見出し画像

つわのホイスコーレ1week [ひめ]

2022年6月11日に歩き始めた「つわのホイスコーレ」を企画するチーム「雨と歌とラタトゥイユ」(通称:雨ラタ)メンバーのひとりであり、今回、1weekの企画にもチャレンジすることになりました。

みんなにはひめ、ひめちゃんと呼ばれることが多いのですが、なぜか雨ラタメンバーからはおひめと呼ばれることも。
お好きなように呼んでください。(笑)


そもそも、わたしがなぜ、つわのホイスコーレに関わることになったのかは以前、ちずちゃんがインタビューしてくれた記事があるのでぜひ、こちらをお読みいただけるとうれしいです。
ちずちゃんとのおしゃべりが楽しすぎて4つのnoteにわたることになった大作です。笑


2回の開催を経て。もやもやとしたきもちを抱えたまま。

今回は、なぜ、つわのホイスコーレ1weekを企画したいと感じたのかをわたし目線でお届けできたらと思います。

つわのホイスコーレを2022年に立ち上げ、これまでに'22秋、'23春と2回、2泊3日のプログラムを行ってきました。

秋のプログラムはわたしたちにとっても初めての企画で、メンバーのほとんどがフォルケホイスコーレに行ったことがなく、フォルケのような場所が日本にあったらいいなと思いつつも、自分が体験してないがゆえにその価値やよさを自分の言葉で語りきれない、発信できない、自信のなさのような気持ちを抱えながらの開催となりました。

6月から週一定例のミーティング。気づけば3時間、4時間話している時も。

初めての開催、台風も重なったので、みんなでいろいろ話し合って、あまりプログラムを詰めすぎず、フリープログラムという形で、参加者さんたちそれぞれの声や心地よさを聴きながら、ともにつくっていく形をとりました。

フリープログラムの集大成として、開かれたコンサート。
演奏者も鑑賞者もみんながいい表情をしていて素敵だったな〜。

当日は6名の参加者さんがきてくれて、3日間とは思えないほど濃い時間で、わたし自身も運営でいながら参加者のような目線でつわのホイスコーレのよさや魅力をじんわりと味わった時間でした。
これは、もっと広めていきたい。また開催したい。と、自分で体感したことで手応えを感じるとともに、より自信をもってそう思えるようになりました。

森でのライフスタイルトーク。
自分のこれまでと今、そしてこれからの人生を自分のことばで語り、
それにグループのメンバーが問いや感じたことを返していく。
自分の選択を肯定してもらえたこと、応援してもらえたことが嬉しく、あたたかいきもちになった。

そして迎えた2回目の開催。
秋の開催のふりかえりを踏まえて、いくつかのチャレンジを行いました。
まずは、1日だけの参加も可能にしたという点。
秋の開催は3日間宿泊込みのプログラムに参加してもらうというものでしたが、
興味を持ってくれた方の中には、お子さんがおられたり、日帰りで帰りたいので宿泊は難しいという相談もあったことから、もっと参加しやすい形をとれたらという思いでした。
そのため、プログラムは1日参加の人でも満足のいく形を考えることになりました。
二つ目に、1日目と3日目に講師さんをお迎えする形をとりました。
いろいろな方とコラボすることで、できることが広がるということ、またこのまちだからこそできるコンテンツをもっと増やしていきたいという思いからのチャレンジでした。

1日目はふみさんによる「セルフケア」講座。
3日目は、芸術士®︎さんによる詩をつくるワークショップ。

プログラムをやってみて、2泊3日という短い時間ではありますが、多様な他者と生活をともにすることで、自分を隠しきれなくなってくることに気づきました。
私自身も矛盾する自分のきもちに揺れる機会となり、
いい意味でかっこつけられなくなるというか。
いい人いい面だけではいられない。
ありのままになっていく。
疲れて幼児化して台所できゃっきゃっしたり、他者が鏡となって自分の嫌なところやこうなりたいのになりきれない自分に向き合う瞬間がやってきたりもする。
最後の芸術士®︎さんによる詩のワークでは、思い通りにならないきもちを散りゆくさくらにのせ、ことばをつむいでいる自分がいました。
自分を知ると他者を知るが行ったり来たりする、そんな時間だったように思います。

台所で爆笑。なぜかこのスペースにみんな集まってくる。
ことば集めしたスケッチブック。

2回目の春の開催は、わたし個人にとって心残りや反省も多い会となりました。
しかし、このときはうまく言語化しきれず、無事にみんなを送り出したあとも慌ただしく日々は過ぎていき、なにが自分にとって心残りだったのか、なにを改善すればもっと良い場になったのだろうと、悶々としたきもちを残したまま、フォルケホイスコーレ合宿に向かいました。


囚われていた自分に気づいた合宿。

フォルケホイスコーレ合宿とは、日本でフォルケホイスコーレをつくろうとする実践者たちが全国各地から集い、学び合うという1泊2日の合宿。
以前から、ちずちゃんのお誘いで、定例の勉強会にオンラインで参加をさせてもらっており、その勉強会の中で、みんなで合宿をし、お互いの実践をシェアするとともに、学び合おう!と計画を進めてきたものがついに、開催となり、参加してきました。
もう、この合宿での時間がとてつもなくわたしにとって良き時間だったのです…
ことばになりきらないくらいに。

みんなで焚き火を囲みながら歌った時間は、しあわせそのものだった。楽しかったな〜〜。

オンライン越しで学び合いをしていたみなさんとやっとリアルでお会いできたのももちろんうれしかったのですが、なにより全国各地にこれだけの想いをもって活動する仲間たちがいることに心強さを感じました。

みんなで夜ごはん〜!

合宿の中では、いろいろなセッションが行われたのですが、その中でさまざまな気づきが自分の中に生まれました。
そのひとつが「自分たち運営が持続可能な状態であるか?」というもの。
どれだけ良いコンテンツをつくりこんだとしても、それをやっている運営がそれをどのくらい本気で伝えたいと思えているか、楽しんで学んでいるか。
コンテンツの内容よりも熱量の方が確実に心に届くし、伝わる。
参加者が一番心に残るのは授業よりも授業後の雑談だったり、ご飯の時間でなにげなく話したことだったりする。
こちらがどれほど、この会でこういうものを得てほしいと思っていても、そうならないこともある。
そもそも、何を得るかは参加者が味わい、感じ、受け取るもの
参加者がそれぞれに自分のことばで語れればいいのでは。
わたしたち運営はそのきっかけとなる場を開くだけで良い。
この学びを受け取った時、ハッとしました。

長期のコースづくりにチャレンジしているCMCとcompathの
2団体のぶっちゃけトークから気づいたり、学ぶことが多かった。
この話が次のセッションでもつながってきて、繰り返し出会う学びもあった。

わたしは、3日間せっかくきてもらうなら参加者さんになにか得てもらわなきゃというきもちにすごく囚われていたのだと。
だからこそ、そのなにかを得てもらえていなかったらどうしよう…と変に不安になったり、自分自身が「〜しなきゃ」に縛られて、ともに学ぶことを楽しみきれてなかったなと。
これがわたしの心残りにつながっていたのだな、と。

わたしたちつわのホイスコーレも1ブース担当させてもらって「持続可能な運営とは?」というテーマで
みなさんと対話をした。課題や難しさを共有しながら、これからのあり方について深めていった。
社会にインパクトを与えられるひとたちに届けるのか、背景や立場によらず学びを届けるのか。
どっちかだけではないと思うけれど、わたしの中に残る問いだった。

そこで、湧いてきた私の思いは、もっと自分自身が肩の力を抜いて、純粋に「ともに学ぶ」を楽しめる形でつわのホイスコーレに関わりたい!というもの。
そのためにも3日間でぎゅっと学びをつめこむよりも、もっと長い時間をかけてゆっくりひとりひとりが自然に学んでいく姿、変容していく瞬間や過程を横で見守れたら。と。

なぜ、わたしたちは「フォルケホイスコーレ」に関わるのか。のセッション。
自分の考えを母語ではない英語で伝える難しさともどかしさに今回はたくさん出会った。
それでも受け取ろうとしてくれるデンマークのみなさんのあたたかさに触れながら。
対話が煮詰まってきた時に、外に出よう!深呼吸しよう!と飛び出していく自由さがいいなぁ〜と。

焦らず、もっとじっくりゆっくり時間をかけて育ててもいいことなのかもしれない。
何を学び、何を得たかは10人いれば10通り。
そして、それらは、今すぐことばになるものでもなかったりする。
私自身もつわのホイスコーレで何を得ているのかは言語化できるところできないところがある。
でも大事なのはことばにすることではなく、ことばにならないものも含めて感じ味わうこと。
そこで感じたものはことばにならずとも、きっとわたしのベースとなって残っていく。
地層のように。
表出するのは一部かもしれないけれど、確実に積み重なっていく。
そんなふうに思えたら、すぅっと気持ちが軽くなった気がしました。
ということで、今回のわたしがつわのホイスコーレ1weekで大事にしたいことは「わたし自身が力を抜いて、ただただ、楽しむ。」ということです。
参加者さんのみなさんにもなにかを得ようとするよりは、まずはこのまちで暮らすなかで、ゆっくりと自分のきもちに向き合いつつ、他者とともに学ぶ喜びを分かち合えたらと思います。

このときの心地よさをもう一度。

決意。

移住して5年目の春を迎えたつわのでの暮らし。
ひとまずの区切りをうち、わたしは6月から1年間の旅に出ることを決めました。
ニュージーランドで半年のワーキングホリデーとデンマークのフォルケホイスコーレで学ぶ旅です。
その直前になぜ、つわのホイスコーレ1weekを開催することにしたのか。
別にそんなに焦らなくても、と思いながらも、わたしは「いつか、いつか」とおもっていると「いつか」が突然できなくなるときがくるのだというのを、このコロナとともに過ごすことになった3年間で学びました。
「やりたい!」と今、思ったなら、それがうまくいこうがいくまいが、今、飛び込んでやってみる。
その先にしか見えない景色があると信じて。
そんな思いで合宿で再開したりりーさんと、ともに合宿に参加したちずちゃんと話す中で、「1week」にチャレンジしたいという想いを共有できた今を大切にしたいと思いました。

想いを共有できる仲間がいることが何よりうれしいこと。
自分一人ではできないことも仲間がいれば、やってみよっか!と一歩踏み出せる。

雨を楽しむ。 季節を味わう。

また、6月は雨の多い季節でもあります。
偏頭痛持ちのわたしにとっては低気圧、どんより厚い雲とじめじめした雨が降ったり、止んだりが続くこの季節は気持ちもずーんと落ち込む時期です。
洗濯物は乾かないし、カビは生えちゃうし、
それに、6月はお休みが少ない…(6月にも祝日が欲しいですね…)
そんな、なんだか憂鬱な梅雨の時期ですが、雨の音をお部屋の中で聴いたり、雨が降っているのを窓からぼんやり眺めたり、雨の日をおうちで過ごすのはなぜか好きなんですよね。(自分が濡れないことは重要!笑)
わたしは予定詰め込み人間なのですが、
今日は、雨だからしょうがない。なにもしないでいっか〜。
どこにも行かず、やーすも。おふとんでだらだらしちゃお。
雨で気分が沈むから、お気に入りのあったかいドリンクを用意して、今日は本を読んで、おうちにこもるおこもりdayにしちゃお。いいよね。と思えたりする。

自分に甘々になれる雨の日。窓から眺める雨、雨の音が心地よい。

自分に優しくなれるんですよね。不思議と。
身体と気持ちの充電ができる時間をもらえるというか。
慌ただしい日々に、休みという余白とともに心に静けさをくれる存在だな〜と思います。
みなさんは雨にどんなイメージがありますか?

今日はなんにもしたくないな〜というときは、とことん自分の声を聴いてあげる。
何がしたい?どんな気分?
この日は寒かったのであったかいカフェオレをたっぷり用意して、無心でシナモンロールを焼き、
それをおともに大好きな北欧の本を解禁。

心と身体がしんどい日々がつづくようになって、
セルフケアや自己理解、他者理解に興味の矢印が向くようになり、
自分のことに気づいて大事にしてあげられるのは、だれよりわたし
だ。
と感じられるようになったのは割と最近のこと。
まだまだ修行中です。
ついつい自分をあとまわしにして、気づかないふりをしてしまう。
でも、そんな自分も愛せるようになりたい。
つらいよ〜と声をあげている自分がいることに蓋をせず、ちゃんと認めること。
自分のご機嫌くらい自分でとれるようになりたいな〜と。
自分を知ること、自分のご機嫌の取り方(満たし方)にいくつかパターンをもっておくことも大切だな〜と思います。
みなさんのセルフケア方法、ご機嫌の取り方ってありますか?
(ぜひ、聞いてみたいです。そんなお話も1weekの中でできたらいいな。)


津和野愛いっぱいにお待ちしております。

さて、最後に。
わたしは津和野が大好きです。
移住してきて4年と2ヶ月。(2023年5月時点)
最初は、やりたい仕事があったからという理由が一番でしたが、
「このひとたちとこのまちで暮らし、働きたい!」というわたしの5年前の直感は間違ってなかったよ、と今は、自分で自分を褒めてあげたい気持ちでいっぱいです。
豊かな自然。四季を五感で感じられる暮らし。
通勤がてら日々移り変わる山の木々の色の美しさに感動する。
毎日通っていても、その日によって見え方が変わる。
緑ってこんなにいろいろあるんだ〜と感じたのも津和野に暮らしたからこそ。
そんな美しく移り変わる景色をみているだけで、はぁ〜今日もいい1日だな〜と思えたりする。

津和野に初めて足を運んだ時にとった写真。
このときはまだこのまちに暮らすことになるとは思いもしなかった。
まちの至る所に鷺舞が、隠れ鷺舞を探すようでまちあるきが楽しい。
花菖蒲が咲き誇る水路はこの季節にしか見れない美しさ。
わたしの働いていたオフィスの一本裏にきもちのいいスポットがあり、
よくここで日光浴しながらランチしたり、PCもってきて仕事したりしたな〜(wifiがギリギリ届く笑)

歴史と文化がゆたかなまち津和野。
ここでまさか自分の故郷とつながるとは。
(津和野を切り開いた吉見氏は能登からこのまちにやってきた)
秋には秋の。
冬には冬の景色と美しさ。

そして、ひとのあたたかさにはたくさん助けられ、支えてもらってきました。
県外からぽんっと飛び込んできた若者を受け入れてくださり、背中を押してくださり、快く力を貸してくださるあったかいひとの多いこと。
ここで生きるひとびとの言葉や生き方、あり方にたくさんのエネルギーをもらってきました。
このまちでくらすようになって、「こんなふうになれたらいいな〜」と思えるモデルと言えるオトナたちにたくさん出会い、自分の生き方の選択肢が増えたし、考え方の幅も広がったと思います。
かっこいいオトナたちに出会えたおかげで、きっと同じようにはいかないけれど、自分のこれからの人生、歳を重ねていくことが楽しみです。

ちいさなまちだからこそ、自分ごとになりやすく、これまでだと意識すらしなかったこと、考えもしなかったことを意識したり、考えるようにもなりました。
自分たちの行動次第でまちを変えていけるという意識が持てるようになったのも津和野に来たからこそです。
まさに「日本の課題の縮図はここにある」。
(尊敬する先輩が語ってくれたことば。このことばをきっかけにわたしは津和野にくることを決めました。)

地域の方のおうちでご飯をいただくことも多々。
この日は摘んできたよもぎでよもぎもちを。筍のお煮しめとたきこみごはんもつくってくださった。
たくさんのおいしいものをいろいろな方と囲む時間がたくさんあったつわの暮らし。
夏には清流日本一の高津川でテントサウナからの川でととのう。
おとなたちがこのまちで生きることを楽しめ、おもしろがって企めることがなにより素敵なこと。
ないものはない。だからこそ、自分たちでつくっちゃおう!
どうやったらできるだろう?の精神をここで学んだ。
映画観たいよね〜で、映画館をつくっちゃった日。
ちいさなまちだけど、いろんなことができるひとがいる。
人の多様さがこのまちの魅力だとも思う。
『〜なことがやってみたいんですけど』と相談すると、
「だったら〜さんができるよ。つないであげるけ〜やってみんさい」と。
そんなことある?と思いながらもさくさくつながってできちゃう。
人に頼ること、だれかとともに企むことで、自分だけではできないような
できるが広がることを学んだ。
つわのスープのでしリスト黒板素敵だったな〜。

このまちの魅力は語り尽くすことができないので、体感しにきてください!!!としかいいようがないというのが正直なところです。

このまちで過ごした4年間はわたしの人生にとってかけがえのない宝物のような日々。
生まれたまち以外に「ただいま」と帰って来れるまちができたことがなによりうれしく、しあわせなことだなとおもいます。
そんな津和野に「つわのホイスコーレ」を通して出会ってもらえたら
そして、あなたにとっても「ただいま」といえるようなまちのひとつになってもらえたら。こんなにうれしいことはありません。

みなさんにお会いできること、「暮らすように旅する1週間」をともに過ごせることを心から楽しみにお待ちしております。

雨ラタポーズ。

(ひめ)

いいなと思ったら応援しよう!