つわのホイスコーレに参加して〜 私が津和野で巡り合えたもの〜 vol.4 ひらしー
2022年9月17日から3日間にわたり開催された、つわのホイスコーレ2022秋の参加者の声をお届けします。
今回は、vol.4 ひらしーの声を紹介します。
つわのホイスコーレに参加してどんな変化があったのか、そしてなぜその変化が起きたのかをひらしーのことばで綴ってくれています。
それでは、お楽しみください。
2022/12/02
——参加者同士の関わりの中で自然と生まれたセッションがあった。
「うまく弾けなくてもいい、ただ誰かと音を鳴らすことが楽しい」と音楽をゆるやかに楽しみ、音楽を通して誰かと繋がっていく感覚を感じられたのは久しぶりだった。
「日常」に帰ってきてから幾度となく振り返った島根県津和野町での 3 日間。
きっと私はこの日々のことを、これからも何度も思い出すだろう。
―――
私は現在、関東に住んでいる。
ここから遠く津和野を訪れたのは、高校時代の友人に会うためだ。
今はその土地に暮らす彼女が、「対話」というキーワードを中心に集ったメンバー『雨と歌とラタトゥイユ』のみんなと開催する宿泊イベントに誘ってくれた。
このイベント『つわのホイスコーレ ~もう一度、自分に出会う 3 日間~』は、デンマーク発祥の「フォルケホイスコーレ」を自然豊かな津和野で開催してみるという実験的なものだった。
フォルケホイスコ ーレとは、『様々な背景を持つ人々がともに学び、語り合い、自分の興味があることを探したり、新しい 何かにチャレンジしたりすることができる大人のための学校』である。
つわのホイスコーレでは、『他者と暮らす中でじっくり自分を見つめながらもう一回自分に気づく』ことをゆるやかな目標として掲げ、自分の生き方やあり方をじっくり、ゆっくり考えてみようという場が多く作られていた。
参加者全員でたき火を囲み、コーヒーを片手におしゃべりしたり、地元の食材でバーベキューをしたり。
森の中でおやつを食べながら、それぞれのライフスタイルや今気にかかっていることをシェアしたり。
全員参加のプログラムだけでなく、それぞれが「忙しない日常を離れた今」だからこそできることを見つけるため、フリープログラムとして自由に過ごせる時間も長めに取ってあった。
本を読む人や楽器を弾く人、折り紙を折る人。
カードゲームをしながら話している人や、レシピを教え合ってシナモンロールや焼きリンゴを一緒に作る人。自分の心の赴くままにやりたいことに取り組む時間だ。
私は幼少期に習っていたピアノにチャレンジしてみたくなった。
そしてイベントの副題になぞらえるなら、
私はもう一度、”音楽”に出会うことになる。
学生時代、私は吹奏楽部に所属していた。
きっかけは、小学生のときのクラス合唱が楽しかったこと。
他のパートとハモること、掛け合いをすること。
一人ではできない音楽を複数人で作ることが楽しかった。
中学・高校には合唱部がなく、吹奏楽部に入部することになった。
もちろん楽しいことはたくさんあった。
しかし、特に夏のコンクールを通して、次第に私にとっての音楽は「うまくならなきゃ」というプレ ッシャーを感じる、窮屈なものになっていった。コンクール前は部内にピリピリした空気が漂い始める。
「うまく演奏できないと先輩に怒られる」「ピッチ(音の高低)が他の奏者とズレているから合わせなきゃ」
肌感としてのピリピリが自分の中に苦しさとして蓄積され、自発的に参加している活動だったはずが、 変わっていく。
型にハマった「きちんとした演奏」をしなければならない、という義務感が強くなっていった。
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話は津和野に戻る。
そこに「これまで楽器を演奏した経験がない」という参加者がいた。
彼女は運営メンバーが会場に持って きたウクレレに興味を持ち、自由時間に教えてもらっていた。
それから、空いた時間を見つけてはウクレレをさわっている。
すごく楽しそうに、何度も何度も同じフレーズを弾いている。
強制されるわけでなく自然と練習を始めている。少しずつ長いフレーズが聞こえるようになってきた。
次の日、別の参加者もウクレレに興味を持ち始めた。
自然と二人は一緒に練習するようになった。
その姿があまりに楽しそうで、私も楽器をやりたいという気持ちが湧いてきた。
電子ピアノが会場にあったので、それを借りることにした。
十数年のブランクがあり、すらすらと弾けるわけではない。
けれど、 過去に演奏した曲をたどたどしくなぞっていると、懐かしさや苦さ、学生時代の思い出が呼び起こされた。
音楽にはその時々の感情や記憶が宿っている。
手持ちの曲がなくなり、ピアノを弾く手を止めた。
ウクレレの音が聞こえる。
彼女らの輪に加わりたいという気持ちがじわじわと湧いてきた。
過去に感じた、誰かと奏でる音楽の楽しさに背中を押され、気づいたら「今何の曲を練習しているの?」と声をかけていた。
参加者同士の関わりの中で自然と生まれたセッションがあった。
ピアノとウクレレに合わせて歌ってくれる人やギターを弾く人も集まってきた。
「うまく弾けなくてもいい、ただ誰かと音を鳴らすことが楽しい」と音楽をゆるやかに楽しみ、音楽を通して誰かと繋がっていく感覚を感じられたのは久しぶりだっ た。
これからの私はこの曲を耳にするたび、きっとこの感覚を思い出せる。
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イベントに来るまで楽器に触ったことがなかった人が、1つの曲を演奏できるようになり、次の日には教える立場になった。
その連環を目の当たりにし、人を成長させる音楽の力や音楽を通して人の輪が広がる面白さに久しぶりに邂逅した思いがした。
また、フリープログラムでそれぞれが好きなことに取り組みつつも、お互いの気配を感じられる同じ空間にいることに不思議な心地になった。
これは必要に応じて繋ぐオンラインミーティングでは起こり得ないことであり、オフラインで同じ時間・空間を共有していたからこその巡り合わせがいくつもあった。
ともに暮らし、時に気遣い気遣われるこのプチ共同生活の中で、私は「家族の温かさ」に似たものを感じた。
「これ好きだよね」とふとしたことで気にかけてくれる人。
不調なときに、もしかしたら自分より先に気づいてくれる人。
些細な幸せをシェアできる存在、例えば、冷ややっこの薬味が選べるくらいたくさんあるとか、肌寒い朝に飲む(津和野特産の)まめ茶の温かさにホッとするとか。
そして、それらが当たり前のことではなく、誰かが手間暇をかけてくれていることに気づける人ばかりだった。
最後に運営メンバーの一人が『ここからみんなを送り出すときに「いってらっしゃい」と言いたい。もしまたみんなが帰ってきたときは「おかえりなさい」って言うね』と言ってくれた。
遠く縁のなかったこの土地に、いつでも「ただいま」と帰って来られる温かい場所ができた。
最後に、この記事が「つわのホイスコーレ」に興味をもつきっかけとなったり、参加してみたいなと思ってくださった方にとっての参加の一歩につながったりと、そんな存在になれたらうれしいです。
この記事づくりに協力してくれたつわのホイスコーレ参加者メンバーにもこの場を借りて感謝の気持ちをお伝えできたらと思います。
ひらしーちゃん、素敵なことばでつわのホイスコーレでの体験を綴ってくれてありがとうございました〜!