元治二年の三月三日
住友春翠は徳大寺家の出身だが、生まれてからずっと徳大寺家で育ったわけではない。
彼は元治元年の十二月に生まれたが、その翌年の一月には既に、東儀頼玄に預けられていた。何か深い事情があったわけではなく、当時の公家の世界はそういうものだったそうだ。頼玄の妻のつるが、隆麿(のちの春翠)の乳母となった。
隆麿が初めて徳大寺家に来たのは、元治二年の三月三日のことだった。父親である徳大寺公純の日記には「冱寒雨降」と書いてあるそうで、残念ながら天気は良くなかったようだが、隆麿はつるに連れられてやって来た。
男の子なのに三月三日?と思うが、この日は最近ではあまり使われないような気がするが「上巳の節句」である。今と異なり女の子だけの節句ではなかったということだろうか。しかし、この後の初めての端午の初節句では、隆麿の兄たちも徳大寺家に来て祝っており、三月三日の「御酒遣了」とは明らかに力の入れ方が違う。
ささいなことかもしれないけれど、しばし立ち止まる。
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