医および軍属(軍人ではなく、軍に所属する民間人)の医師たちによる部隊内の報告会で発表されました。

 また七三一部隊は、中国大陸において実際に細菌兵器を使用していたことが明らかになっています。それは少なくとも、ノモンハン作戦(1939年)寧波作戦(1940年)常徳作戦(1941年)ズエガン作戦(1942年)の4回ありました【常石敬一『七三一部隊』p.145】。寧波作戦では、ペスト菌で汚染したノミ(「ペストノミ」)を穀物や綿にまぶして爆撃機で投下し、100人以上の住民がペストで亡くなっています。
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なぜ起きたのかについては、前述したレポートにその役割を譲ります。

731部隊の被害者となったのは、スパイや「思想犯人」(民族主義者や共産主義者)の疑いをかけられて捕まった中国人やロシア人、朝鮮人、モンゴル人などで、その中にはごく普通の農民や女性・子供も含まれていました。細かな人数割合については、未だブラックボックスです。

命の価値に違いはないことは言うまでもありませんが、戦争という状況において一般の市民であった被害者本人、その家族や友人たちに対しても強烈な痛み、苦しみ、憎しみを負わせたことは違いありません。その点、思想の有無を問わず、原爆の被害を受けた人々とも重なります。国家という枠組みで軋轢の耐えない日中関係ですが、国家を構成する一人一人の人間同士が痛みを抽象的に想像し、理解し合うことは可能です。そのようなことを考えてゆくと、国家とは暴力装置だなとつくづく思います…

もし仮に、自身が731部隊やナチス・ドイツによる暴力の被害者となったとき、自分の両親や兄妹、子供が直接の被害者となったとき、私やあなたは何を思うでしょうか。心身の痛み、苦しみ、憎しみが体をおおってゆく。人間としての尊厳を引き剥がされてゆく。それが昨日まで日常を送っていた人々であったとしたら、尚更、胸が引き裂かれる想いです。

私にとってはウクライナでの体験がまさにそうでした。

そうした行いを、他人にすることを肯定できる理由などあるでしょうか。決してあるはずはありません。それが例え国家のため、その国の多くの民の命のためであろうと、それは肯定されてはならないと思います。それが肯定されてしまったなら、世界に残るのは、憎しみと虐殺を肯定して生き延びた愚民だけでしょう。

幾分かの人々は、弱肉強食だ、犠牲を伴わない成果などない、と偉ぶります。さらには、こうした意見に大して腰抜けだと批判するかもしれません。しかし、そのような動機は、多くの場合、残虐な行為を行うための自己防衛、正当化、戯言にすぎません。腰抜けという言葉がより似合うのは、いずれの綺麗事でしょうか。

戦後、部隊に所属していた医師たちは、アメリカに研究資料などを提供する見返りとして、戦犯免責を受けています。戦後、ナチス・ドイツの要人たちは裁かれましたが、アメリカという大国の都合で731部隊は影を潜めてゆきます。それがゆえ、2024年8月13日の元少年隊員清水氏の訪中は、注目を集めたのでしょう。

一部記録によると、731部隊の実験データの多くは元隊員たちが密かに持ち帰ったため、最終的にはアメリカ軍の戦後の生物兵器開発に生かされたと述べられています。また、人体実験に手を染めたものの、ハバロフスク裁判を免れた軍医たちは連合国から戦犯として裁かれることなく、大学医学部や国立研究所や各地の病院に職を得たそうです。

常石敬一が編訳した米軍資料によれば、アメリカ政府は、日本の生物戦研究情報は国家の安全にとって価値があり、他国に入手されないためにも「戦犯」裁判にかけるべきではない、と結論した経緯があります。

こうした過程をみていると、何がこの世の正義なのか分からなくなります。同時に、国家という発明は、大切なものを人間から奪い取ってしまった気がしてきます。いや、国家以前から人類は争ってきました。

それこそ、「他者の痛みの想像」を概念で区分けし、規定するという罪を犯し続けてきた認知力の乏しい地球上の支配者たる所以なのかもしれない。

無理やりに本論をまとめてみると、戦争については世界が日本で起きた事実を認識し、日本が世界で起こした事実を認識する。しかし、全ての事象を詳細に評価することは叶わないからこそ、特定の政治思想や利害に与せず、少なくともその痛みを感じ取れる心を醸成することに努めることには、意味があります。これだけ歴史のケーススタディを持ちながら争い続けるのは、それこそ人間が存在してる意味はあるのかと疑問が浮かびます。残虐な限りを尽くすために存在していると言い張るならば、ジャングルでゴリラと格闘でもしていて欲しいものです。

このたび731部隊博物館と周辺遺跡をこの目で確かめ、「今、私は愚かなことを犯していないだろうか」と胸に手を当て、自らの行動と人生を内省し、後世で開かれた形で裁かれた場合、それは「人類の平和に寄与したのか、それとも己の自己正当化とプロパガンダの泥酔者となっただけなのか」について、思考をめぐらせながら生きてゆきたいと思う訪問となりました。

最後に、どのような国家も犠牲者への追悼を政治の道具として用いることを慎むべきだと思います。政治的な動機によって生じた個人の人間の歪みを、政治による政治的な問題として用いては、犠牲となった故人に顔向けなど出来ません。特定の国を非難する材料として利用することは、両者の事象の違う痛みを、抽象的に共有し、理解するために想像することを難しくするでしょう。

一人の人間として、その痛みを想い、忘れぬよう記憶し、後世の世界に生かしてゆきたいものです。

2024.08.24
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館訪問記

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