勤続25年の男達を追いかけた女達の話
2020年11月1日、 V6が25周年を迎えた。コロナ禍において周年ライブの開催はほぼ絶望的と思われ、実際そのつもりでいたけれど、彼らは「配信ライブ」という形でわたしたちに記念すべき25周年をお祝いする機会を与えてくれたのだった。
そして、2021年11月1日、V6は解散する。
こう書いてみて、やっぱり愕然としてしまう。発表があったあの日からずっと、愕然として、受け入れて、やっぱりまた愕然として…を何度も繰り返した。何度も何度も何度も。たぶん11月1日を迎えるまで繰り返すんだろうと思う。もしかしたら、その日が過ぎたあとも。
彼らを好きになったきっかけは姉だった。森田剛くんのファンだった彼女の隣で何の気無しに一緒に観た歌番組。そこで私は坂本くんの歌声を初めて聴いて、そしてそのまま彼を好きになったのだった。それから約25年、私はずっと姉の隣でV6を見てきた。言い換えれば、V6を見る姉を、ずっと隣で見続けてきた。私にとってV6との思い出はそのまますべて姉と私の歴史であり、重ねてきた時間そのものなのだ。だから漠然と信じていた。終わりがくることなんてあるわけない、と。
でも現実、終わりはやってくることになった。そりゃあそうだ、永遠なものなんてない、ってKinKiも歌っているし、彼らも私も姉も26年分の歳をとってしまった。永遠なものなんてない。その残酷な現実と何とか折り合いをつけるべく、これを書いている。V6への出せない手紙、わたしたちの思い出のアルバム。ちゃんとnoteっぽい文体にもしてるつもりだけどこれ如何に。
いつのことだか思い出してみると、私たちの全盛期はおそらく10周年の頃だ。姉が社会人、私が大学生で、少しだけ大人になった私と学生時に比べ経済的余裕を手に入れた姉は「同じ公演に複数入る」ことを解禁し、遠征という禁断の果実にも手を出して、とにかくV6のファンをエンジョイしていた。生まれてはじめての、というか最初で最後になった握手会に行ったのもこの時。始発で会場に向かって、ドキドキしながら列に並んだあの日のことを昨日のことのように覚えている。着ていた自分の服も、何を話したかも。何時間も待った末にようやく会えた6人と握手をして、言葉を交わして、今世界一幸せな空間がここにあると思った。
思えばV6はわたしに幸せだけをくれた。KinKiのことでは泣いたり悩んだりぶんぶんに振り回されたりしてきたけれど、V6にはそれがなかった。V6は、坂本くんは、いつだって笑顔と安心をくれた。You are my shelter、坂本昌行はずっとわたしの避難所だった。
そしてもうひとつ、彼らがわたしにとって特別な理由は、これまでの彼らとの思い出はすべて姉というバディと積み重ねてきたからにほかならない。もともと仲の良い姉妹ではあったけれど、V6という存在を通して私たちは分かちがたく固い絆で結ばれたと思っている。古のジャニオタアイテムである紙バッグも、昔からずっと使い続けているうちわも、姉が作ってくれた。わたしのコンサートデビューは中学生の時で、お金もないくせに朝から張り切って会場に向かって、お店に入ることもなくひたすらに外の階段に座って話しながら開演を待った。成人してからはコンサート帰りに飲みに行っては感想を話し合うのがお決まりのパターンだったし、何を着ていくか、どこで何を食べるか、何週間も前から相談しあって決めるのは本当に楽しかった。
姉が結婚したとき、このバディも解消だと思ってひどく絶望したけれども、蓋をあけてみればなんのことはない、独身時代よりもはるかにたくさん私たちはV6に逢いにでかけた。仙台、大阪、福岡、新潟、遠征もたくさんした。数え切れないくらいたくさん、楽しくて幸福な思い出を作ってきた。それが、あと数日で終わるなんて、やっぱりピンと来ない。
去年の秋、25周年LIVEが配信される、と決まった時、私たちは一瞬真剣に悩んだ。どうやって一緒にそれを観るか、について。別々に観るなんて選択肢はハナからなかったけど、私は仕事があるし、姉は育児があるからだ。まあ結局のところ私たちは恵まれた能天気姉妹なので、親パワーアンド旦那さんパワーメイクアップで姉家族もろとも無事実家に集結し、事態はあっさり解決したわけなんだけれど、この日わたしたちが目にした光景はある意味で終わりのはじまりであったことを後に知ることになる。っていうか、この時、6人はすでに解散を決めてたわけでしょう。あんな大団円みたいな雰囲気出しておいて。いや、だからこそあんな雰囲気を出せたのか。どっちにしたって、わたしたちファンが25周年を心からお祝いしていたあの瞬間、彼らだけは自らの終わりを知っていたわけだよ。そんなのって、どうなのよ。悲しいのか尊いのかわからない。
そして今年、2021年11月1日。どうやってその日を迎えることになるのかずっと考えていたけれど、結果、ラストコンサートを姉の名義がぶち当てるという奇跡が起こった。中三だったわたしを初めてコンサートに連れていってくれた、お姉ちゃんの名義。26年間というこの長い長い間、彼女の唯一はいつもV6であり、森田剛だった。自分が結婚して、出産して、ごうくんも結婚して、何もかもが変わったけど、V6を、ごうくんを見ている時の姉は昔のまんまの、お姉ちゃんの顔をしている。わたしもきっと、昔のまんまの顔でそれを見ているんだろう。
いよいよXデーを目前に控えて、テレビやラジオでも怒涛のV6祭りが始まった。文字通り、最後のお祭り。今のところわたしはそれをほとんどスルーしている。恵まれた脳天気姉妹の本領を再び発揮して、二人揃ってそれらを観るためだ。親の力を借りて、お酒の力も借りて、夜っぴて泣きながら最後のテレビ出演を見届けて、翌日にはそのまま解散コンサートに出かける。その日がもうすぐそこまで迫っている。全然ピンと来てないけど。来る気配すらないけど。
なんの根拠もないけど、泣き虫な姉といるとわたしは強くなれるので、きっと上手にV6とお別れできると思う。号泣する姉の肩を抱いて、わたしも泣いて、でもちゃんと手を振って、手を振らせて。うちわに気づいてもらって、ファンサも絶対もらおうな。必ず最高のお別れをさせてやるから。成仏しような、わたしたち。
コンサートがおわったら、泣き疲れた姉の手を引いて、一緒にうちに帰ろう。帰ったら、いつもみたいにたくさんの感想を話そう。ビールも飲んじゃえ。パンフを読んで、また泣いて、そうこうしているうちにその日が終わる。V6が解散する日が終わる。
それから先のことは…その時考えればいいや。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?