「学びの楽しさ」とは?〜ひめインタビューvol.2~
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひめが思う「学びの楽しさ」とは?
ちず:ひめちゃんが思う「学びの楽しさ」はどんなところにあるのかな?
ひめ:わたしが初めて「学ぶっておもしろい!」ってなったのは、いつか、小学校の先生になりたい!とあこがれるきっかけになった当時の担任の先生の授業。
算数めちゃくちゃ嫌いだったんですけど、デシリットルとリットルの概念がもう、本当にわからなさすぎて。
なんで、かさをデシリットルとリットルで表す必要があるのか?と思っていた(笑)
1リットル=10デシリットルだけど、なぜ10に増えるんだ?とか(笑)
数という概念が、私のなかではちんぷんかんぷんというか...理解できる範囲を超えていて、わけわからん...ってなってて。
それで、なんとかしてわかってほしいと思ったのか、先生が、コーヒー牛乳を持ってくるという技に出るんですよ。(これ、今、自分の職業的な立場から見ると、管理職の先生とかOKだったのかな....と思ったりするけど...笑)
透明なおしゃれ容器にコーヒー牛乳を入れてくれて、どう分けたら、みんながおいしく飲めるかを考えるみたいな授業だったかな、をしたんですよね。
それで、やっとわかった気がして。
これまでの教科書の図にあるデシリットルの概念は平面だったのもあったからか、全然わからなくて。でも自分でコップに入れてみて、飲んでみる、みたいな体験とか、みんなで乾杯するのもすごく楽しかったし、理解ができた。
授業って、こんなふうにしてもいいの?という衝撃もこどもながらにあって。授業の概念が覆ったという体験があった。
6年生でもう一度、担任を持ってもらったんですけど、先生が社会科の専攻で、社会が好きだったというのもあり、歴史の授業をおもしろくしてくれて。
「大仏の大きさってどのくらいだと思う?」って聞かれて、
教科書に書いてある「2m」とかって答えるんですけど、
「それを今日は今からつくります!」って言われて
「このグループは耳班」「こっちは目班ね〜」って分けられて、
ダンボールや模造紙を使って、図って、立体で作って、しばらく教室に大仏の目や耳を飾って、記念撮影したりして、めちゃくちゃ楽しかった。
教科書にある学びをそのまま教えるじゃなくて体感的に学ぶ、視覚的に学ぶ、五感で学ぶという授業をしてくれる先生に、ありがたいことにたまたま小学校のときに出会えた。
社会ってなんて面白い世界なんだ〜!国語っておもしろい!嫌いな算数でも、楽しい時もあった。そういう原体験が自分の中にある。
大学生になって、先生になるための勉強をしていた時も、教科書のことをそのまま教える先生になりたくなかった。だから、世界一周しようと思ってました(笑)結局ゲストハウス開業することになって行けなかったけど…。
自分の目で見たり、聞いたり、感じたことをこどもたちにつたえられる先生になりたくて、自分の世界を広げたり、いろんなひとと交流したり、いろんなことにチャレンジした経験を持った上で先生になりたかった。
自分自身が学ぶことの楽しさを知っていたし、それを伝えたい、こどもたちと共有したいなという思いがあった。今も、五感で学ぶとか、覚えるじゃない、学んだことが社会の中でつかえることがわたしにとってのおもしろさだったり。
「知らないことを知る」ことで見えなかった世界が見えたりとか、自分の想像を超えるような何かに出会えたとき、めっちゃおもしろい!ってなるかも。
うまくことばにできないけど...
ちず:けっこう「体験」が大事なのかなって聞いていて感じたのだけど、実体験につながる、体験談を伝えることでの学びを大事にしているのかなという感じがしたし、受け取った人の次の体験や生活に生かせる学びを大事にしているのかなと思った。
ひめ:そうかもですね〜。自分のことばで表現することが好きで、自分が見ておもしろかったものとか、感じてよかったことをだれかと共有したいという欲がすっごい強い。
「今、こういうことをおもってて...」みたいな話が出ると、「あ、じゃあ、これおもしろかったから、ぜひ!」みたいな。すごいおすすめしたくなっちゃうというか。自分が持っている知識や経験をだれかに共有できるのがすごく楽しい。ちょっとおせっかいかも(笑)
ちず:それ、受け取るこども、絶対楽しいよ〜。
ひめ:「ちょっと、これさ、一緒にやろうよ」とかいうのが好きかも。一方的に教えるスタイルが自分には合わなくて、というか、やりたくなくて、教科書のことをそのまま教えるみたいな。
それよりも世界はもっと広いよ、とかもっといろんなあり方があってもいいよ、わたしもわかんないしね、そういうことがいえる人でありたいから「先生」じゃない道を選ぼうってなったところもあるんかな。
自分にもっとスキルがあれば、先生という形でももっと違った乗り切り方があったかもしれないんだけど、大学出て、講師1年目ではできなくて、だんだん同じことをやるというか、準備を十分にできていなくて教科書の解説を読み上げるみたいな授業しちゃうときもあって、それがわたしはしんどくて。
慣れだよ、と言われたこともあったけど、慣れたくない自分もいて。もっと、自分の引き出しを増やしたかった。学ぶことのおもしろさを一緒に味わえるようになりたくて。
一方で、自分なりにおもしろく授業をさせてもらったこともあって。
絵本を、学校の図書室からたくさん借りてきて、表現のちがいを見つけるみたいなことをやったんですよね。点で描く作家さんもいれば、色を重ねる人もいたり、ちぎり絵みたいにする作家さんもいたり。クレヨン使う人もいれば、油絵っぽいひともいる。
こどもたちと自分がやってみたい、楽しそうな表現を探してみよう!みたいな授業をしたことがあった。こどもたちが発見した気づきをこどもたちそれぞれのことばや表現で聴けるのがすごくおもしろかったですね〜。
あとは、赤と青を混ぜて紫をつくるのだけど、どれくらいの配合で赤と青をそれぞれ混ぜるかで、紫の表現の仕方って変わってくるじゃないですか。
図工の難しいところって、授業数は決まっているんだけど、作品をつくるスピードって子どもたちによって全然違うから、早く完成しちゃう子もいて。
だからそんな子にはぶどうの絵を印刷して、粒の色をつくった紫色で塗ってもらうというのをしてもらっていました。
そしたら、このぶどうがすごく個性がでて、おもしろかった。几帳面な子は端からどの粒もおなじ紫色で塗るし、ちょっとやんちゃな子は好きなところから塗り始めて、赤がすごく濃い紫や青がすごく強い紫があったり。
おんなじ白色のぶどうの絵から始めているのに、完成したぶどうの絵は20人いたら20人十色。それがすごくいいなぁ〜って思った。そういう授業が好きだったかな。
その子達がその子のペースで進めることができたり、個性がでたりする授業が好きだった。ときには立場上、言いたくないけど言わなきゃいけない(教えないといけない)のがちょっとしんどかったかな。
ちず:ひめちゃんにとって伝えたい学びじゃなかったってことかな?
ひめ:うん。たぶん、一緒に学んだり、考えたりしたかったから、先生だとなにかを伝えなきゃいけない立場で、こどもたちにとっては、答えを聞く相手な感じにどうしてもなっちゃうんですよね。
「自分はどう思う?」って聞くと、こどもたちは困った顔をする。そういう聞かれ方をしたことがないからなのかな...答えを求める子が多いというか。
ルールとか思い込みとかに縛られている感じがして、もっと自由に、自分で考えて動いてみてもいいんだよ、って言いたかったかな...。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回はここまでです。つづきは、次のnoteで。
次回は、「学び直し」をテーマにお話をしていきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?